2024年01月26日(金曜日)
01.26.今年初のプラン会議。新物件12件と新店プラン、改装いくつも。
今日は、いつもなら月2回の店舗プラン会議の、今年の初回でした。
1月は前年から繰り越した新店が3店あった事と、
2月中にフィニッシュしなければならない改装工事が何軒もあって、
1月の店舗プラン会議は、1回目が今日になってしまったのです。
その間にたまった来期新店用の物件情報が14件もありました。
その中からこのブラン会議でGOになったのは12件、
加えて、昨年中に出た来期用物件として進んでいるのがすでに4件ある。
今期中(今年の6月まで)にオープンする新店舗が9店あり工事が進んでいる。
それを開店させてからの案件が、この時点で16件もあるという事は、
今後出てくる複数のカーディラーへの併設物件を考えると
“来期中”(今年7月から来年の6月まで)に、新店30店舗という目標・公約は、
ちょっと前までは無謀と思えていたが、
少し現実味が出てきたのかもしれない。
今日のプラン会議で提出された
新店と、改装店、新ブランディングを実現する店舗のデザイン案です。
たくさんあって相当重いので、無謀ではありますが、
全部どれもが素敵なので、
目をつぶって、エイヤっと全部載せてしまいます。
すごい枚数です。
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2024年01月26日(金曜日)
01.26. 大きな会社で、偶然に、又、成績を上げてしまった。 26才、
お役所のような大きな会社での仕事は、案の定、つまらなかった。前職の新興会社では毎日が勝負でダイナミックだったが、その大会社は、毎日が無事であることが大前提であり、その上で、会社の指示・指導に従い成績を上げることを求められる。しかし机上の空論のような指示で、売上げが上がる訳がない。しかしその頃、私にはもう妻と子供がいる。だからしょうがないと、打算的にダラダラと勤めていたら、とんでもないことが起きたのです。
第2次石油パニックの影響で、前職の新興の会社が突然、倒産したのです。その新興の会社はあまり正規ルートでの仕入れをしていなかったので、石油パニックで必要な数量の仕入れが出来なくなり、あっという間に潰れたのです。
その潰れた会社の本店(以前、私が所長だった)の近くに、私が新しく勤めている大きな会社の店舗がたまたま一つあって、25才の時、たまたま私がその店の店長になったばかりだった。だから、その潰れた会社の本店でガソリンを入れていた掛け売りの客先(私はすべての客先を知っていた)に大急ぎで全部回って「私の今の会社の店舗で、燃料を引き続き入れさせていただく伝票を造らせて下さい。」と言って回ったら、給油先に困っていたお客様達は、喜んで新規に取引を始めてくれた。すると、新しい大会社の店舗の売り上げが一挙に2倍近くにまでなった。そのへんのカラクリが東京の本社には伝わっていなかったようで、「谷という店長はものすごい力を持った奴らしい」と、勝手に、私はまたスター店長になったのです。それから私は何年も我が家の春のごとくだったのです。すると、私の中に馬鹿な勘違い男がまたむくむくと起き上ってきた。
大会社の東京の経営者の皆さんが私に一目を置くようになって、私の声に耳を傾けてくれるようになると、俄然、私は直属の上からの指示に異論をはさむようになり、つまり、言うことを聞かなくなって厄介な存在になった。やがて、私のバカな勘違い男の悪い癖はエスカレートし、とうとう、また会社を辞めてしまったのです。私が28歳ぐらいだったでしょうか。
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2024年01月25日(木曜日)
01.25.安値看板で成績上げ本店所長になった勘違男は会社を辞めた。23才
現金安看板で売上げを劇的に上げた私は、会社の社長に気に入られて21才で本店の所長になった。本店はでかい店で、私が成績を上げた小さな店の何倍もの売り上げがあり、何倍もの部下もいた。おまけに自分より先輩までが部下になったので、自分が偉くなったような勘違いをして威張っていなければ運営が出来なかった。しかも、その会社は派手な会社だったので、関わってくる業者さんも本店所長である私にチヤホヤしてくると馬鹿な私はイイ気になり、ますます自分が偉くなったように気になって、毎晩、繁華街に行き酒を飲んで遊んだ。接待する女性のいるような店にも行った。そこでまたチヤホヤされると、あほ男の私はいよいよ怖いもの無しになって、自分が大物であるかのように完全に馬鹿な勘違い男になってしまったのです。
しかし、この会社では本店の所長であっても私はあくまでも油にまみれた現場の人間であり、この会社のスターは”セールス”であった。燃料を買ってくれる客先を営業して取ってくる「営業・セールス」が会社の売り上げを造る主人公・主役であって、私達は彼らスターが取ってくる客・運送会社のトラックに燃料を入れる現場の作業スタッフでしかなかった。だから、私の同僚がセールスに”上がる”と、役職が私より下の者でも、私を見下すような口の利き方をしたり、態度も大きかった。しかし私は、セールスには向いていないとされたので、ずっと現場にいたが、馬鹿な勘違い男になっていた私は変に被害妄想に取りつかれ、色々すったもんだの末に結局、この会社を辞める事になった。
同業者から客先をセールスして奪い、売り上げを上げる事がすべてであったその新興の会社は狩猟的であり、それ程までには攻撃的ではなかった中途半端な私には、そんな会社に居続ける事が出来なかったのかもしれない。24才。
