谷 好通コラム

2024年02月18日(日曜日)

02.18. 19話. 一晩掛けて磨いたのはただの自己満足だったか

1992年月1月 洗車とコーティングの専門店「クリーンベースWith」

ガソリン無しのガソリンスタンドで一年間食いつないでいくには何か武器が要るので、当時流行り始めた「ポリマーコーティング」を横浜まで習いに行くことにしました。一日おきに日帰りで横浜まで行く大変な日々で、私の人生の中でも最も過酷な時間を過ごしていた時期でした。

そこで習ったのは、ポリッシャーを使う「塗装の研磨」と「ポリマーコーティング」。更に横浜のモービルクリーンベース高木専務から学んだ最も大きな教訓は「売るのではなく、教えることが最強だ。」ということ。洗車とポリマーコーティングの専門店「クリーンベースWith」が開店した。

1992年10月 ソアラに乗った娘さんは、どうしても車に近づかなかった。

「研磨」と「ポリマーコーティング」は、魅力的な美しい商品であったが7万円かけてまで欲しがる人は一部のマニアックな人だけ。値段は高くて儲かったが数は全く売れない。数を売る為に使った宣伝広告費の方がむしろかかった。ある時、地元のちょっとした工場の社長の娘さんが高価な「ソアラ」に乗って「ハードシールド」という名の研磨+ポリマーコーティングを注文してくれた。滅多に売れないハードシールドが売れたので、私たちは張り切って、職人魂に火をつけ一晩かけて磨きに磨いて、ほんのちょっとの傷まで無いように全神経を傾けて磨いた。我ながら見事に磨けたそのソアラにポリマーコーティングを塗って仕上げた。

その後娘さんが取りに来られたので、磨き上げた極上の肌を見ていただこうと「どうぞ近づいて見て下さい。この辺なんかぞくっとするような肌に仕上がっていますよ。」と言って、塗装の肌を指して示すが、娘さんは逆に、車からだんだん離れて、全体を見渡すように車を見て「すごいっ!キレイ」という。そこで私は「そんなに離れたらせっかくの磨き上げた肌が見えませんよ。」と言うが、娘さんは「いえ、充分キレイですよ。ものすごくキレイです。」と、かえって車から離れる。その時私は「まぁ素人だから、この良さは判らなくても仕方ないか。」と思った。極上の仕上りはプロの目で見て初めて分かるものだった。

しかし同時に「これではまったくダメだな。」とも思ったのでした。お客様は、すべて普通に素人だ。当たり前だ。普通の人が欲しがるような商品でなければ提供する意味なんて全くない。一晩掛けて磨いたのはただの自己満足だったことに気が着いたのでした。

 

クリーンベースWithは。車好き達で賑わったが、収益的には全然だった。

画面左の黄色い箱の下に計量器が隠されている。

(1年後すぐにガソリンスタンドが出来るように)

 

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2024年02月18日(日曜日)

02.18. 18話の書き直し。実績も増員も出来、2店目用地を買った、が・

1987~90

私のバカな勘違いに気づかされた後、私の何かが変わったのでしょうか、徐々に増員が出来始めて、社員を大切にする会社らしい会社になっていった。そういたら実績も上がり、資金も出来、増員も出来てきた。この四年間は仕事も順調で資金的にも余裕があり、ちっぽけな表彰も受けて、元売りからの接待も受けて、仕事の居心地も良くて平和であり、世の中には一店舗で終わる会社が多いが、きっと、こんなぬくぬくの布団の中の居心地から抜け出せなくのだろう。

しかし、つまらない。猛烈につまらなくて、次の店舗の土地探しを必死でやっていた。それでやっと見つけたのは1号店から南に3km程離れただけの松坂町132坪の土地で、交通量からみてもマーケット的にも、今だったら絶対に手を出さない土地です。しかも、この土地を買ってしまったのです。先がまだ見えない内から始まる6,600万円もの借金の返済。

 

1991年 ガソリンが扱えない。仕方なく洗車とコーティング。

無理して買った132坪の土地だが、もう一つ厄介な大きな問題があった。その頃の日本にはガソリンスタンドの総量規制があるが(日本国中のどこかのガソリンスタンドを1店舗閉めなければ、新ガソリンスタンドを開くことが出来ない)、販売力のある㈱タニが借金までして土地を買い、新しいガソリンスタンドを造ろうというのだから、元売りさんは、全国のどこかのあまり売れないガソリンスタンドを閉めてくれて、㈱タニにガソリンスタンドの権利を造ってくれるだろうと”甘く”考えていたが、もちろん世の中はそんなに甘くはなく、誰もガソリンスタンドを閉めてはくれなかった。

