2025年02月17日(月曜日)
02.17. いる。行く。聞く。書く。見る。・・それ自体は目的にならない。
店長会議とか、地区担当会議とか、部長会議とか、
あるいは店舗会議など
それぞれ役職の人が会議で集まることがあります。
それぞれの会議には、それぞれの目的があるのですが、
その会議に出席する人には
自分の意見を一切言わず、席にいるだけ、
聞くだけ、メモを書くだけの人がたまにいます。
たぶん
その人はこの会議に出席して、聞いて、書いて、
自分の職場に帰ってから、
みんなに伝える為にそうしているのだと思います。
だとするならば、
この人はこの会議に出て来る必要はなく、リモートでもいいでしょう。
あるいは実際に出席した人から聞けばいいだけです。
わざわざ時間と費用を使って、かつ給料を取りながらする出席ではありません。
会議とは議論をする場です。
議論して、みんなでやる仕事を良くする為により良い結論を出すのが目的です。
自分の意見も無い人が出る場ではなく、出る資格もありません。
仕事とは、人(社会)の為に価値を提供することであり、
その報酬は、価値を享受した人から(会社を通じて)受け取ります。
仕事には何らかの価値を提供(作る、加工、管理、等)するという目的があり、
その目的を達することで報酬を得ます。
あるいは目的を達せようとすることで報酬を得ます。
だから、
たとえば、
誰かがある役職に居続ける事で報酬を得ようとする事は、
本人の報酬を得る目的でその役職に居続けるのですから、仕事ではありません。
人(社会)の為に価値を提供するという仕事の目的がそこにないからです。
しかし、こういう人は、
信じられない程たくさんいます。
今の日本にはこういう”いるだけの人”を、退場させる方法がありません。
あるいは、
よくあるのは、ある役職の人が、
自分の守備範囲の店舗を見て回るために、
見るだけの為に、行くだけの事を仕事と勘違いしてやっている事もあります。
何の為に見るのか、見るだけの為にわざわざ行くのか、
行くだけなのになぜそれが仕事だと思っているのか。
全く分からないが、なぜか、見るだけの為に、わざわざ行くだけのことを
それが自分の仕事だと思っている人もいる。
何の目的に為に見るのか、
見てどうするのか、そんな事はほったらかしで、
行く事そのものを、仕事だと思っている者もいる。
仕事は、価値を生み出し、価値を提供するという目的があるのに、
見る為だけに行くだけなのに、それを仕事だと思っている人は、意外に多い。
仕事は、価値を提供するという目的があってこそ仕事であって、
行くだけ、見るだけ、いるだけ、書くだけは、仕事でも何でもない。
只の時間潰しで、何の役にも立たず、仕事でも何でもない。
ただ、そんな勘違いの者でも、退場させる方法は、中々ないものだ。
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2025年02月16日(日曜日)
02.16.メキシコの漁師でもあるまいが、やっぱりそうでしょうかね。
少しずつ仕事の量を減らして、
本気で去る用意をしようとしつつも、
この仕事が持っている可能性を、出来得る限りに実現したい気持ちが強くあって、
ふと、考えると、やっぱり全力で働いていて
ますます去れないようなドツボにはまっていく気もする。
メキシコの漁師の話でもあったように、
全力で働いて、いっぱいの金を稼いでも、そうでなくても、
結局求めている事とやっている事は、何も変わらない。
ただ、働いている事だけが、自分が求めている事なのかと気が付く。
どこまで行っても、何も満たされることはないだろう。
贅沢など全くしたいとは思わないし、
威張りたくもない。
チヤホヤされたくもない。
一体、自分は何を求めて働いているのだろうが、
ひょっとしたら、ただ、働いていたいだけなのかとふと気が付く。
自分も幸せになる訳でもなく、誰も幸せにしている訳でもない。
ただ、働いていたいだけなのかとふと気が付く。
私の場合は、起業しているので、
定年で仕事を取り上げられることはないので、まだマシだが。
今の状態で、不意に仕事がなくなると
本当に、気が狂ってしまうのかもしれない。
メキシコの漁師は言っていた。
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。」
「戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。」
「 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…
ああ、これでもう一日終わりだね」
そして、
「ハーバードビジネススクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。」と言ったビジネスの達人の旅行者は
もっといっぱい働いて、
漁を事業として大成功させれば、
「それから? その時は本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、」
「日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、」
「子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、」
「夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。
