谷 好通コラム

2024年01月25日(木曜日)

01.25.安値看板で成績上げ本店所長になった勘違男は会社を辞めた。23才

 

現金安看板で売上げを劇的に上げた私は、会社の社長に気に入られて21才で本店の所長になった。本店はでかい店で、私が成績を上げた小さな店の何倍もの売り上げがあり、何倍もの部下もいた。おまけに自分より先輩までが部下になったので、自分が偉くなったような勘違いをして威張っていなければ運営が出来なかった。しかも、その会社は派手な会社だったので、関わってくる業者さんも本店所長である私にチヤホヤしてくると馬鹿な私はイイ気になり、ますます自分が偉くなったように気になって、毎晩、繁華街に行き酒を飲んで遊んだ。接待する女性のいるような店にも行った。そこでまたチヤホヤされると、あほ男の私はいよいよ怖いもの無しになって、自分が大物であるかのように完全に馬鹿な勘違い男になってしまったのです。

 

しかし、この会社では本店の所長であっても私はあくまでも油にまみれた現場の人間であり、この会社のスターは”セールス”であった。燃料を買ってくれる客先を営業して取ってくる「営業・セールス」が会社の売り上げを造る主人公・主役であって、私達は彼らスターが取ってくる客・運送会社のトラックに燃料を入れる現場の作業スタッフでしかなかった。だから、私の同僚がセールスに”上がる”と、役職が私より下の者でも、私を見下すような口の利き方をしたり、態度も大きかった。しかし私は、セールスには向いていないとされたので、ずっと現場にいたが、馬鹿な勘違い男になっていた私は変に被害妄想に取りつかれ、色々すったもんだの末に結局、この会社を辞める事になった。

同業者から客先をセールスして奪い、売り上げを上げる事がすべてであったその新興の会社は狩猟的であり、それ程までには攻撃的ではなかった中途半端な私には、そんな会社に居続ける事が出来なかったのかもしれない。24才。

そして、今度はそういうことをしなくてもいいであろう「古くからある大きな会社」で平和に仕事をしたいと思い、まるでお役所のような大きな会社に入った。当然、そんな会社の仕事は、最初、つまらなくて仕方なかった。が、・・・つづく。

 

 

本文とこの写真は関係ありません。たまたま今日が満月だっただけです。

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2024年01月24日(水曜日)

01.24.この冬最強の大寒波襲来。と、本日「LABO越谷店」オープン。

今日は10数年来の記録的な大寒波で、名古屋でもけっこう雪が降りました。

まず喫煙所から見た「」。

私の車にも雪が積もり始めています・

 

テレビでは、高速道路と国道での立ち往生が、

あちこちで発生している様子を映しています。

ひどい渋滞みたいで、暖房に一番電気を使うEVは、さぞかし大変でしょう。

 

だから、

中部地方、関西、中国、四国、九州のKeePer LABOの日報は、

何軒かが、ちょっと気の毒なくらいの数字ですが、

それでも来店ゼロの店舗は2軒だけで、

ほとんどの店に、それなりの数のお客様がご来店いただいているようで、

日報報告メールのコメントには低実績の悲惨さを全く感じさせません。

雪が降っても、

予約のお客様が、

平日の晴れの日と変わらなくご来店いただいています。

ありがたいと思うと同時に、本当にすごいものだと思います。

 

 

関東は降っていなかったようで、

今日無事に新店「KeePer LABO越谷店」がオープンしました。

雪は降らなくてもとっても寒い日で、大変だったと思いますが、

けっこうたくさんのご来店をいただいていたようです。

さすがに関東地域はすごいですね。

おかだ君、小市店長、おおたチーフ、かとうさん。

KeePer LABO越谷店オープン初日の日報

本日、越谷店がオープンいたしました。
新規のお客様はもちろんですが、
近隣LABOをご利用のお客様も多くいらっしゃいました。

お問い合わせも6件あり、3件のご予約と1件の施工に
繋がっています。
きちんとした品質を提供し、また来ていただけるよう努めます。

越谷店 小市力也
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【本日】
実績:238,255円
来店台数:16台 (平均単価:14,891円)
(PM)1台 (C)4台 (DA)1台 (EX)0台
人時生産性:7,445円/時