しかし、総量規制は暫定措置法で規制が切れるのは1年間。ガソリンスタンドの施設を造ってしまっても、1年間、ガソリン無しで運営すればいい訳で、つまり他の事をやりながら1年間食いつなげば問題ない。それが、ガソリンスタンドで起業した会社が、コーティングの会社として大きく発展した元々の原因だったのです。つまり、谷 好通が世の中を舐めた所から始まっているのです。

あれから二十数年後、売却され、住宅展示に使われているあの時の松坂町の土地の今。

 

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2024年02月17日(土曜日)

02.17.新店候補地は✖でも、LABO長町店と泉インター店は二重丸。

今は仙台から帰る新幹線の中、

結局、朝はまっすぐ仙台に行って新店候補地を2件見に行ったが、

両方とも残念ながら×であった。

みんなはどうも前面道路の交通量の多さを優先しているようだが、

視認性が良いことはプラスではあるが決して決定要素ではない。

 

KeePer LABOに来られる新しいお客様は、

通りがかりのついで寄ってみたというお客様はほとんどいず、

口コミとか、何かの記事を見たからとか、YouTubeで見たとか、

何らかで知り、KeePer LABOに興味や好意、

あるいは何らかの期待を持って来られることが多いので、

KeePer LABO店舗を目的地としてNAVIで来られるので、

前面道路の交通量の多さは、

新店候補の選定基準の順位で言えば、下位ではないが

「視認性が良いことはプラスではあるが決して決定要素ではない。」と同様、

それを基準で選んではいけない。

 

いずれにしても、見に行って良かったと思います。

どんな風にして探すのか、実際を見ながら、色々と話が出来ました。

12時51分に仙台に着いて、

新店候補物件を見終わったのは、14時半、

ここから福島の新規物件を見に行くか、

仙台のKeePer LABOのみんなに会いに行くか、迷って、

結局、仙台のみんなに会いに行くことにした。

 

KeePer LABO仙台長町店。

9年前にブリジストンタイヤの営業所が空いたので借り、

改装してKeePer LABO仙台長町店とした。

初代店長は亡くなった渡辺篤君。

今の仙台営業所の責任者もこの店の店長をやっている。

東北に関わる何らかの責任者の多くがこの店の店長をやっている。

キャパシティは、先ごろの改装工事でかなり大きくなったが、

やはり小型の店舗であり続けている事には変わりない。

先月1月は、仙台には珍しい大雪で、最近では初めて予算を落としていたが、

今月からは、また予算連続達成街道をまっしぐらである。

雪国ではアンダーコートの需要がすごく高いのだそうです。

これは元タイヤ屋さんだったLABO長町店ならではのリフトで、すごく便利でした。

せがわさんに店長と一緒に写真いいですか?と聞いたら、もちろんOKでした。

藤原店長実績だけでなく、・・・・大 OKです。

当然、皆さんのご期待に応えて、せがわさんはピンでアップです。

だから、当然、さとうさんもピンでドアップです。。

ついでに、ちば君のピンドアップ

もう一人ついでに、さいとう君もピンドアップ。

 

そして、30km離れた

KeePer LABO泉インター店。

確か4年前にドライブショップ「ジェームス泉インター店」の駐車場に出来た。

ここは、長町店より更にキャパシティが小さく、大変なのです。

しかも、前面道路からは直接走ることが出来ず、

手前の方で側道に入ってからしか入店することが出来ない。

まさに、この店を目的にして来ないと入れない構造になっている。

視認性は良いのですが、入り方を知らないと、

或いはNAVIに誘導してもらわないと入れない店なのです。

ここも、育休中の菊壽君が、昔、店長を務めた時から何かが吹っ切れたように

凄い実績を出し始めて、ずっと続いています。すごい店です。

ひきち君とひのした訓。

さとう君とさとう君。兄弟?、それともたまたま?、でも親子ではなさそうです。

ファンがいっぱいいそうです。はたけやまさん。

 

東北のボスがいました。表情が柔らかくて、嬉しかったです。

 

新幹線を使っての仙台への日帰り出張の一日でした。

結果は、

新店候補地はバツだったが、LABO長町店と泉インター店は二重丸。でした。

 

頂上付近は吹雪いているのでしょうか。蔵王の山々。

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2024年02月17日(土曜日)

02.17. 計画と実行は「目的」を明確にすることが一番大切です。

今、新幹線に乗り東京経由で仙台に向かっています。

一番の目的は仙台のKeePer LABO新店候補物件を見に行くことです。

ただし、

今回の出張は、最初はまだ未訪問のLABO秋田南店に行くことで計画し、

その流れで仙台の新店候補を見に行くことにしていたものです。

今日の朝9時台の飛行機に乗って10時過ぎに秋田空港→LABO秋田南店。

それから3時間半車に乗って仙台に行き、新店候補物件を見る予定でした。

そして仙台から新幹線で帰れば日帰りで目的を果たせる予定を組んだのです。

 

