2018年09月08日(土曜日)
9.08.東海店の吹き飛んだテント屋根から秋の空が見えた
台風21号は猛烈な風で、今までにない被害をまき散らした。
我々の店舗は、鉄骨製のコーティングブースと待合室の部分と、
テント製の洗車場と洗車仕上げ場から成っています。
コンビニエンスストア跡や
閉鎖ガソリンスタンドを使った居抜き物件でも、
コーティングブースとお客様の待合室は既存の建物を使って改造し、
大抵の場合、洗車場と仕上げ場は新しくテントで造ります。
しかしテントは所詮”布(クロス)”なので、
金属や樹脂の屋根や壁に比べると耐久性が劣るように思えますが、
一番古い、十数年経った店舗のテントでも、
穴が開いたり、台風の風で破れたりしたことはあのません。
意外に耐久性が高いのです。
店舗は北海道から九州まであって、全部で74店舗あるのですから、
単なる偶然ではないでしょう。
本当にけっこう丈夫いのです。
コストは普通の鉄骨製の半分から2/3くらいで、
それより、テント製の建物はライトな印象があり、
洗車のイメージとぴったりです。
これからもテントはラボ店舗に多用して行きます。
ところが、先日の台風21号は飛びっきり強力でした。
一宮店のテントの一部、
甚目寺店のテントの一部、
そして東海店のテントの半分以上が飛ばされました。
既存のラボ店舗の中でも古い部類に入る店舗ばかりですが、残念です。
しかし誰もけが人はありませんでしたし、他に被害を出した訳ではありません。
すべてのテントが来週中に修理できる手配も付きました。
それよりひどいのは、
三重県の2店舗でシャッターが外れて壊れてしまった件です。
こちらはシャッターを修理する件数が全国にあまりにも多くて、
いつ修理に来れるのかまだ分らないと言っていました。
困ったものです。
午後から、
テントの半分以上が飛んでしまった東海店に行ってきました。
屋根が半分以上飛んでしまい青天井になった店舗は、
惨めな姿をさらけ出し、スタッフ達もしょぼくれているかと思ったら、
とんでもない。
みんなぜんぜん平気で元気でした。
キャンプみたいで、屋根がないと気が付くお客様もほとんどいないそうです。
元気な一級技術資格中崎シニアスタッフと、北村店長。
寮でよく会う一級技術資格横山スタッフ。
破れたテントから見える秋の空はスカッと青空という訳にはまだいきません。
狭いブースには一級技術資格砂山スタッフが元気でした。
その足で、古い店舗に属する大須店に行きました。以前からテント屋根から雨漏りがすると言っていましたが、
この台風では破れることなく無事でした。
一級技術資格須藤スタッフと、一級技術資格田村スタッフ。
そしてますます磨きのかかる鬼頭店長。
もう一軒、古い店舗に行ってみた。
鳴海店は、テントの隅っこが少しだけ破れていた。
よくここだけで済んだものだとかえって感心する。
鳴海店は構造的にも古すぎるので、今期中に絶対に全面改装すると宣言している。
一級技術資格小栗スタッフと白石店長。
Posted パーマリンク
2018年09月07日(金曜日)
9.07.強運永田部長、釧路からの生還
店舗開発部の永田部長の話です。
彼が店舗部の責任者になってから、俄然、新店が開発できるようになりました。
そんな永田部長が「釧路」に行ったのは、
ラボの新店とは全く関係ありません。私の用件で釧路に行ってもらいました。
台風21号が大阪を襲って日本国中が混乱していた日、
羽田空港から釧路空港へ飛ぶために、
新幹線で名古屋から品川に向かったのですが、
台風の影響で新幹線がまともには動いていず大変苦労して
本人いわく5時間もかかって品川に行ったそうです。
どういう方法で5時間かけて品川に行ったのかは聞きませんでした。
いずれにしても、
無事に羽田空港から釧路空港に飛んだ永田部長は、
釧路で無事に仕事を果たして、
夜、地元の人と一杯飲んで、
釧路のホテルに泊まったら、
午前三時ごろ、確かに揺れたそうです。
