2025年03月09日(日曜日)
03.09.「安静は毒である」と、何かの本に書いてあった。
一昨日痛めた膝の痛みが気になりつつ
昨夜の2時ごろ目が覚め、寝相がいけなかったのか持病の腰の痛みになった。
夜中、コルセットを引っ張り出して装着したら、ほぼ痛みが引いたので、
この痛みは、前回このコルセットを造った時の腰の故障の続きのようだ。
腰の痛みは神経の痛みなので、
コルセットで腰を固定すればおさまるのだが、
コルセットを使い続けると、本来、腰を支える役割の筋肉が落ちてしまうので、
筋肉が落ちないようにリハビリあるいは筋トレのような運動が必要らしい。
その時読んだ本に「安静は毒」と書いてあった。
これは私もそう思っていて、
どんなにしんどい状態になっていても、
動ける部分は多少無理しても動かしていないと、
動いていた部分まで動かなくなってしまう。
だから、今はまだ痛みが増している時なので無理しない方が良さそうだが、
ちょっと落ち着いてきたら、また、筋トレを少しずつ始めようと思っています。
明日の月曜日からの一週間は、一日7件前後の用件が入った日が続きます。
そのうち2件は機関投資家とのIRで、真剣に集中する1時間が1日2回。
以前は3件入れる日もあったが、
どうしても集中が続かない時も出るので、1日2件までに決めています。
そこに金融関係が1~2件加わり、
会社のルーティンの会議などの用件が1~2件入り、
外からの不定期の用件が入ったり、開発の仕事が入ったり、
休憩中に企画の相談、報告が数件入ったりで、
大体一日のスケジュールが埋まります。
しかし、
すると、ふとしたチャンスにタイムリーに動けなくなってしまうので、
要件の間に微妙に隙間があって、無理やり用件をねじ込むこともある。
こうやって書いていくと、
ものすごいハードスケジュールに聞こえるが、
決してそんなことはなく、予定より短い時間で用件が終わる事もよくあって、
余った時間を喫煙室でボーっとしたりする事もよくある。
ただ、昔に比べて移動がほとんど無いので、
移動の為の隙間の時間はないし、
さらに、何らかの会議であったり、打ち合わせでも、
参加しているだけ、聞くだけの参加は絶対に無いので、無駄な時間はない。
そういった空間的な時間が無くなっている事はブラスの要素です.
ただ、最近思うのは、先までスケジュールをびっしり入れてしまうと、
ふと気が付くと、スケジュールをこなしているだけになりがちになって、
さらに、入ってきた用件を捌いているようになると、
自分からの発想が出てこなくなって、
行動が受動的になりがちになる。
特に、売り込みなんかにいちいち本気になって相手していると、
無駄な出費が発生するだけでなく、
発想と行動に一貫性がなくなってしまう。
売り込みは「こちらのお役に立ちたい」と言っても、
目的はやはり、何らかの物、事を売り込むことなので、
こちらの目的を達する為の一貫した行動に合致することは殆どない。
いずれにしても、
今、やらなければならない事、
今、解決しなければならない事を明確に認識し、
自らが立てたスケジュールを
主体的、着実に作って行って、実行して、
達成すべき状況を確実に造り出すことに集中すべきだろう。
「安静は毒である」と、何かの本に書いてあった。
勝手に入ってきたスケジュールに身を任して、
それをこなしているだけでは、
自ら動かず、安静にしているのと同じ。
こちらから、主体的に、能動的に目的を見据え、
受動的、安静的な毎日にピリオドを打ち、
自ら目的に向かって、能動的な毎日をスケジュールして行こうと思う。
富山の孫娘が高校を卒業して、関東の大学に進学するという。
孫の代までみんな独り立ちして、自らの意思で生きていこうとしている。
私だって負けていられない。
帰っていく前の昼ご飯は、
KeePer LABO新店のキックオフと同じ「ウナギのひつまぶし」である。
もう梅が満開です。
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2025年03月08日(土曜日)
03.08. 経営者は君臨する支配者か。管理者か。事務所は本社か。
これは私個人の価値観にもとづいての会社観、経営観です。
「会社とは。」で検索すると
ほぼ共通して「事業を行い、利益を出していくこと」と出ます。
会社の役割とは
「社会に何らかの価値を提供して、報酬を得、利益を出すこと」
だから、
このKeePer技研株式会社で言えば、
「社会に対して、
クルマの美しさという価値を造り出して、提供し、
お客様の満足からの報酬を得て、
従業員と会社に関わる全てを賄い、なおかつ利益を出して発展し成長する。
お客様からの報酬を、直接得る部門と、間接的に得る部門で構成される。」
だから、この会社の本体は、
価値を直接造り出す直営店舗の構成員であり、
間接的に価値を造り出す営業インストラクター達。
あるいは、価値を造り出すためのケミカル等の道具を開発し、維持する者たち。
その道具を全国に発送する出荷倉庫の構成員。
会社の本体が使った費用や、生み出した利益を整理して記帳するのが経理で
本体の活動の中で発生する雑多な事柄を処理するのが総務。
このような経理、総務、求人など事務所の仕事とは、
本体の活動に従属する形で縁の下の力持ち的な存在です。