どうだい。すばらしいだろう」
こんな面白い話で、
事業は、単に金を儲ける為だけにやったら、
あるいは「楽をする」とか、「贅沢をする」為にやったら、
結果は虚しい事になる。
事業は「目的」をしっかり持ってすべきと、諭してくれた。
そして、先輩事業家で成功者である高橋さんが、
「事業家は死ぬまで現役で馬車馬の様に、働いて、バタっと倒れて死ぬ。」と、
凄く共感する話もしてくれました。
今日みたいに、
「今週は少し根を詰めたので、一日何もしない」と決めた日は、
テレビをつけっぱなしで見て、
でも、何を見たのか全く憶えてもいず、
時間だけが無駄に早く流れて、イライラして、連れ合いに当たったり、
とても優雅に休養していたとは言えない一日で、
とても損をしたような気がします。
こういう日をまた持ちたいとは、とても思いません。
どこかの店に行けば、どんなに楽しかったのかと思います。
でも、今日はみんな絶対忙しい筈なので、そうも行かないと思った訳です。
どうしたものでしょうかね。
やっぱり、
「死ぬまで現役で馬車馬の様に、働いて、バタっと倒れて死ぬ。」でしょうか。
高橋さんと一緒ですか。
う~~ん、やっぱりそうでしょうかね。
好きか嫌いかと言えば、私はこういうの好きじゃないんですけどね。
やっぱりそうでしょうかね。
私は、今、これが一番気に入っています。
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2025年02月16日(日曜日)
02.16. 長崎に、新店「KeePer LABO 長崎時津店」を訪ねて。
普通、「時津」と書けば、「ときづ」or「ときつ」と読む。
ところが、
LABO新店「KeePer LABO長崎時津店」の「時津」は、
「と・ぎ・つ」と読む。
なぜそうなのかは知りませんが、変わっていますね。
でも一度聞いたら忘れません。「と・ぎ・つ」「とぎつ」
長崎時津店は、「ながさき とぎつ てん」です。
昨日
朝一にホテルを出て、長崎県初の「KeePer LABO長崎時津店」に行きました。
この長崎県の時津は、読み方だけでなく、
びっくりさせられました。
高速道路「長崎道」から外れ、
山の中を通るバイパスを二つ経由して時津に着いたら、
本当に山の中を通ってきたのに、突然、賑やかな街のまん中に出るのです。
それも、有名な物販チェーン店「ベスト電機」とか「2ndストリート」等々
それなりのマーケットが無ければ出てこない物販チェーン店が
出ている中堅都市並みの賑わいの街中に、
山の中を走る道から、突然放り出されたように、出るのです。
多分、海岸線にそれなりの街が続いて賑わいのある地域に出るのだが、
その賑わいのある街の部分に接している山から、
バイパス経由で山腹に通されたトンネルから突然、街の真中に出たのでしょう。
そうだろうことは想像できるのですが、
それを唐突に経験すると、誰だってびっくりします。
そんな意表を突くような場所に出来たのが
「KeePer LABO長崎時津店」、フランチャイズ店です。
今期になってフランチャイズ店が解禁になったので多くなっています。
これからは、もっと多くの店舗がフランチャイズ店でたて続けに出てきます。
直営店も、頑張って出店して行かなくてはいけません。
KeePer LABO長崎時津店は賑やかに街の交差点にあって、
しかも、KeePer PRO SHOPを長くやっていて、
地域の業者さんや知り合いが多く、
たくさんの人に祝福されてのオープンです。
だから、まだ店舗は”花”だらけで、
通常の営業になりつつある途中のような状態です。
下の写真は、この店舗のホームページに有った
オープン当初のお花だらけの時の写真
しかし、来店されるお客様は、
元からの知り合いはKeePer PRO SHOPの時代に、
ほとんどキーパーコーティングしてくれているので、
LABOを開店してからの来お客様は、
「新規」のお客様がほとんどだと中嶋社長が言っていました。
これは、非常にいい兆しです。
知り合いの多い人がオープンすると、その知り合いがいっぱい来るが
オープンのその時だけが賑やかになりますが、
知り合いの方は多いと言っても限られているので、
じきに途切れて、静かになってしまいます。
地域の新規のお客様なら、最初はそれ程でもなくても、
来店してのお客様の評判が良ければ、
次から次へと途切れなく新規に来てくれて、
その新規客がリピートして積もっていけば繁盛店になります。
店舗の評判が良ければ、
そしてマーケットの絶対数と濃さがあれば、
新規のお客様は次から次へと来ます。
と言っても、月間にせいぜい新規客数60~100人も来ていただければ十分です。
新規客数は運営が安定してくると、
来店客数全体の10%~15%(新規客数率)に落ち着きます。
それでも新規客数そのものは、安定した数があり続けるので、
1年後、
その新規数が月に60人~100人ならば、
そして来店客の新規客数率10%~15%ならば、
来店客数はミニマムで60人/15%=400人/月、
マックスで100人/10%=1,000人/月となり、
平均単価が現在、低くても平均で16,000円/台・人ぐらいなので、
売上のミニマムでも400人×16,000円=6,400,000円/月であり、
マックスでは、1,000人×16,000円=16,000,000円/月になります。
と、言っても16,000,000円/円は、
それなりのハードのキャパシティと技術者の数が必要なので、
それを短期で実現することは難しいとも言えます。
