2026年01月12日(月曜日)
01.12. 平和な日々。 三日前から写真が載せられなくなっています。
今、何も、何処も痛くない幸せで平和な日々です。
私は今、体中のどこも痛くない希少な時間を平和に過ごしています。
幼少の時から左足の変形がずーっと絶え間なく傷み続けて、
その痛さが慣れで無感覚の中に自覚しなくなっていても、
探せば、必ず見つかる種類の痛みで、普段は無に等しいのですが、
ふとした弾みで暫くの間、自分を支配されてしまう事もあります。
それが今、進行の中で痺れてしまって本当に無感覚になって痛くないのです。
ただ、
その無感覚の中に、
ピリッピリした痛みが時たま走って、ドキッと怯えるのですが、
すぐに消えてしまうので忘れてしまいます。
いつか分かりませんが、
いずれは、このピリピリが無につながってくる筈なので、
だから、多分つかの間だとは思うのですが、
今、私にとっては希少な平和の時間なのです。
平和であることは、すなわち幸せです。
しかし、私にとってはそれがたとえばちょっとした痛みであったとしても、
多くの人にとっては、
もっと耐えなければならない事がたくさん有って、
私の場合は、むしろ
大した方ではないと、よく思います。
それよりも、むしろ、外から得られる喜びの方がはるかに大きく、
充実した日々をずっと送ってきました。
ところが、今年の5月、腰から下半身にかけて強烈な痛みに襲われて、
本当に痛くて、何も出来ない日が続く経験をして、
たまにやってくる痛くない短い時間が
「平和」という言葉がぴったり合う幸せな時間と感じたのです。
だから、今、その痛みが収まっていて
痛くない時間が当たり前になっていると、
そのありがたみ、「平和」のありがたみも忘れてしまいそうになります。
しかしその内、また、あの強烈な痛みに襲われる恐れも十分にあって、
それを考えると、モタモタしていてはイカンと強く思うのです。
何か、突然死んでしまう事があったとしたら、
それは仕方がないし、逃げようがないと思うのですが、
その時に「あれはやっとけば良かった。」とだけは思いたくないので、
まだ何処も痛くなくて、
車イスでの不便はあるものの、
何でも出来る今、・・今、全速力でやらなくっては、と思うのです。
平和のありがたみは、戦争が好きな権力者・独裁者には絶対、理解出来ません。
また、彼らのようには、絶対になりたくないとも思うのです。
独裁者は、彼らが独裁者であるが故に戦争が大好きです。
そんな独裁者たちの戦争で死ぬのは、何よりも最悪でしょう。
少なくとも今の日本は平和であり、
少なくとも、
私が生きている間は平和であるでしょうから、
体も平和である今、本気で全力でやらなくっては。と思うのです。
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