谷 好通コラム

2020年04月25日(土曜日)

4.25.公表パチンコ屋に客を集まめてしまった要請

大阪で、休業要請に応じないで営業を続けるパチンコ店に対して、
制裁的な意味で店名を公表したところ、
パチンコに飢えたファンが、
その公表されたパチンコ店に殺到して混雑しているとニュースが言っていました。
これではかえって「密集」を少数店で作り出し感染防止に逆行してしまう。
罰則を伴わない「要請」は、
こんなバカみたいな現象をも作り出すのか。
ならば、中途半端に休業要請などせずに、
パチンコ店にもソーシャルディスタンスを徹底させて、
パチンコ台が3~4台置きになるように椅子を撤去し、
どの店舗もガラガラになるようにして、
パチンコ店のドアを開けっぱなしにさせて常時換気をして
全店開けさせた方が良いのではない

 

ステイホームというが、これって、
若年層に多いと想像される無症状保菌者、
つまり息子・娘と年齢の高い両親、祖父母との密接、密閉を促進してしまい、
かえって、家庭内クラスター発生の温床になるのではないか。
あるいは
精神的な意味でも開放を求めて「大きな公園」に行く人が増えたとして、
郊外の大きな公園の駐車場を閉め切ったりするのは、
「密閉」「密接」を逃れてきた人々に対してかえって犯罪的な行為ではないか。

 

そんなことを考えると、
必ずしも、「・・しない」ことを優先して家に「密閉」「密接」しているよりも、
「密集」「密閉」「密接」を十分に避けて、
消毒除菌と防備に配慮しながら、
開放的に仕事をしていた方が安全ではないか。

 

その仕事が社会的に求められている仕事ならば、なおさらではないか。
そんなことを今日一日考えました。

 

 

郊外には気持ちのいい公園が必ずあります。

 

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2020年04月24日(金曜日)

4.24.実はBCGのおかげか?

軽症だからといって、
新型コロナウィルスに対して陰性か陽性かも検査してもらえなかった人が、
自分が陽性とは知らないので、
人にうつす様な行為を知らずにやってしまっていて、
感染経路が分からない患者をいっぱい作ってしまったのは、
医療崩壊を避けるためにPCR検査を極力しなかった施策が、
成功だったのか失敗だったのか、この後、感染爆発が起こるかどうかで決まる。

 

今のところ、中国やイタリア、スペイン、アメリカのように
万人単位で死者が出ているような恐ろしい感染爆発が起きた国に比べると、
日本おける感染者は、
都市封鎖を行っていないにもかかわらず
その絶対数にしても、人口に比する相対数にしても、圧倒的に少ない。
死者はもっと少ない。

 

そのことがPCR検査を極力しない施策が正しかった結果なのかどうか、
これから感染爆発が起きるかどうかにかかっている。
あるいは、日本で感染者と死者が圧倒的に少ないのは、
天然痘のワクチン「BCG」の接種が1951年生まれの人以降、密に実行されていて
たまたま新型コロナウィルスに対する免疫を、
ある程度、身に着けている人が多いからだというウワサもある。
感染爆発が起きた国は、
統計的にみるとBCGの普及が低い国だとするウワサもよく聞く。
何が正しいのか、
感染者がゼロには抑えられていない今現在、
本当にこのまま感染爆発が起きずに終息してしまえば、
何が効果的であったのか検証が行われてはっきりするのだろうが、
まだ、これから本格的な感染爆発が起きて、
イタリアやスペイン、アメリカのような悲惨な状態になるかどうか
まだ、判らないので、
これらの国がやったような強制力を持った都市封鎖もせずに、
人と人の接触を減らす”運動”をやっている日本の現状が、
本当にこれでいいのか、どうか。
まだ、誰にも分らない。

 

