2023年03月22日(水曜日)
03.22.祝WBC優勝、世界一! 酔っぱらってしまいました。
今日の決勝戦の時間には、仕事の予定があったので
「この予定、順延していただけないかなぁ~」と、一瞬思ったのですが、
仕事は仕事として、
WBCの決勝戦ごときでおざなりにしてはいけません。
として結局、ライブでは見なかったのですが、
それはそれで、仕事後、
日本が優勝したニュースを見た時は飛び上がりました。
優勝はいいですね。2位とか3位とかとは全く違います。
だからという訳ではありませんが、
今日はまた、皆と「火鍋」で食って飲んで酔っぱらってしまいました。
だから、今日はその写真だけです。
みんなで騒ぎながら飲むと、
楽しくて、楽しくて、みんな酔っぱらってしまいました。
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2023年03月21日(火曜日)
03,21.スポーツの試合で大声上げたのは久しぶりでした。
今日は午後からの仕事だったので、午前中は自宅にいて
週に二度のレストレーションという名の
年配者向けトレーニングを午前8時から受けていたのですが、
WBCの準決勝をやっていると聞き、
トレーニングをさぼりながらTVを見てしまいました。
私は特に野球が好きというわけでもなく、贔屓のチームもないのですが、
国別の対抗戦というのは、オリンピックと同じように妙に力が入るもので、
準決勝の試合が7回、8回と進んでくるにしたがって
トレーニングをほっぽらかしてトレーナーと一緒に盛り上がってしまいました。
そして、9回裏、
日本が劇的なサヨナラ勝ちを聞いた時には、
つい、大きな声で「やったー、勝ったーっ」叫んでしまったのです。
人類はみな兄弟、とは、
どこかの政治(宗教?)団体?ではありませんが、
世界中の人類のみならず、あらゆる生き物が
世界中で平和に暮らしていければいいと本当に思っています。
しかし、
日本×メキシコの準決勝戦では、
自然に日本チームを応援して、
日本が得点すると「ヨシッ」と思って喜ぶし、
メキシコが得点すると「クッソー」と思ってガッカリします。
今、メキシコから派遣されてきて、
愛知のLABO店舗で技術研修をしているメキシコ人スタッフがいます。
当然、メキシコ人なので
テレビでメキシコと日本が戦って
日本チームが勝つと皆が大喜びしている様を見て、どんな気持ちでしょう。
と言っても逆に、みんなが彼女に気を使ってコソコソ喜んでいたら、
かえって、彼女は気まずいでしょう。
だから多分、
そんな事は気にせずそれぞれが自国のチームを応援すればいいのでしょう。
ナショナリズムは戦争の元凶として、
戦後、国粋主義者が徹底的に排除されましたが、
1964年のオリンピックでは日本国中が
日本人選手と日本人チームを熱心に応援して、
日本人が金メダルを取ると、日本国中が爆発的に喜びました。
当時、12才の小僧だった谷 好通も、
女子バレー日本チームが優勝した時の興奮のテレビは今でもはっきり覚えています。
戦うと、競うは違うということだとは分かる。
競うは、
相手を負かすことはあっても殺しはしないが、
戦うは、
相手を殺す。さもなくば相手に自分が殺される。
だから、
競うは平和的で良いことだが、戦うは殺人を伴うので悪ということだろう。
しかし食物連鎖が、
強い者が弱い者を殺して食う事を、悪い事としていないし
「殺す」事そのものは自然の中では当たり前であることを示している。
そこには悪も善もない。
しかし食物連鎖としては
同じ種の間で殺し合うことをしないし、
人間のように、人と人が自分の意志ではなく権力者の強制で殺し合う現象は
明確に食物連鎖ではないので、自然の摂理からは外れており
だから、人と人が権力者から命じられて殺しあう戦争は、
自然の摂理とはかけ離れた異常な現象で、明らかな悪と言える。
なんてことを、
WBC準決勝戦で日本チームを夢中で応援して、
大逆転で勝って、大喜びをしている自分のことを思いながら、
午後からの会社行くまでの隙間のような時間にボーっと考えてしまいました。
人間も動物も、みんなが仲間です。
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2023年03月20日(月曜日)
03.20.ずっと梅だと思っていましたが、どうも花桃のようです。
自宅の近所に、百坪ぐらいの畑があって、
そこには、毎年春に素晴らしくきれいな花が咲く木がいっぱい植えてあります。
それは持ち主が、自分が見る為にだけではなくて、
みんなに見てもらいたいという暖かい気持ちを感じます。
この時期、毎年、この畑の前の道を自然に通ります。
でも、私はこの畑に咲いている花を「梅」だと思っていたのですが、
人の話だと、どうもこの花は「花桃」らしいのです。
私はどうして勘違いしてしまったのでしょう。
たぶん、誰もその勘違いを否定しなかったから、
それが正しいと思い続けたのでしょう。
人は、自分の勘違いを自分で正すのは、至難の技なのでしょうか。
人は自分で自分を否定することはとても難しいようです。
人から無駄に自分を肯定されると簡単に勘違いに入り、それに気が着きません。
私たちは、
たまたま置かれている自分の立場が肯定されただけでも、容易に勘違いに入ります。
私はてっきり「梅」だと思っていた花が「花桃」だと初めて気が着きました。
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2023年03月19日(日曜日)
03.19.既存店改装の必要性「18才は暴走するが、81才は逆走する。」