しかし釧路は今回の地震の震源地から離れているので、
揺れたのは大したことは無かったのですが、
それから間もなく真っ暗になって、それが停電である事には最初気が付かず、
テレビもつかず、スマフォもパソコンもつながらず、
途方に暮れたそうだが、
たまたまいた地元のタクシーに聞いたら、
タクシーは携帯でもない、いわゆる「無線」で仲間たちと繋がっていたので、
この停電が地震のせいであって、北海道中が停電である事を知り、
しかも、自家発電が動いていた釧路空港だけが生きていて、
飛行機が発着している事を知った。
そのタクシーに乗って釧路空港まで直行し、
たまたま釧路→羽田行きの臨時便が釧路空港にいたので、
それに飛び乗って、羽田まで飛んで、釧路から最短時間で脱出に成功した。
その頃、千歳空港も女満別空港もあらゆる空港が閉鎖しているので、
北海道中の各地から釧路空港に向かって、
帰りたい人達が
まるでシリア難民のように(永田部長の言葉) 釧路空港に押し寄せていて、
すぐに溢れてしまい、
一歩遅ければ、永田部長も釧路空港で飛行機に乗ることは出来なかったそうだ。
北海道の停電は深刻で、ラボの札幌店も手稲店も閉店せざるを得なかった。
そんな大変な状況の中で、朝、会社に出てきたら、
そこに永田部長が会社にいたのにはびっくりであった。
強運の永田部長、奇跡の釧路からの生還劇であった。
Posted パーマリンク
2018年09月06日(木曜日)
9.06.楽をさせれば汗をかかないだけか
今日はIRを何件かと、一つの相談事、一つのお願い事で東京に来た。
その話で印象深かった話があった。
何かの値段を決める時、
こちらは好意で、
相手の負荷を低くした方が、仕事がしやすくなって、
より多くの成果を得られるので、よく働いてくれるだろうと思い、
負荷を低くする意味で、我が身を削って値段を安くすることがある。
しかし、相手にとっては、
負荷が低くなれば、
目的を達する為の力の出し具合が少なく済むだけで、
むしろその分汗をかかないだけで、楽して済んでしまう。
つまり、
我が身を削って値段を安くしても、
かえって相手に楽をさせてしまうだけで、
結果的に成果を得られず、一緒に働くみんなへの裏切りになることがある。
ビジネスのパートナーに一生懸命力を出してもらって、
一緒に働くみんなと共に、
その成果をより大きくしたいならば、
我が身を削ってパートナーの負荷を小さくしても、
その分、楽するだけで、力を発揮することにはならない。
パートナーには、
たとえば市場が決めた適切な負荷を背負ってもらうことによって、
はじめて共に精一杯の汗をかくことが出来、
お互いに満足のいく成果を、共に得ることになって、
お互いが幸せになれるのだと言う。
良かれと思ってかけた情けが、
かえって、お互いの溝になることがある事に似ている。
Posted パーマリンク
2018年09月05日(水曜日)
9.05.キーパ―選手権に驚愕の記録が生まれました。
2010年12月に第1回KeePer選手権が始まりました。
翌年の2011年3月には東北大震災があり、
その直後の2011年8月のキーパー選手権では、
原発事故で避難していたキーパープロショップのメンバーが応援した
会津若松の江戸屋燃料㈱会津坂下(ばんげ)SSが優勝して感動しました。
キーパー選手権は今では夏と冬の年二回ですが、
最初の頃は、雪国の為に雪解けの”春のキーパー選手権”がありましたが、
これは今では「キーパー技術コンテスト」に変わっています。
これはこれで選手権とは違う意味で大変盛り上がっています。
だから今回のキーパー選手権が正確に何回目の選手権なのかは判りませんが、
たぶん第18回目のキーパー選手権になると思います。
その第18回キーパー選手権で一大事が起きました。
一大事と言っても悪いことではなくとんでもなくすごいことが起きたのです。
二年前、会社としてキーパーを始めたENEOSウイングさんが、
キーパー選手権全国ランキングのベスト100の中に、