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名古屋氏の西側にある甚目寺町のKeePer LABO甚目寺店から、

新しい大看板が取り付けられた写真が送られてきました。

 

今年も1月早々から既存店の改善とキャパシティアップの工事が進んでいます。

2月は新店がありませんが、

改造完了の店舗が5~6店舗もあって、着実に進んでいます。

店舗部は休みなしです。ご苦労様です。

この会社は、まったく止まりません。

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2024年01月24日(水曜日)

01.24.前話の続編。みんなが生き残るのか、みんないなくなるのか。

50年前、現金安の看板を上げた翌日から現金客がどっと増えて、売り上げは二倍から三倍、四倍とどんどん上がっていって、会社からは褒めされた。しかし、私は、あの時の事は、嬉しい思い出として残っていない。

50年前のガソリンスタンド業界は、ブロック会での何気ない会話で、お互いに足を引っ張るような安売りはやめようと暗黙の内に示し合って、零細規模のガソリンスタンドの親父が、無数、平和に暮らしていた。

そこに私は”安売り”という必殺技を振り回して乱入、自分が一番多く売りたい、儲けたい。と、一瞬に平和をかき乱した。それは結果的に消費者に安くガソリンを提供したことであり、非難されることではない。それに現金安の看板を出したのはこの地方としては私が初めてであったが、全国レベルでは最初ではなかった。この後の時代、日本国中に安値看板のガソリンスタンドが溢れたことを考えると、平和を乱したのは私ではなく時代の流れであったのであろう。

ガソリンスタンドは、燃料という厳しく規格の元に造られた付加価値が画一の商品を販売する商売です。隣の店と全く同じ付加価値の商品を売る商売とは他を見てもそう多くはありません。商品そのものでは競争出来ないのです。だから競争するとしたらその商品を提供する時の「接客の良さ」「便利さ」「値段」、その中でいちばん強烈なのはもちろん「値段」です。店頭価格を安くするだけで即実行でき、「接客の良さ」のように絶え間ない努力も必要ないし、「便利さ」のように知恵もコストも要らない。他店よりも安くするだけでいい。他店より安く売って、他店よりたくさんの数を売ればいい。それだけです。同業者からは平和を乱す者として悪者扱いですが、消費者からは歓迎されます。お客様から支持されたものが勝ちであり、負けた者は淘汰され勝者が生き残ります。

 

しかしサステナビリティが叫ばれている今、みんなが生き残るために何をすべきなのか、みんなが生き残るために何をどう変えなければならないのかを、今、皆で考えています。地球の気候温暖化問題は生き残る勝者も敗者もない。みんなが生き残れれば勝ちであり、負ければ誰も生き残れないのでしょう。勝者だけが生き残るという淘汰の論理が通用しないのだから、根本的な発想の転換が必要なのかもしれません。

50年前のことを思い出していて、そんなことを考えました。

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2024年01月23日(火曜日)

01.23.古き良き時代の仲良し倶楽部に、吹っ切った19才店長がやったこと

19才の私は、とっても小さなガソリンスタンドに店長として着任しました。その頃(約50年前)のガソリンスタンド業界は、第一次石油パニックの前でもあり、実に平和な仲良し倶楽部のような業界でした。毎月、石油商業組合の末端組織である「ブロック会」が10人ぐらいで開かれ、そこに集まるのはガソリンスタンド1軒か2軒を経営する「親父」的な人がほとんど。多くのチェーン店を持つ会社の1店舗を担当する「若いサラリーマン店長」は私を含めて小数派で、多くの親父達の中ではまるで「小僧」扱いです。