しかし、これを管理部門という言い方をするので、
管理≒管理者≒上司みたいな感覚で、
下手をすると管理部門≒経営部門のような、
根本的な大勘違いが横行する事もよくあります。
会社の活動を立案し、動かし、コントロールするのは経営陣であり、
会社にとっての本社です。
事務所とは、本体の活動に付属する形で存在し縁の下の力持ち的な存在です。
しかし、この両者は同じ建物の中にあることが多く、
まとめて本社事務所などと言うので、
事務所=本社と間違いやすいので気を付けなければなりません。
だから事務所の人が、
自分達のことを「本社」と言うのは間違っているという事になります。
会社の社会的意義とは、
KeePerという価値を社会に提供する事。
それによって得られた利益を活用し、会社の活動をより拡大増強して、
会社が生み出す価値をより大きく成長させれば、会社が成長する。
だから、
そこから出てくる利益も、結果として、成長拡大する。
経営者とは、
その活動の中で、
それぞれが担った役割であって、
当然の事ながら、
会社の仕事に従事する者達の支配者でも何でもない。
勿論、会社の支配者でも何でもなく、
会社の所有権は株主に帰属していて、経営者は会社の所有者でもない。
経営者は、会社の活動を分析し、判断し、企画し、起動させ、
コントロールし、奮起させ、管理して、会社の目的を推し進めるのが役目。
間違っても、
支配し、君臨することではない。
むしろ、そんなことはどうでもいい事で、むしろ、邪魔でしかない。
勘違いからの君臨は、
会社にとって、さらに社員にとっての害毒にすらなる。
経営者が自らを支配者であるかのように錯覚するのは、
よくあることだが単なる錯覚でしかなく
錯覚でしかないのに君臨してしまうのは、よくあることだが滑稽でしかない。
しかし、
会社にとって、社員にとっては害毒になるので、排除する必要も出てくる。
以前、大会社が、組織の活性化を図る試みとして、
全国の拠点でカンパニー制をとり、
その拠点長を社長と呼称したことがあったが、
多くが失敗して、今ではほとんど廃止しています。
それは、それぞれのカンパニーに、
君臨してしまう勘違いが多発したからだと聞いたことがあります。
他山の石とせねばなりません。
世界が、化石燃料に支えられた文明から
カーボンニュートラルを前提とした文明に変わろうとしている時、
私たちの会社は、草創期、成長期、
一つの成熟を得、そこを経て、
いよいよ、世の中から必要とされる新しいモビリティベースとして、
普遍的に価値を提供していく新しい段階に入って行きます。
その大切な段階において、支配とか君臨とか、
それ自体には何の生産性もないようなくだらないものに囚われるようでは、
先行きはとても明るいものではないでしょう。
「社会に対して、
クルマの美しさという価値を造り出して、提供し、
同時に、車などに関わる更なる価値を探り、提供しながら
お客様の満足からの報酬を得て、
従業員と会社に関わる全てを賄い、なおかつ利益を出して発展し成長する。」
これを、総力を挙げて実現して行かねばなりません。
誰も君臨したり、支配などしなくても
犬・猫だって共存できるのだから、きっと大丈夫です。
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2025年03月07日(金曜日)
03.07. お客様の「声」「評判」「苦情」などが気になって仕方ない。
昨日、東京での仕事がいくつかあって、
最後の仕事で東京営業所の二階に階段でどうしても登らざるを得なくなって、
結局、上ったのですが、やっぱりひざを痛めてしまいました。
東京営業所の事務所は二階にあるので、
エレベーターをつけることになっていたのですが、
それが安い荷物用にエレベーターに節約されたので、
私はそれがどうしても嫌で、
東京営業所に行っても滅多に二階には上がらなかったのですが、
昨日はどうしても都合上、上る羽目になり無理したらやっぱり駄目でした。
人はどうしても自分の価値観と自分の都合で物事を見てしまうので、
本当の姿が見えなくなってしまっています。
しかし、自分の考えをしっかり持っていて自分の主張が強い人が、
そういう傾向が強いかと言うと、意外とそうではなく、
特に事業を起こしたような人達は、
事業を一人または少人数で始めているので、
従業員の一人一人に最初から思い入れがあるので、
単に人数で割り切れない想いがあって、
それが1,000人に増えても、
従業員には同じような種類の想いを持ち続けるところがあります。
当然、従業員は一人一人の人間なので、数で考えるものではありません。
しかし経営をデジタルで考えると、人は”数”になってしまいがちになります。
でも従業員に思い入れを持っていると、これはむしろ許せない事になります。
それはお客様に対してでも同じようなことがあって、
事業始めた頃の一人一人のお客様に対しての感謝の思いが身に染みていて、
それが年何百億円もの企業になって、
何百万人ものお客様の数になっても、
お客様の存在そのものに対してありがたいという想いが残っていて、
お客様の「声」「評判」「苦情」などが気になって仕方ない。
しかし、
お客様をデータでしか考えないと、
お客様の声などもただのデータで、その数とか比率でしかなく、