そして、今度はそういうことをしなくてもいいであろう「古くからある大きな会社」で平和に仕事をしたいと思い、まるでお役所のような大きな会社に入った。当然、そんな会社の仕事は、最初、つまらなくて仕方なかった。が、・・・つづく。
本文とこの写真は関係ありません。たまたま今日が満月だっただけです。
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2024年01月24日(水曜日)
01.24.この冬最強の大寒波襲来。と、本日「LABO越谷店」オープン。
今日は10数年来の記録的な大寒波で、名古屋でもけっこう雪が降りました。
まず喫煙所から見た「雪」。
私の車にも雪が積もり始めています・
テレビでは、高速道路と国道での立ち往生が、
あちこちで発生している様子を映しています。
ひどい渋滞みたいで、暖房に一番電気を使うEVは、さぞかし大変でしょう。
だから、
中部地方、関西、中国、四国、九州のKeePer LABOの日報は、
何軒かが、ちょっと気の毒なくらいの数字ですが、
それでも来店ゼロの店舗は2軒だけで、
ほとんどの店に、それなりの数のお客様がご来店いただいているようで、
日報報告メールのコメントには低実績の悲惨さを全く感じさせません。
雪が降っても、
予約のお客様が、
平日の晴れの日と変わらなくご来店いただいています。
ありがたいと思うと同時に、本当にすごいものだと思います。
関東は降っていなかったようで、
今日無事に新店「KeePer LABO越谷店」がオープンしました。
雪は降らなくてもとっても寒い日で、大変だったと思いますが、
けっこうたくさんのご来店をいただいていたようです。
さすがに関東地域はすごいですね。
おかだ君、小市店長、おおたチーフ、かとうさん。
KeePer LABO越谷店オープン初日の日報
本日、越谷店がオープンいたしました。 新規のお客様はもちろんですが、 近隣LABOをご利用のお客様も多くいらっしゃいました。 お問い合わせも6件あり、3件のご予約と1件の施工に 繋がっています。 きちんとした品質を提供し、また来ていただけるよう努めます。 越谷店 小市力也 ====================== 【本日】 実績:238,255円 来店台数:16台 (平均単価:14,891円) (PM)1台 (C)4台 (DA)1台 (EX)0台 人時生産性:7,445円/時
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名古屋氏の西側にある甚目寺町のKeePer LABO甚目寺店から、
新しい大看板が取り付けられた写真が送られてきました。
今年も1月早々から既存店の改善とキャパシティアップの工事が進んでいます。
2月は新店がありませんが、
改造完了の店舗が5~6店舗もあって、着実に進んでいます。
店舗部は休みなしです。ご苦労様です。
この会社は、まったく止まりません。
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2024年01月24日(水曜日)
01.24.前話の続編。みんなが生き残るのか、みんないなくなるのか。
50年前、現金安の看板を上げた翌日から現金客がどっと増えて、売り上げは二倍から三倍、四倍とどんどん上がっていって、会社からは褒めされた。しかし、私は、あの時の事は、嬉しい思い出として残っていない。
50年前のガソリンスタンド業界は、ブロック会での何気ない会話で、お互いに足を引っ張るような安売りはやめようと暗黙の内に示し合って、零細規模のガソリンスタンドの親父が、無数、平和に暮らしていた。
そこに私は”安売り”という必殺技を振り回して乱入、自分が一番多く売りたい、儲けたい。と、一瞬に平和をかき乱した。それは結果的に消費者に安くガソリンを提供したことであり、非難されることではない。それに現金安の看板を出したのはこの地方としては私が初めてであったが、全国レベルでは最初ではなかった。この後の時代、日本国中に安値看板のガソリンスタンドが溢れたことを考えると、平和を乱したのは私ではなく時代の流れであったのであろう。
ガソリンスタンドは、燃料という厳しく規格の元に造られた付加価値が画一の商品を販売する商売です。隣の店と全く同じ付加価値の商品を売る商売とは他を見てもそう多くはありません。商品そのものでは競争出来ないのです。だから競争するとしたらその商品を提供する時の「接客の良さ」「便利さ」「値段」、その中でいちばん強烈なのはもちろん「値段」です。店頭価格を安くするだけで即実行でき、「接客の良さ」のように絶え間ない努力も必要ないし、「便利さ」のように知恵もコストも要らない。他店よりも安くするだけでいい。他店より安く売って、他店よりたくさんの数を売ればいい。それだけです。同業者からは平和を乱す者として悪者扱いですが、消費者からは歓迎されます。お客様から支持されたものが勝ちであり、負けた者は淘汰され勝者が生き残ります。
しかしサステナビリティが叫ばれている今、みんなが生き残るために何をすべきなのか、みんなが生き残るために何をどう変えなければならないのかを、今、皆で考えています。地球の気候温暖化問題は生き残る勝者も敗者もない。みんなが生き残れれば勝ちであり、負ければ誰も生き残れないのでしょう。勝者だけが生き残るという淘汰の論理が通用しないのだから、根本的な発想の転換が必要なのかもしれません。
50年前のことを思い出していて、そんなことを考えました。
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