谷 好通コラム

2023年05月27日(土曜日)

05.27.古い統一感のある街並みと、日本のバラバラの街並み。

ヨーロッパの街は、

何百年前からの石の建物が当たり前のように街を占めている。

新しい近代的な建材とデザインの現代建物もあることはあるが、

あくまでも古い石の建物の存在を邪魔しない様なデザインと地味な色で、

街の雰囲気の基調は、あくまでも石の建物が主役のしっとりした街並みだ。

それも観光の為に古い街並みを残す文化的な配慮がされた街ではなく、

どこもかしこも、みんなそんな街で、

古い石の建物が主役であり特別な事情でもない限り壊される事はないという。

しかし、その内装はと設備は、何回ものリフレッシュが施されて、

最新の生活の便利さが実現されている。

だから、外観から与えられるイメージより現代的な生活がそこにはある。

実際に石造りのホテルに何度も泊まったが、

近代的なホテルと何の遜色ない装備と快適な環境で不満を持ったことはない。

 

街の古い建物は、その高さ、屋根の色や、壁の色、窓の形、質感までが

統一性を持っていて、きちんと整理整頓された美しさがある。

その姿は、建設に関わる細かい規制とスタンダードがあって、

その細かさと規制の強さは、

日本で一番厳しい古い京都の部分の街並み規制の比ではないという。

ガチガチなのでしょう。

それを支えているのが「アベニュー」という「教会」への国家権力の不可侵。

 

ヨーロッパ文化に圧倒的な影響を持つキリスト教の教会に対しては、

国家権力といえども不可侵の文化があって、

その価値観が「個人の家」に対してもあって、

街並みの中での家の統一性には厳格でも、家の中は個人の自由みたいだ。

それでも、古い趣を大切にしている。

昔からずっと続く価値観を、とても大切にしている文化が根強い。

 

対して日本の文化は、街の景観というものには比較的無関心で、

それぞれの家は、家の高さとか建蔽率、用途などの規制はあっても、

その形、色はそれぞれの自由で、よほど奇抜な家でも規制はかからない。

コスパが高い、狭い面積で出来るだけ広い居住空間を突き詰めた合理的な家だ。

それでいて、周りの雰囲気から外れていない程度のかっこいい今風の外観。

日本人は皆と一緒にやっては行きたい

かといってあまりにも人より良くって目立つのも嫌だ。

 

それぞれの文化の違いが、

まるで違う街並みの様子でよくわかる。

 

でも、日本は街よりも、

新幹線の中から富士山を見た瞬間に日本の帰ってきた瞬間に「ニッポンだ。」と一番感じる。

 

 

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2023年05月26日(金曜日)

05.26.ドイツで元気をもらったのでしょうか。

帰りの飛行機の中です。

私はインターネットに疎いので、飛行機の中での接続がうまく行きません。

素直に同行の者に頼めばいいのでしょが、いちいち頼むのは面倒なので、

つい、ほったらかしになります。

接続は本に帰ってからやることにしました。

だから、この話も26日に会社に帰ってからアップします。

 

71歳になってドイツ訪問が出来ようとは思っていませんでした。

ドイツには3日間、実質たった二日間の滞在ですが、

目的をもって行動できた充実の二日間でした。

今回のドイツ訪問では、全般で車イスを使用して行動範囲を拡げたのです。

私は歩けないことはないのですが、

ほんの100mぐらい歩いただけで変形した足首の関節が悲鳴を上げるので、

普段は、それでも運動の為に無理して歩くようにしているのですが、

今回のドイツ訪問では、

最初からあきらめて車イスにずっと乗りました。

無理をするとかえって同行の人達に迷惑をかけます。

ではこれを機会に、完全に車イス生活になるかと言えば、

まだもう少し抵抗しようと思っています。

 