お客様の声の意味は分からないままでしょう。
物販などでは、
それでも通じるのかも知れませんが、
KeePerのように、その店舗で価値を作り出す「サービス業」では、
声に耳を貸さずに、数のデータで判断すると、見えるべきものが見えず、
まったくお客様から受け入れられない、上ッ滑りの冷たい運営になりがちです。
KeePer LABOが未だに唯一の存在なのは、実にそこに由来していて、
物販の事業では考えられないような
顧客満足と従業員満足の同時実現を生み出し、大きな実績を出しています。
物販はデジタルが万能であっても、
サービス業ではアナログがまだまだ幅を利かす領域で、
従業員への思いとか、お客様への思いが大切な要素になるビジネスです。
しかし、これは多分、私の希望的、願望なのでしょうね。
しかし、しかし、アナログは、
意外と舐めたものではありません。意外とすごいものなんですよ。ホント
昨日の東京駅は、東北新幹線にトラブルがあってので
構内はすごく混雑していましたが、
東海道新幹線のホームは、まだ午後7時半だというのに、ガラガラでした。
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2025年03月05日(水曜日)
03.05. 4月5日(土)24時~ テレ東「SUPER GT+KYOJO」
4月5日(土) の24時から始まる新テレビ番組の正式番組名が決まりました。
「RACING LABO SUPER GT+KYOJO」
これは、以前テレビ東京が放映していた番組「SUPER GTプラス」の後継で、
日本での人気ナンバー1のレース「SUPER GT」に加えて、
女性レーシングドライバーのみで争われる「KYOJO CUP (競争女子)」を
メインテーマにして、クルマを楽しめる番組にしていくそうです。
(メインキャスターは未発表なので、まだ書けません。)
KYOJO CUP (競争女子)に参加の、
びっくりするような数の女性レーシングドライバーたち。
KYOJO CUP (競争女子)とは関谷正徳氏が主宰するレースで、
日本国中の女性レーシングドライバーが、
本格的なフォーミュラカーでイコールコンディションの中、
抜きつ抜かれつの激烈なレースを繰り広げるエキサイティングなレースです。
関谷正徳氏とは、
日本人として初めてル・マン24hレースで優勝したドライバーで
元TOM’Sのエースドライバーとしても活躍した。
ドライバー引退後は、TOM’Sの監督として活躍し、
現在は、インタープロトスポーツ(略称IPS)を主宰すると同時に、
表記のKYOJO CUP (競争女子)を、私財を投げ打って主宰している。
去年までのKYOJOは、ちょっと玩具っぽい、
でも本格的な性能のVitaで争われていた。
でも今年からは本格的なフォーミュラでレースされることになっている。
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2025年03月04日(火曜日)
03.04. とても忙しい日々が続きます。今日はちょっと酩酊ですが。
一日に2件は入っている機関投資家とのIRは、
もちろん緊張するが、
むしろIRは、自分と自分のやっていることを確認し、見直せる機会で、
この会社が株式上場した意味があったことを実感する一つのいい機会です、
これを毎日2件ずつこなしながら、
かなり隙間なく並べられている色々な予定を、こなします。
というよりも、私は淡々とこなすという行為が苦手なので、
毎度、毎度、一つ一つの用件にのめり込みながら、熱中して仕事をします。
そんな、忙しい日々が続き、
私も、充実した日々を送らせていただいています。が、
昨日は、大府に泊まるというスタッフ何人かと晩御飯を共に食べました。
というより、一緒に酒を飲みました。
昔は酒が、毎日のエネルギーでしたが、
今は、ほどほどにしないと、かえってダメージになってしまいます。
酒を飲むなら、きちんと食べなければなりません。
年を取ってからの酒のつまみは、
軽い物よりも、こんな、しっかりした物の方が合っています。
昨日は、これを6人で二本分食べました。腹いっぱいです。
一つ一つが茶碗一杯分以上のボリュームです。
ちょっと前には八代亜紀が死んでショックでしたが、
一昨日は、”みのもんた”が死にました。
同じ年ぐらいの知っている人達が死んでいます。
私は、まだ、
彼らのようになるとは、とても思えなくて、
毎日、仕事に熱中してしまいますが、
いつ何があってもおかしくない年齢になってきていることは確かです。
仕事に熱中することは
それが別に楽しいという訳ではありませんが、
その時間が来て、その仕事が始まると、
必ずはまり込んで、必ず、熱中してしまいます。
と言っても、
私は、自分は仕事が趣味だと言われると、ちょっと反発するのです。
なぜそうなのかは、
正直、私にもよく分からないのですが、
間違いなく反発を感じるのです。
仕事は大好きであっても、それは趣味とは違います。
そこは譲れないところです。
今日、大好きな仕事に疲れて家でまた飲んだのですが、
それが、たまたま、ウォッカだったので、今日はちょっと酩酊になっています。
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