なんと60店舗も入っているのです。(ただし、結果はまだ暫定結果です。)
さらにベスト10の中にはトップも含めて8店舗。
文字通り驚愕の記録です。
この夏のキーパー選手権には
全国のキーパープロショップ5,732店舗中、
応援ツールの申し込みがあった約3,400店舗は間違いなく参加していて、
みんなガチンコで勝負しています。
特に上位常連の店舗は、
リピートのお客様をしっかりと持っていて、
黙っていてもリピートのお客様がある程度来て、
平常の営業だけでも選手権の上位に普通に上がってきます。
そんな猛者もいっぱいいる3,400店の中のベスト100に、
一つの会社が60店舗も入れてくるとは、前代未聞、
キーパー始まって以来のとんでもない記録です。
早速、ENEOSウイングさんに取材してきました。
以下はまず本社に伺ってお聞きした話です。
二年前以前も単独でKeePerを導入していた店舗はあったが、
会社として本格的にKeePerを導入したのは2016年4月以降。
当然、2016年8月のキーパー選手権:100位入賞店は、ゼロ。
2016年10月から、SS販売本部を立上げ。
1.キーパー 2.タイヤの2大方針を打ち出す。
お客様からダントツ1番に喜ばれる商品であり、他に波及する商品だから、
キーパーを1番に取り組んでいる。
2016年12月のキーパー選手権:100位入賞店は、2店。
98位:横浜ゆめが丘SS、99位:湾岸浦安フリートTS
2017年4月、
選手権8月:10店、選手権12月:20店の目標とする。
キーパー向上委員会がスタート
2017年8月のキーパー選手権:100位入賞店は目標10店で、結果11店。
2017年12月のキーパー選手権:100位入賞店は目標20店で、結果は18店。
「競争・教育・コミュニケーション」
「明るく、楽しく、正々堂々」
「技術力と接客力・商談力」
「コンプライアンスの遵守」
『圧倒的に強い会社を、みんなで作ろう』
割引はしない(10%までに制限)
CSにつながる商品を圧倒的に出来なければ、圧倒的に強い会社にはなれない。
準備がかなり整っていた。
・技術者、技術力が増し、団結力が増し、支店の組織力が増し、予約が定着。
(今回だけ、ここに「気合と根性」を足した。)
報奨及び報奨金は、全て団体(チーム)での評価とする。
上司、部下、応援をした他部署も含める。
みんなでやって、みんながもらえる仕組み。
決起大会、前夜祭で、支店対抗ののど自慢大会、演芸大会を行い、
支店間の団結力を培った。
この夏は、社内のベスト130位の店舗に対して、
8/16~30の期間、昼の食事代を支給。
1~65位:1,200円/人、66位~130位:700円/人
予約の重要性がしみ込んでいた。→労働生産性の向上が必要不可欠
キーパー向上委員会が中心となり、企画・実行をした。
1回目のキーパー向上委員会で話し合われた内容が、具体性に欠け、
率先垂範となっていなかったため、遠野社長より、ダメ出し。
これに村越委員長(湾岸浦安マネージャー)と
家苗副委員長(横浜ゆめが丘マネージャー)が奮起し、
第2回のキーパー向上委員会は、現場で予約獲得活動を実際に行い、
委員会全体で改善・工夫を作り出し、各支店へそのノウハウを持ち帰った。
爆発につながったのは、競争である。
支店内での競争も激しくなっている。
委員会の店舗には負けない。支店で選ばれた店舗には負けたくない。
支店長自らが、動いている。営業でキーパーを取ってきている。
1年目は、社長が現場・マネージャー・スタッフを直接指導。
2年目からは、組織へ。支店ごとの工夫を、尊重する。
これが、層の厚みにつながっている。
自らが考え、行動するようになってきている。
キーパー向上委員会が中心となって、企画・工夫をし、
それぞれの支店に戻った委員会メンバーが、支店内でも委員会を作り、
教育・競争をしている。
・競争・教育・コミュニケーション
・明るくやれ!