しかし、一年後に6,400,000円/月は、普通のことで、
それが12月ならば、
むしろ、そこまで行かないことの方が問題有りと言わざる得ません。
新店の所在するマーケットの濃さと立地と良否が必要以上確保できていれば、
あとは店舗の評判さえ良ければ60人/月は確保出来ます(比較的容易) 。
肝心なのはむしろ、良い評判が得られるべき店舗運営です。
店舗の良い評判とは、
・お客様がちゃんと、いつも歓迎されている事。(言葉、態度、)
・お客様を差別しない。一定の人(ひいき)を特別扱い(逆差別)をしない。
・お客様が不快を持たないハードのメンテナンス、クリンネス。
・お客様の言葉(意味・気持ち)を聞く事。
・お客様にこちらの売りたいものを売りつけない事。押し付けない事。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・
または、
たとえば、
ホームページとか、ラボブログで、
やたらと大きく商品名を連呼したり、
デカい字でくどくど、ギラギラさせたり、
いかにも、特定の商品を売りたがっている所を表現すると逆効果になります。
評判のいい店舗は、立地によっては時間がかかったとしても、
必ず、一定の線にまでは行きます。
しかし、当然、
圧倒的な商品の素の良さは必要です。
これは、KeePer技研(株)が全力で確保します。
加えて、
KeePerという価値を作り出す環境。(ブースなど)
KeePerという価値を作り出す技術者の技術力。
KeePerという価値を作り出す技術者の誠意。
これは最低限、絶対に必要です。
こんなことをいろいろと考えながら、
LABO長崎時津店を眺めて、そのメンバーを眺めて、
その姿勢を察して、とりあえず、大丈夫の心証をもって帰ってきました。
フランチャイズ店である分、目の届き方が疎になりがちです。
その分、KeePerの全員、緊張して対峙します。
ふくい君。
よしかわ店長。
たていし君。
なかしま社長。
LABO長崎時津店、とりあえず、大丈夫です。
ちゃんと離陸しています。それも、なかなかいい離陸です。
オーバースライダーの下2段の不透明部分はもうすぐ正常な透明判になるそうです。
高速道路から見た「大村湾」。
この風景を見ると、長崎に来たと実感が湧きます。
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2025年02月15日(土曜日)
02.15. 三十年前からの博多の楽しみ、旭軒の餃子。
昨日から博多に来ています。博多のホテルに泊まって、
朝、地元の地区担当佐伯君に迎えに来てもらって
長崎に走り
2月1日にオープンした新店「KeePer LABO長崎時津店」に行きます。
ならば、昨日のうちに長崎に入っていても良かったのですが、
博多にはもう一つの目的がありました。旭軒の餃子です。
博多に前泊して旭軒に行こうという魂胆です。
キーパーの営業で博多に通い始めたのは約30年前。
あの頃、私は全国各地に営業に回っていて、
それぞれの街に、出張の楽しみともいえる食の店が必ずあった。
仙台ならば「うまいもの処今井」、
東京ならば昼喫茶・夜居酒屋の「はつみ」、
広島なら広島焼の「大福」、
秋田は店の名前は忘れたが「きりたんぽ」の店、
多くはもう忘れてしまったが、
博多は断然「旭軒」の餃子であった。
ここには博多に泊まれば必ず行った。
メニューは、酒はビールから焼酎、日本酒などズラッと揃っているが、
料理は「焼き餃子(水餃子)」「手羽先」「めし」だけであった。
いわゆる餃子屋だ。
ここの餃子は変わっていて、すごく小さいだけでなく独特の味で、
あとで知ったのだが、ニンニクが入っていないのだそうだ。
だからか、いくらでも食べられる。
最初に焼き餃子を注文して、
焼けるのを待つ間に、用意してある手羽先を食べて、
焼き餃子は、まず一人3人前を注文するのが”通”で、
それはペロッと食えてしまう。
そうしたら、次は水餃子行くか、
続けてもう焼き餃子2人前ぐらい頼むか、迷うところだが、
今日は久しぶりで、私は年取って食が細くなっているので、
水餃子に行きつけないといけないので、
まず、水餃子を1人前頼んだ。
ここで終わるかと思ったが、
今日は調子がいいのか、おかしいのか、
そこからまた焼き餃子3人前に行ってしまった。
食べ過ぎである。
その間に生ビール中、芋焼酎湯割り2杯、芋焼酎ソーダ割2杯を飲んでいる。
明らかに飲み過ぎ、食べ過ぎである。
しかし、
私のことを覚えていてくれたオヤジさんと、
年を取るまでにやった病気の話とか、
コロナで死にそうになった話とかを聞いている内に、
また焼き餃子を食べたくなってもう2人前を食ってしまった。
それでも苦しいとか、気持ち悪いとかにならなかった。
ここの餃子は、たぶん野菜だけなのだろうか。
いくら食べても食べ過ぎになったことがない。
オヤジさんは、相変わらず元気であった。
今、71歳だという。
私より一つ下だったとは思わなかった。
店は息子さんに譲っていて、ご自分はもうフルタイムでは店に出ず、
一日に何時間か、体の調子を見ながら好きなだけ出ているのだそうだ。
私も、朝10時か11時の出勤で、夜は午後6時前後には退社する。
昔から考えたら半分くらいの労働時間で体力的にちょうどいい。
なので、オヤジさんと「いっしょだね~」とうなずきあった。
ムチャクチャ楽しかった旭軒の餃子でした。
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2025年02月14日(金曜日)