しかし、このまま感染者が圧倒的に少ないまま、死者があまりにも少ないまま、
自然に終息するようなことがあったら、
その勝利の原因がBCGにあったのか、
PCR検査を積極的にしない乱暴な施策が成功だったのか、
いずれは解る事だろう。
このまま感染爆発が起きずに、万人単位の死者が出なければ。

 

そう願うばかりだが。

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2020年04月22日(水曜日)

4.22.チーちゃんは昔からケイスケ君に恋していたんだ

今年の三月、高校受験に成功したケイスケ君が、私の家に来た時、
老猫のチーちゃんが、ケイスケ君に恋しているような振る舞いをしたことを
三月22日にせつない話、とっても切ない話という題名で書いた。

 

あれからもう一か月経つが、
せっかく合格して高校が休校で、
ケイスケ君はその学校でまだお勉強していず、
自宅での自習に明け暮れていると、
ケイスケ君のお母さん、つまり私の娘からメールで言ってきた。

そのメールに「昔の写真を見つけた」と数枚の写真が添付されていた。
その写真の中に、思いもよらぬ写真があって、
私は思わず声を出した
「チーちゃんは昔からケイスケ君に恋していたんだ」
何年か前、
前の家に遊びに来ていたケイスケ君たちが、
泊った二階の部屋で、
滅多なことでは二階には行かなかったチーちゃんが、
ケイスケ君の布団の上で、あられもない格好で寝ているではないか。
こんな乱れた寝姿のチーちゃんを見たことがない。

 

 

チーちゃんは、こんな昔からケイスケ君に恋をしていたようだった。

 

15歳になったチーちゃんは、
人に媚を売るようなことをしない、凛とした猫で、
高貴なプライドを持った立派な猫だとずっと思って来たが、
ずっとケイスケ君に恋していたとは、
私は、余計にチーちゃんを、せつなくも、いとおしく思えてきたのでした。

 

 

送られてきた何年か前の写真。

 

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2020年04月20日(月曜日)

4.20.地上高5cmを100km/hで走っていた頃

実は、日曜日の昨日、
岐阜県瑞浪の瑞浪レイクウェーサーキットという
レーシングカート用のサーキットに行ってきました。

 

この日は家でゴロゴロしていると決めていたのですが、
じっとしているのが苦手な私がちょっとイライラしていると、
連れ合いが「瑞浪のサーキット、まだ、あるのかなぁ。行ってみようか」と、
珍しく誘ってくれたので乗ったのです。
瑞浪のサーキットは、超が付くぐらい山奥にあって、
だだっ広く、カートが大好きな変わり者がほんの少人数いるだけで、
完璧なまでに観客は一人もいず、
三密とは正反対の環境なので、断る理由もなく、出かけたものです。

 

 

たぶん30年近く前の事ですが
私は家内とガソリンスタンドで起業して、
紆余曲折の上、洗車とコーティングのビジネスに転換しつつあった頃、
そろそろ40歳に近くなっていた頃、
私は、この瑞浪レイクウェーサーキットを、
ヤマハKT100という一番ベーシックなレーシングカートで走っていました。

 

実は、今、事務所で総務を担当して責任者をやっている神谷君は、
学生の頃、私が起業したスタンドでアルバイトをしてくれていた事があります。
大学が国立の夜間だったので、昼、社員のように働いていました。
というと苦学生のように聞こえますが、そんなことはありません。
彼は、レーシングカートに入れ込んでいて、
その入れ込みようは半端ではなく、
レーシングカートの最高峰の全日本シリーズに挑戦していたのです。
レーシングカートは、本物の車を使ったレースより
はるかに安価でレースをすることが出来ましたが、
全日本クラスになると、レースごとにエンジンオーバーホールして、
タイヤも湯水のように新品を使います。
全日本選手権を全戦挑戦するには、百万円単位の費用が要って、
ガソリンスタンドのアルバイトの収入だけでは、とても賄い切れません。
それでも、
今現在スーパーGTで走っている一流ドライバーや。
果てはF1ドライバーですら、最初はレーシングカートで走って、勝って、
上に上がってきた人がほとんどで、そういう意味では、
本気でレーサーを目指すとしたら、正当なルートであったことは事実です。
しかし、本物のレーサーたちはカートを小学生の頃から初めており、
「始めるのが遅かった」と自分で言う平川亮でも中学校から乗っていました。
だから、
大学生でレーシングカートに乗って全日本選手権に出ていた神谷君は、
プロを目指すエリートクラスでないことは間違いないのですが、
大人になってからたまたま乗ったレーシングカートで、
人よりも速かった神谷君は、
すっかり「自分は天才?」と勘違いして、一直線にレーサーを目指したのです。
そして、全日本選手権に挑戦しながら、
株式会社タニのガソリンスタンドでアルバイトをして、賄っていたのですが、
途中で資金に詰まって、ある時、私に相談してきました。
「1レースごと3万円?のスポンサーをして下さい。」と。

