2026年01月12日(月曜日)
01.12. 人生の3分の一を毎日書くという事に意味があったのか。
今、73才で、25年書き続けているので、
人生の約3分の1を書き続けていることになる。
しかも、それを日に何千人もの方に読んでいただいている事に
何の意味があったのか。
あるいは、どんな意味を持って書いているのか。
毎回、毎話、文が長いので、
読む方にも何か意味か動機が無ければ、読み続けられるものでは無い。
逆を言えば、書く自分にも何か意味が無ければ書き続けられるものでは無い。
しかし25年前に書き始めた動機は、
その時に初めて会社とKeePerのHPを立ち上げたので、
そのHPへの”客寄せ”がこのブログを書き始める目的であった。
最初は、とにかく100話を連続して一日も欠かさず書こうと決めた。
一日の欠かさず書き続けるのは大変だったが、
書くことそのものより、
電話回線を使ってHPとアクセスして、ブログに上げる事に凄く苦労をした。
しかし、それも初期の頃だけで、今のように
いつでも簡単にネットに繋げる環境があれば、何も苦労する事はない。
毎日書くことも、それが習慣になれば苦になる事も無い。
特に今は、
写真が簡単に撮れるし、企画課がいつも面白い材料を提供してくれる。
多過ぎて載せられないものもいっぱいあるぐらいです。
それに毎日違う事が次から次へと起こって、
書くネタに事欠くなんてことは、ある訳がない。
あるとしたら、その人は平穏なだけでつまらないのではないか。
多過ぎて、書きたいけれど書けない事が山ほどある。
書く動機は何かと言えば、書きたいから書き続けているとしか言いようがない。
書くと、その事についてより理解が深まって、
より強く記憶することになったり
書く前には気が付かなかった事に気付いて、考えを改める場合もある。
あるいは、話したことを文章にすることによって
話した時には理解してもらえなかったことを、理解してもらえることもある。
皆に伝えたいことを書いて、
その意味まで拡がって良かった事も多い。
書いて良かった事が多いが、その逆も無い事は無い。
感じたことをそのまま書いて、
書かなきゃと良かったと、思ったことも無い事は無い。
書いて後悔したり、反省する事も多い。
しかしそれを気にして、たじろいでいては
何も書けなくなるので、あえて無神経に書こうと思うこともある。
しかし、
絵や写真が使えないのはつまらない。
本当につまらない。
小説家は、文章だけの原稿を書いているが、
私だったらつまらないだろうな~、と思う。
明日、
早くメモリーを空けてもらつて、
絵や写真をいっぱい使えるようになろう。
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2026年01月12日(月曜日)
01.12. 平和な日々。 三日前から写真が載せられなくなっています。
今、何も、何処も痛くない幸せで平和な日々です。
私は今、体中のどこも痛くない希少な時間を平和に過ごしています。
幼少の時から左足の変形がずーっと絶え間なく傷み続けて、
その痛さが慣れで無感覚の中に自覚しなくなっていても、
探せば、必ず見つかる種類の痛みで、普段は無に等しいのですが、
ふとした弾みで暫くの間、自分を支配されてしまう事もあります。
それが今、進行の中で痺れてしまって本当に無感覚になって痛くないのです。
ただ、
その無感覚の中に、
ピリッピリした痛みが時たま走って、ドキッと怯えるのですが、
すぐに消えてしまうので忘れてしまいます。
いつか分かりませんが、
いずれは、このピリピリが無につながってくる筈なので、
だから、多分つかの間だとは思うのですが、
今、私にとっては希少な平和の時間なのです。
平和であることは、すなわち幸せです。
しかし、私にとってはそれがたとえばちょっとした痛みであったとしても、
多くの人にとっては、
もっと耐えなければならない事がたくさん有って、
私の場合は、むしろ
大した方ではないと、よく思います。
それよりも、むしろ、外から得られる喜びの方がはるかに大きく、
充実した日々をずっと送ってきました。
ところが、今年の5月、腰から下半身にかけて強烈な痛みに襲われて、
本当に痛くて、何も出来ない日が続く経験をして、
たまにやってくる痛くない短い時間が
「平和」という言葉がぴったり合う幸せな時間と感じたのです。
だから、今、その痛みが収まっていて
痛くない時間が当たり前になっていると、
そのありがたみ、「平和」のありがたみも忘れてしまいそうになります。
しかしその内、また、あの強烈な痛みに襲われる恐れも十分にあって、
それを考えると、モタモタしていてはイカンと強く思うのです。
何か、突然死んでしまう事があったとしたら、
それは仕方がないし、逃げようがないと思うのですが、
その時に「あれはやっとけば良かった。」とだけは思いたくないので、
まだ何処も痛くなくて、
車イスでの不便はあるものの、
何でも出来る今、・・今、全速力でやらなくっては、と思うのです。
平和のありがたみは、戦争が好きな権力者・独裁者には絶対、理解出来ません。
また、彼らのようには、絶対になりたくないとも思うのです。
独裁者は、彼らが独裁者であるが故に戦争が大好きです。
そんな独裁者たちの戦争で死ぬのは、何よりも最悪でしょう。
少なくとも今の日本は平和であり、
少なくとも、
私が生きている間は平和であるでしょうから、
体も平和である今、本気で全力でやらなくっては。と思うのです。
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