02.14. 10年前、上場した翌日に読んだ話「メキシコの漁師の話」
10年前、東証マザーズに株式上場して浮かれていた翌日
こんな話をメールで送ってきてくれた人がいました。
キーパープロショップ発祥の人、酒井さんです。
————————————————————————————————
「メキシコの漁師の話」
メキシコの田舎町。
海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、
漁師は、「自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だ」と言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、
漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。」
「戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。」
「 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…
ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバードビジネススクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。」
「いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。」
「お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。」
「その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。」
「そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。」
「その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。」
「きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? その時は本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、」
「日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、」
「子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、」
「夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。
どうだい。すばらしいだろう」
人生は遊びではないですが、労働でもありませんよね。
遊びと仕事の違いは、遊びは自己満足なのに対して、仕事って「人の役に立つ事」ことですよね。
もちろん、仕事には利益が必要ですが、その度合いはその仕事の目的によって違うだけです。
金儲けのために行う労働は、結局、メキシコの漁師のような話になってしまいます。
仕事は
二人称三人称でないと成り立たないもので、つまり人と関わる事すべては『仕事』なんですね。
そういう意味で、目的がある訳ですから、
社長は、引退なんてできない!一生仕事をするんだろうな〜と思っていましたよ。(笑
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そうですね。
仕事には、意識、無意識にかかわらず、”目的”があります。
その結果、たくさんの人から支持をいただいて、仕事がうまくいって、
株式の上場までさせていただきましたが、
そこから得られたお金やもので、
“楽”をしようとか、”贅沢”をしようと一応、色々考えたのですが、
そのどれもが欲しいものではないことに気付いて、イライラしました。
しかし、
仕事そのものに目的があるのだから、
“働いて”、それでいいのです。
たぶん、死ぬまで現役で馬車馬の様に、働いて、それでいいのでしょう。
「メキシコの漁師の話」で、また納得しました。
「死ぬまで馬車馬の様に、働いて」と口に出すと、涙が出てきます。
だから、それがいいのでしょう。
たぶん、私はそうしたいのでしょう。
以上、10年前、上場して三日後に私が書いたブログの一部です。
あの時に比べると、株価は確実に10倍以上になっていて、
株式の配当もあって、私の所得も何倍かになって、
昔に比べたら裕福になりました。
それに比して私は贅沢をしているかと言えば、そんなことはありません。
相変わらず、仕事をしているのが一番楽しいようで、
休みの日も、相変わらず苦手です。
食べるものも相方の作ってくれる食事は野菜中心で、
高級食材とはとんと縁がありません。
みんなと飲みに行っても相変わらず火鍋程度です。
自分の価値基準は、10年前も、
たぶん50年前もほぼ変わっていません。
あの頃から、
私はみんなと働いていれば十分に満たされていて、
今も、「死ぬまで馬車馬の様に、働いて」と口に出すと、涙が出てきます。
本当にそうしたいのでしょうね。
博多に向かう新幹線の中から「岡山」での夕日
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