2025年08月31日(日曜日)
08.31. 「運も実力のうち」と言われて、それはちょっと違うと思った。
誰かと話をしていた時、
「運」の話になって、
相手の方が
「運の実力のうちですよ。」とおっしゃったので、
その言葉にふと、違和感を覚え
「いえ、運です。運が実力の中にあるのではなく、運です。」と答えました。
私は感覚的にそう言ったのですが、
私自身、そう言った事自体に引っ掛かりが残って、色々考えました。
私の人生において起きたすべての出来事が、
今の自分を造り上げてきて、
私独自の人生を形成してきた。
つまり、
人それぞれによって出くわす出来事は違っても、
それは運命であって、
その出来事によって受ける影響の方向と度合いはその人によって違うので、
その運命の影響が引き起こした次の事象はその人によって違う。
だから次の出来事、つまり運命とは、
実はその人が造ったで運命だと言ってもいい。
しかし、
元の運命的な出来事は、
その人が意図して造りだした出来事ではないので、
その人にとっても、周りの人にとっても
偶然の「運」に見えるが、実はある程度、必然であり固有のものだ、
しかし逆に言うと、
その人が意図して造った出来事は、
意図通りの形をしている訳ではないので、
その出来事の種類、タイミングによっては「運」という事も出来る。
つまり、
人にはそれぞれ固有の運命があって、
それぞれの運命の中で、それぞれに生きて行って、
次なる出来事、それぞれ固有の出来事と出会いながら、
また新しい運命が創り出しだされていく。
つまり、運命とは与えられるだけでなく、自ら作り出したものでもある。
いかなる運命、
いかなる状況の中も、
自らの力でその状況を切り開いていって、
新たに自らの運命を創り出すことになる。
ただその新しい運命が、本人が望んだ形のものかどうかは別だが。
人は運命によって、
その時々に与えられる状況は違うが、
本人次第、その人の捕らえ方、考え方、行動次第で
いかなる方向にも切り拓いていく事が出来るのではないか。
それぞれの人が持っている固有の運はあるが、
その人次第で、その運が致命傷になることもあれば、幸運になることもある。
極論すれば、
運が良い人、運が悪い人の区別はない。
もっと言えば、
良い運、悪い運の区別もない。
本人が与えられたその状況をどう捉え、
どう考え、どう対処して運命を切り開いて行くか、
その結果の良否で、
与えられた状況が「運が良かった」と言われる(思える)こともあれば、
「運が悪かった」と言われる(思える)こともある。
が、しかし、
それぞれの状況で、
やれる事とやれない事があるので、
自由自在に自分の運命を創り出すことは出来ないのは当然だ。
だから、その人よって、その状況によって、あるいはその時代によって
行き着く到達点の幅は大きい。
しかし幅があるとしても、結果はその人の考えと行動よって決められる。
問題は、その運をどうとらえて、どう生かしていくか、
自らに与えられた運命が、
良い運命なのか、悪い運命なのかは
本人の意志次第で、その運命の質が変わる。
誰にとっても悪い運命などあまりなく、
逆に、誰にとっても良い運などもない。
運などというものは、ある程度の幅の中で、ではあるが、
本人次第で良くも悪くもなる。
だから、その人の運命は、
その人が持っている運によって決められる。という言い方も出来る。
しかし、
その運も、その人の捉え方と行動によって、
良い結果を出す事もあれば、悪い結果を出すこともあるから、
同じような運も、
その人によって結果はまるで違うので、
その人の置かれている状況の良し悪しを決めるのは、
運と言うよりその人次第だと言える。
だから、「俺は運がいい」という人は、
それがいかなる運であったとしても
自分の言動と行動で、良い状況、幸せを創り出せる人であって、
「俺は運が悪い」という人は、
いかなる運があっても
自分の言動と行動で、自分と自分の周りを不幸にしてしまう人と言えます。
だから、
付き合うなら絶体「運がいい人」がいいです。幸せになれます。
逆に
「俺は運が悪い」という人と付き合うと、
不幸の道連れになってしまいます。
だから、最初にあった言葉「運も実力のうち」に抵抗を感じたのは、
「運」もその人次第で結果が変わってしまうので、
言うとするなら
「運も実力のうち」ではなくて、
「運もその人次第」だから
「運が良かったから今がある。」の方がいいと思ったのです。
もう一つ違うの想ったのは、
「運の実力のうち」と言うと、その人が置かれている状況が、
「その人の実力の賜物であって、その上で運も良かった」
その人の置かれている状況は、実力が主であって運は従であるので、
現状において、
自己肯定になってしまう。
自己肯定はその人の成長の停止を意味するので、最も危険な状態と言える。
人が成功して最も危険なのは”、
自己肯定”の状態に陥ることだと、誰かが言っていた。
今の自分を肯定した時に、
「俺ってすごい」と思った時に
その人は終わった。もう変わることも無ければ成長する事もない。
私は接待をするのも、
受けるのも嫌いなのは、
接待とは相手を褒め、肯定する儀式のようなものであり、
自分は自分を肯定していないので、
相手から自分が肯定される、その事は間違っているので、
それを受けることは嫌いなので、しないのです。
逆に、自分が相手を接待する事は、
自分が相手を肯定する事になるので、
自分は、自分を肯定していないように、相手の事をよく知らないのに
言葉上だけで相手を肯定するのは、
嘘を言っている事になるので、しないのです。
世の中には、
自己肯定に陥っている人が、
実際に組織を動かして稼いでいる人達から相手にされないので
同じように自己肯定に陥って終わった人を迎えて
お互いに相手を褒め合うような変な交際行為がある事を先日見つけました。
観測史上初ではないか。40℃、名古屋の最高気温予報。
これを使えばいいのだが。
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