歳を重ねて、確実に体力が衰えていくのにはもう贖いようがありません。

それでも週2回のトレーニングは続けますが、

トレーニングのメニューが確実に軽くなっています。

今回のドイツ行きでつくづく思ったのは、

同じ年の連れ合いも、年を重ねるうちに膝の軟骨が削れて減り、

無理が利かなくなっているので、

連れ合いにいつまでも頼り続けることは出来ない事。

 

そう考えると、まだかろうじて動き回れる間に、

やるべきことを最大限実現することに全力を傾けなければなりません。

何を、どこまで、どのような形で実現していくのか、

真剣に、まだフルスロットルが効く頭と気力を振り絞って

隙間なく行動していこうと思います。

 

ドイツの訪問はこれが最後と決めていましたが、

ドイツ・ミュンヘン周辺の広大な畑の風景と、

空が晴れてれば必ず見られる空いっぱいが赤くなる不思議な夕焼けを、

どうすればまた見に来れるのか、考える気になってきたのは、

やはり、ドイツで元気をもらったのでしょうか。

 

マンフレッド ホフマン社長から

猿の道化師をかたどったマイセンの置物をプレゼントされました。

心が通じていたようです。

 

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2023年05月25日(木曜日)

05,25,ドイツ・ミュンヘン動物園での一日

インターネットとの接続がうまく行かず、

しばらくの間間が開いてしまいました。

三日ぶりのブログアップです。

 

15時間の苦しいフライトを終えてミュンヘンらにいたのは午後17時ごろ。

出迎えてくれたのは、私達より一週間前から出張に出ていた山下CFO。

彼女はスーパータフなCFOで、ドイツ出張の前にニューヨークに行って、

ニューヨークでのIR(機関投資家から取材を受ける)を二桁こなして

ドイツ・ミュンヘンに当日着いた。

私もやった事のある東回りの世界一周になる。

これは、時間がどんどん短くなる方向での世界一周でものすごく時差がキツイ。

これをやっても、平気な顔をしているのは驚異的なタフだ。

いずりにしても、

すぐに大きなバン型のタクシーに乗ってミュンヘン市内に向かう。

その日はミュンヘン市内の古いホテルに泊まるだけ。

ではなく、早速、飲みに出る。

日本から出てきたばかりの連中も時差で

強烈な睡魔との戦いになるかと思えば、ビールを飲んでしまえばただの飲み会。

たらふく飲んで、今が旬のアスパラガスとソーセージで腹いっぱいになった。

 

古い格式のあるホテルに戻り、ベッドに入ってもなかなか寝れず苦労したが、

それほど時差に苦しむ訳でもなく、

翌日は、今回のドイツ行きの目的の一つ、ミュンヘン動物園の見学に行った。

見物ではなく、本当に見学で、私にとってはとても勉強になった。

山ほどの写真を撮ったので、

説明なしで、とりあえず、写真を羅列してみます。

 

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2023年05月22日(月曜日)

05.22.ミュンヘンまで後3時間半。大きな地図では「キエフ」が見える。

もう12時間以上飛行機に乗ってる。

長距離の飛行機に乗るといつも思うのだれど、

機内食を出した後は、なぜ畿内をを真っ暗にするのだろう。

寝れる人は寝て、時差調整の意味であることは想像できるのだが

西向き時間が伸びる方向でも、東向き時間が短くなる方向でも、

同じ調子で、食後しばらくすると機内の照明を全部消して、

必要な人だけ、自分だけの為のスポットライトを点けて

本を読んだり、書いたりしたいる。

 

今回のフライトのように14時間余の飛行中ずっと昼間でも、

窓は13時間以上閉めっぱなしだ。

 

せっかく世界の地が10,000m上空からのパノラマで見られるのに勿体ない。

私は昔、頭から毛布を被って窓にくっつき、地上の大パノラマを堪能していた。

初心者・田舎者だと思われようが何だろうがへったくれでもない。見たいのだ。

今回は、残念ながら窓側の席ではなかったので、

しぶしぶ、おとなしくしている。

 