しかし、これはちょっと強行軍過ぎるかと思い、

体力を考え、LABO秋田南店に行くことを止めて、

仙台だけの日帰りにすべきと思い直し、をのように手配したら、

福島にも新店候補物件が出ている事を竹内部長に言われて、

それなら、最初に郡山に行って、LABO郡山店に久しぶりに行き、

福島は隣町なので、車で郡山から福島に行けば福島の新店候補も見られる。

それから仙台に走れば仙台の新店候補物件を見た上で日帰りになる、となって、

いざ当日になったら、

最後のプランの方がよっぽど強行軍である事に気が着いた。

そこで、今やるべき目的に優先順位をつけたら、

仙台の新店候補物件を見る事となって、とりあえずまず仙台に新幹線で行って、

目的を果たした上で福島の物件に行くか、

仙台の店舗を訪問するか、時間の都合を見ながら決めようとなって、

今、仙台に向かって新幹線に乗っているのです。

しかし、失敗だったのは、

乗り継ぎの関係で仙台に到着が12:51となっており、

それから仙台の新店候補を見ていたら、

福島まで行って、福島で物件を見て帰るとずいぶん遅くなってしまいます。

そうなると福島には行けないかもしれません。

 

となると最初に計画した

秋田に飛行機で飛んで、LABO秋田南店を見てから仙台に行った方が、

日帰りするにしても、よほど軽くなります。

 

新幹線での名古屋→東京→仙台は、アクセスの都合で意外と遅いのです。

 

計画というものは、最初に立てた計画に、

「せっかく行くのだから」と、色々と欲張って追加変更していると無理が出て、

それをまた無理を軽減するような変更している内に、

結局、最初に計画したプランの方がよほど良かった結果になって、

反省することになります。

 

これば事業と同じですね。

目的を明確にして計画を立てないと、

計画を実行する段階で修正をかけている内に目的が見えなくなってしまい、

成果の出ない事になってしまいます。

 

久しぶり後悔と共に新幹線に乗っています。

 

計画と実行は「目的」を明確にすることが一番大切です。

 

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2024年02月16日(金曜日)

02.16. 18話.人も増えて、会社は順調。そして土地は買ったが、

起業して社長になり、自分が偉くなったような勘違いをして、偉そうな振る舞いと言動で、社員が居つかず、連れ合いにも負担が大きくかかり体まで壊させてしまった失敗で、馬鹿社長はやっと目が覚めたのでした。せっかく起業して店舗が忙しくなったのに、従業員をキチンと大切にしないといけない事にやっと気が着いて、従業員不足で廃業するような羽目にならずに済んだのです。

 

そんな失敗の後、ちゃんと従業員が増え始めてガソリンスタンドの経営も順調に行って、しばらくすると今度は、2軒目の店舗が猛烈ら欲しくなりました。そう思ったらもうじっとしていられず2軒目の用地を探し始めます。1軒目のように既にあるガソリンスタンドを借りられれば(できれば近くで)一番いいのですが、起業したてでまだ信用などかけらもないような会社に土地建物を貸してくれるような虫のいい話はある訳が無く、いつの間にか土地を買う方向になったら意外とあるもので、すぐ出たのです。土地を買う話ならばあとくされもなく、土地調達費用も土地が担保なら信用も関係なく銀行は融資してくれます。そんな感じで気軽に買ってしまったのが1号店から車で10分ぐらいの松坂町にある畑で132坪。その頃の私は、どんな場所でも自分の腕にかかればガソリンスタンドの繁盛店を必ず造れると自分は思い込んでいたのです。

しかし、土地を買ってしまってからとんでもないことが分かりました。その場所に2号店のガソリンスタンドでは当面ガソリンを販売出来ないと分ったのです。当時は、石油製品暫定措置法という法律があって日本国中のガソリンスタンドの総数を制限しており、どこかのガソリンスタンドを閉めなければ新しい1軒を造れないのです。しかし、私はガソリンスタンドの運営では自信もあったし、みんな知っていたので、元売りの共同石油が、最果てにあるようなちっぽけなガソリンスタンドの1軒ぐらい閉めてくれると思っていたのですが、そうも行かなかったのです。だから、この新しい土地にガソリンスタンドを建てても、土地の借金と建設費の借金を払いつつ、その土地からは一円の収入もない状態が一年以上続くことが分かったのです。このままでは1号店からの収入だけで1年以上賄って行かなくてはいけません。

ここからがKeePer誕生の始まりです。

 

あれから二十数年後、売却され、住宅展示に使われているあの時の松坂町の土地。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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