現在96店舗(1店舗休業)が稼働中のKeePer LABOが、
今年の秋にかけて18店舗もの新規店舗がオープンすると
担当最高責任者の専務が張り切っていました。。
新店開発のペースを上げていく為に
店舗開発チームを強化したのが半年前で、
それが成果が上がってきているのですが、
オープン時期が、それぞれの店舗でいろいろな理由で遅れたりして、
短い期間に集中してしまい、これから半年間が大変な時期になります。
そんな状態でも、既存店の作業環境改良の為や、
既存店のキャパシティアップの為の改装工事は手を緩めることはありません。
今の既存店舗でそれぞれに努力を続けていてくれている仲間達の為に、
新店オープンが混んでいるからと言って、
ハード面での改良も手を緩めていては申し訳ありません。
店舗部のメンバーには苦労を掛けますが、
私たちも含めて、あえて、みんなで頑張ります。
例えば10年近く前にスタートした「LABO上溝店」の増築プラン。
大きな倉庫の中に、LABO上溝店と横浜トレセンが同居している構造を、
倉庫の前の駐車場に3台分のブースと2台分の洗車兼仕上げ場を増築して、
横浜トレセンの範囲を自立して、その部分は、
土日の横浜トレセンが休みの時に、
LABO上溝店の広大な追加ブースとして使うプランです。
知り合いが面白い色紙を見つけて送ってくれました。
・道路を暴走するのが18才、道路を逆走するのが81才。
・心がもろいのが18才、 骨がもろいのが81才。
・恋に溺れるのが18才、 風呂で溺れるのが81才。
・まだ何も知らないのが18才、もう何も覚えていないのが81才。
・自分探しの旅をする18才、 出かけたまま分からなくなり皆が探している81才
私はこれを見て腹を抱えて大笑いしました。
年月は、同じ人(物)を確実に劣化させ、衰えさせます。
人は元に戻ること若返ることは出来ませんが、
LABO店舗は改修し、最新の考えを反映することによって
確実にパワーアップして、蘇らせることが出来ます。
新店を造っていくことだけでなく、既存店を蘇らせていくことも
そこに働く仲間たちの為にも、お客様の為にもすごく大切なことです。
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2023年03月18日(土曜日)
03.18.七十歳を越してからの1年1年は、まるで意味が違ってくる。
今日は、
私の71回目の誕生日です。
昨年3月の70才の誕生日は、
その前年11月に手術を受けた後の、
それに関連した二回の入院が終わって、やっと落ち着いた頃でした。
何か月かの静かな戦いが終わり、
数年間の70%のような状態から100%の完全な状態にすっかり生き返って、
まさに晴れ晴れした気分の70才の誕生日でした。
そして、あれからの1年間は、
せっかく生き返ってきたのだから悔いのない生き方をしたいと
物事から一切の躊躇を捨てた思いっきりのいい生活と仕事をしてきました。
昨年はそんな転機でもあった70才の日々でしたが、
71才になった今日は、
この1年間で仕掛けた事がどんどん形になってきて、
力強く前進する手応えを感じながらの節目の日であるような気がします。
この一年間を通じて思い続けたのは、
自分自身にとって今という時間が無限ではなく、必ず終わりのある有限であり、
何かをしようと考えた時、今までは
「いつかやろう。」とか「そのうちにやろう。」と思っていたことが、
とんでもなく勿体ない事をしていたとしみじみ感じ、
とにかく今やれる事は今の瞬間にやろうと思い、そうしてきました。
また、すべてにおいて、
自分は、いずれはいなくなるのだから
自分が今までやってきたことでも
他の人がやってくれることをなるべく良しとはするのだが、
それが無駄に遅くて間に合わない場合
とっとと自分でやってしまうしかないとして
躊躇なく、その人を排除してでも物事を進めてやってきました。
とはいっても、
それは今に始まったことではなく、今までだって、
「やれと言われたことをやるだけ。」の受身人間なんぞは放っておいて、
自分たちでとっととやって、さっさと先に行く。というのが、
元々の、わたしたち流であり、この会社流でした。
それがもっとキチンとそうなっているというだけなので、
私の周りは、今の私に何の違和感もないようです。
しかし、違うのは、、
私が、自分の終わりがやはりあり、
それが想像もつかないような遠くではなく、
もう、その存在が意識すべきところにある事を自覚したことでしょう。
だから、
自分の目標ともいうべきものが
時間的な限界を想定せざるを得ず
たとえば、あと5年間に行けるところまで行けたとするならば、
というような形で、具体的な想定値が自分の中に出来たことでしょうか。
具体的な想定値が出来ると、方法論も今までのままでは収まり切れません。
解りにくい書き方をしているかもしれませんが、
今までの行動の組み立て方が
「行き当たりばったり」
又は「今を起点とした積み上げ」だったものが、
「期限付きで目標値を設定し、それを実現する為の具体的行動を決定していく」
という普通の方式に変えていくことかもしれません。
それを口に出すとしたら
「少なくともあと5年は全力で働きたい。」
そして、その、あと5年で、
「このビジネスモデルが持っているポテンシャルの最高地点を実現してみたい。」
そんな妄想が渦巻く私の71才の誕生日でした。
家族が開いてくれたバースデーディナーにて
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