そのブロック会での主要な話題は「値段」。店頭での現金販売価格と大口・小口の掛売り先販売価格をなにげなく皆で仲良く座談会。掛け売りの価格はともかく、店頭現金価格は決して抜け駆けして安売りに走らないように何気なくお互いにけん制した。あくまでも、何気なくだ。当時は、現金販売価格が一番高く会社関係の売掛価格は何円か安く売るのが慣例だった。掛売りの方が集計の手間や請求書発行の手間・経費を考えると、むしろ高くなるはずだが、売掛客はご贔屓様という事で一見さん(現金客)よりサービス価格という意味だろう。そんな喧嘩せずに皆で仲良く生きて行こうという平和な世界だった。

しかし、その時、私が所属していた会社は新興の会社で、他店よりも安く売ってゴリゴリと売り上げを上げていくタイプの会社の店で、平和な仲良し社会に急に舞い降りたようなものだ。更に私は「どうせ小さな店だから、お前の好きなようにやって見ろ」と言われている。最初は私も平和に店長をやっていたが、営業会議のたびに「ちっとも売り上げが上がっていない。お前は仕事をやる気があるのかっ!。」と叱咤されていた。

19才の私は、ある時、何か吹っ切れたように店頭に大きな看板を上げた「現金が安い!。名古屋で二番目に安い!!」。そして、本当に大口掛売り客の安い値段より2円安く現金客にガソリンを売った。(一番と書かずに二番目に安いと書いたのは、私に何かためらいがあったのだろう。)

すると、安値看板を上げた翌日から現金客がどっと増えて、売り上げは二倍から三倍、四倍とどんどん上がっていって、会社からべた褒めされた。

 

がしかし、私は、あの時の事は、ちっとも嬉しい思い出として残っていない。

いま思うと、むしろ、つらい。

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2024年01月22日(月曜日)

01.22.19才. 深夜勤務を一年間連続は、生物的に無理があった。

時給の高いトラックステーション(トラック用軽油の給油が多い大型ガソリンスタンド)の深夜勤務(深夜1時~翌朝8時迄)に就いてからは何もかもが楽しかった。トラックの運転手さんは皆さん気さくで、一見ガサツなようで皆やさしかったのです。お互いの現場の苦労や喜びを肌で感じるようで、お互いに認め合うように優しかったのです。あの頃の体験が私の中に根付いていて、私は未だに現場が大好きで、現場にこそ本物があって、真実もあると今も思っています。逆に、現場に行きもせず、話しもせず、見もせず、知りもしないで、雲の上から見下すようにしらじらしく語る事は大嫌いです。

 

この時の私は深夜の勤務でしたが、私は元々徹夜など平気で、仕事は大変でしたが楽しくて、本当に一生懸命働きました。しかし、これを一年間も続けた頃には、なぜか体調がおかしくなりました。深夜勤務が終わって、朝から眠ろうとしても全く眠れなかったり、夕方から寝た時には深夜近くなっても起きれなかったり、深夜の仕事中に強烈に眠くなったり、眠る時間を自分でコントロール出来なくなってしまったのです。すると、いつも眠かったり、逆にいざ眠ろうとしたら全く眠れなくなっていたりで、これが続くとすごく辛くなりました。人間はやはり夜行動物ではなく厳然たる昼行動物であったことを自らの体で立証したようなもので、昼の仕事にしたもらいたいとお願いしたのです。

 

“昼”勤務になって数か月目、深夜勤務時の私の働きぶりを認めてくれた会社から「今度、小さなガソリンスタンドをやる事になったので、その店を店長でやって見たらどうか。」と言われたのです。当時勤めていたトラックステーションは規模も大きく、店長にと言われたその小さなガソリンスタンドは面積で5分の一、取扱量で百分の一足らずの何もかもすごく小さな店、私は完全に舐めてかかり軽い気持ちで店長を引き受けました。 まだ19才の時です。

 

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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