 

私と会社にとって初めてのレースのスポンサー話は、
レーシングカートに乗るアルバイトスタッフへのスポンサードだったのです。
ある意味、私のレースへの泥沼の第一歩がこの神谷君であった訳です。
私はこういう無茶が好きだったので、
清水の舞台から飛び降りるつもりで
1レース3万円のスポンサーになりました。

 

一応、レースドライバーのスポンサーになった訳なので、
レーシングカートの全日本選手権とやらを見に行ったのですが、
それが瑞浪レイクウェーサーキットで、
1周1km足らずのミニサーキットですが、
カートの世界では全日本クラスの一流サーキットだったのです。
設備はほとんど何もありませんが、カートの最高の舞台である全日本では、
何十人かの観客がいました。たぶん全員、選手の関係者ばかりです。

 

写真は神谷君と、カートは私のKT100

 

そこでの神谷君はなかなか勝てない選手でしたが、

見ていて、彼から「一度、谷さんも走ってみません。面白いですよ。」と
誘われているうちに、
馬鹿な私は、その気になって、自分のカートを買って、
瑞浪レイクウェーサーキットを走るアホナおっさんになっていたのです。

 

あれから何年か経って、
レーシングカートから四輪のレースカーに乗るようになって、
スポンサードもレーシングカートから、
スーパー耐久を経てスーパーGTになって、
ドライバーも神谷君から、
日本のトップドライバー平川亮とニックキャシディーで、
2017年にはシーズンチャンピオンを取ったりして、
KeePerのブランディングに一役買ってもらっています。

 

そのKeePerのルーツが神谷君のカートだった訳です。

 

しかし、瑞浪レイクウェーは、
30年前と見事に何も変わっていませんでした。進歩もしていません。
いる人間も、みんなレーサー顔をして、30年前とほんとに一緒です。
まるでタイムマシンに乗って30年前に舞い戻ったかのようでした。

 

地上高5cmを100km/hで走っていた頃

 

谷 好通がバカボンだったころ

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2020年04月18日(土曜日)

4.18.家でのんびりするのが一番

「接触」を減らすことが一番必要というので、
本当は家でのんびりしているのが一番だと思うのですが、
進めなければならないことがあって、
今日は特販部のメンバーが集まって、
全員がマスクで防御して、強風の中、窓を開けて換気をしながら、
約5時間のミーティングをした。

 

 

今は夜飲みに出たりする者は一人もいないし
体調が不良であったり、熱が出ている者は一人もいないので
大丈夫だとは思うが、いい加減にこんなこともやめなくてはいけない。

 

早めに仕事を終えて家に帰ってきても、
テレビを点ければ、
気が滅入ってくるような新型コロナニュースばかりで、楽しくはない。
布団を引いてゴロンとしていると、
背中のところで小ミミとリンダが飽きもせずにずっと遊んでいる。
平和でいいなあと思う。
この平和の為にも、家でゴロンとしているのが一番良さそうだ。
明日はどこにも行かずにゴロンとしていよう。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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