・コンプライアンスだけは守れ
に、今回は、団体戦と組織力が加わっている。
みんなでやると新しいエネルギーが生まれる。
一部のスターだけでは、絶対に超えられない高い壁を、
組織力と団結力で超え始めている。
そして2018年8月のキーは―選手権には
100位以内に30軒あわよくば50軒入ることを目標にして、
その結果、60軒入った。
この時、各種のキーパーコーティングによる収益は、
前回のキーパー選手権の時、つまり前年12月の約2倍の売上だったそうだ。
ここまで来るまでには、まず「技術者作り」。
二年前より、精力的にKeePerコーティング技術1級資格を取って、
どの店舗にも4~7名の1級資格者がいて、
すべての資格者では総勢約3,000名以上いるとも聞いた。
上達会も頻繁に行われている。
重要なのは、それが上からの命令でやらされているのではなく、
みんなが、みんなの意志で、みんなで話し合って動いていることだろう。
それが店舗同士の競争心から来ているからすごい。
個人と個人の競争ならば、大した力にもならず、下手をすると喧嘩になるが、
店舗のみんなが同じ方向を見て団結し、仲間の店舗と競り合う競争は、
みんなが知恵を出し合って、団結力と組織力が新しい力を生み出して、
今までにない力を発揮し始めているとするならば、
競争心という自らの意欲が力になっているのだから、
これは尽きることなく、もっともっと大きな力に、育っていくのでしょう。
今日は、それとは別に
全国2位と3位、4位、9位の店舗(全部中部支店の店舗)の
店長と地区担当、課長、副支店長、支店長の方々に集まっていただき、
それが実際にどんなふうに動いて、
どんな力が発揮されているのか、実際に何をやっているのか、
大変興味深いお話をいっぱいお聞きしたので、
近いうちにもう一度書きたいと思います。
Posted パーマリンク
2018年09月04日(火曜日)
9.04.今日は台風です。
非常に強い台風21号が来ています。
進行のコースが大昔の伊勢湾台風に似ていて不気味です。
台風は左回りの渦を巻いているので、
進行方向に向かって右側の地域が、
台風自体の風と台風が進行するスピードが合わさって、
より強く風が吹くと言われています。
今回の台風21号もそんなコースをたどっており不気味です。
おまけに”高潮”が大阪港や神戸港に起きています。
私が小学校二年生だった大昔の伊勢湾台風も同じでした。
伊勢湾台風の時は伊勢湾が高潮になって広い地域が洪水となり、
私の家族の家も沈んだ。
水の中を避難所へ行く間に
貯木場から巨大な木材が流れ出て、人々を押しつぶし
5,000人を上回る犠牲者が出ています。
あの夜の恐怖は私の心の中に刷り込まれているのでしょうか。
だからか、
台風が来るときっと怖いのですね。
何もする気が無くなって、下手すると朝の布団から出たくなくなります。
怖さにかこつけた怠け心かもしれませんが、
予定すら見ずに
今日は、そんな風にぼけっとしていて、
テレビはどのチャンネルをかけても台風情報ばっかりで、
こんな風に世の中が台風漬けになっているのだから、
どこにも行けないし、
誰も来るわけがないし、
だから、仕事がある訳がないような気になって、
でも、ひょっとして事務所に誰が来ているかと電話をしてみたら、
たまたま秘書の女性が出て「みんな出てきています。」と言い、
しかも、
「今日は朝10時から電話で機関投資家からのIRがあります。」と言われ、
5分で髭を剃って、着替えて、慌てて会社にすっとんで行きました。
何とか時間に間に合って、
無事にIRの取材をお受けしたのですが、
それにしても、
25年ぶりに非常に強い勢力を持ったままの台風が上陸するというのに、
全員が出社しているとは・・・
それとも台風が来ると聞けば、とっとと仕事は無しと思う私の方が変か。
それにしても思ったのは、
関西国際空港が大阪湾の高潮で、
「標準水位から5mの高さにある滑走路が水没した」と
恐ろしいことを言っていたが、
そんな大変な事態になっていても、高潮では誰も死んでいないとは、
伊勢湾台風の時の高潮は最大でも3.89mしかなかったのに、大災害となった
現代は5mの滑走路が水没しても、みんな無事だった。
何と安全な世界になってしまっているのか。
私はすでに台風においてまでも時代遅れになっているのでしょうか。
Posted パーマリンク