しかし、中央アジアからヨーロッパの地域に飛行機が入ってくると、

まっすぐミュンヘンの方向に向かって飛ばない。明らかに迂回している。

飛行状況を連続で案内する画面で、

広く地域が出る大縮尺の地図の場面では「キエフ(キーウ)」とか「黒海」とか

ウクライナ侵略でよく出てくる地名が地図の中に出てくる。

明らかに、その地域に少しでも近づかないように迂回した航路を取っている。

日本にいる時とはちょっと違う臨場感を少しだけ持つ一瞬だ。

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2023年05月22日(月曜日)

05.22. オーロラは絶対見えないだろう。

最近は、飛んでいる飛行機の中からでも投稿できる。

恐ろしいほど便利な時代になったものだ。

 

 

午前9時40分に羽田空港を飛び立ったルフトハンザ機は、

まっすぐ北極に向かって飛ぶかと思ったら、

真西に向かって飛んだ。

だから最初は若狭湾の上を通り、鳥取、島根の北方を飛んで、

韓国の釜山、中国の大連の近くを通って、中国内部に入って行く。

中央アジアの国々の名前が地図に出てくる。

 

私が、ロシアの右側をすり抜けて北極を通過してドイツに行くとばかり思っていたのは、

私の父、谷武が北極回りでチェコに行ったことがあったので、そう思い込んだ。

 

谷武がチェコに行ったのは私がまだ小学生だった頃、65年ほど前で、

冷戦時代で、日本がソ連やチェコとはまだ国交が無かったころ、

チェコで開かれた国際見本市に、

プラスチックスの射出成型機に画期的な発明を持っていた会社の技術者として、

国交も無いような国に、

つまりマーケットとしては完全なブルーオーシャンの共産国に

無謀にも、私の父、技術者のトップ・谷武は機械の売り込みに派遣されたのだ。

当時にすれば宇宙飛行士並みの冒険であったに違いない。

 

チェコ(当時はチェコスロバキア)へは、フランス経由で行ったそうだ。

そのフランスには、羽田からボーイング707で飛んだ。

この機は世界で最初に普及したターボジェットエンジン4発の旅客機で、

ターボジェットエンジンは現代のターボファンジェットエンジンに比べて、

相当に燃費が悪く、航続距離も短かったので、

アラスカのアンカレッジ空港に中継地として一旦降りて、

それから北極海を横断してヨーロッパに着いた。

もちろん、当時は冷戦時代だったのでソ連(当時のロシア)上空は飛べなかった。

 

だから、

アンカレッジ空港にはヨーロッパに行く日本人がいっぱいいて、

空港内には「うどん屋」などの和食屋がいっぱいあったという。

ヨーロッパから日本に帰ってくる時には、

最初に懐かしの日本の味を味わえたのは、

日本に帰ってからではなくアンカレッジだったと聞いたことがある。

 

そんな話が印象深く残っていて、

またロシア上空を飛べなくなったのなら、当然北極海周りだと思い込んだのだ。

 

しかし今飛んでいるような”西”回りは、

偏西風(時速約200km)に逆らって飛ぶので、スピードが出ない。

現に、今飛んでいる飛行機はエアバスA350-900という最新鋭機だが、

約10,000mの上空を対地速度700~800kmぐらいの速度しか出ていない。

逆に偏西風に乗って飛べば900~1000kmで飛べる。

なぜそうまでしてこのルートを使うかを考えると、

当然、帰りもこのルートを使って今度は偏西風に乗って飛ぶのだろう。

その

 

とすると、あさはかにも

ドイツからの帰りは夜間飛行になるから、

ひょっとしたら、北極海の上でオーロラが見えるかもしれないと想像した私は、

単なるのオッチョコチョイでしかなかった。

 

どうせ、今日は星占いが一番ドベだったので、こんなもんだろう。

あと、約7時間の飛行です。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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