2018年01月25日(木曜日)
1.25.とびっきりの寒さ。しかも社長室だけがムチャ寒かった。
昨夜は名古屋でも雪が降って何センチか積もりました。
雪だけじゃなく記録的な最強の寒気団がものすごい寒さを持ってきました。
マイナス3℃。
名古屋(大府)に建つ家はマイナスという温度に適合していないのでしょうか。
まず、我が自宅の風呂から湯が出なくなりました。
台所の給湯が出たのでその湯で洗髪し、顔を洗い、髭を剃っただけで、
今日は風呂に入らずに会社に出ました。仕方ありません。
さらに、
会社に出たら、私の部屋、つまり社長室の暖房が動かないのです。
他の部屋はすべて大丈夫だったのに、社長室だけがムチャ寒かったのです。
仕方ないので、会議室にPCを持ち込んで仕事をしつつ、来訪客に応対し、
何となくけじめの着かない日になってしまいました。
午後から大切なお客様に訪問して新年のご挨拶をさせていただき、
夕方、東京に向けて新幹線に乗っています。
東京に着いたらトムスの舘会長と晩飯をご一緒します。
東京の雪は残っているでしょうか。
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2018年01月24日(水曜日)
1.24.真ん中或いは上から声を出すと自分が偉く思える。
私たちの会社のスタッフは、
一番多くの人がKeePer LABO店舗で、
直接お客様のお車をキレイにさせていただく仕事をしています。
二番目に多いのは「営業」の仕事ですが、
営業と言っても、実際に商品を売って歩く営業活動の仕事はほとんどなく、
技術研修会とか上達会などでのトレーナー役、
技術検定会や技術コンテストでは審査員などを務める仕事です。
特に技術研修会は、洗車から各種KeePerコーティング施工訓練まで
たくさんのコースがあって、
北は札幌から南は鹿児島まで13か所のトレーニングセンターで、
大変たくさん(年間のべ約5万人)の方が来られます。
だから、営業スタッフはほとんど毎日と言っていいくらいトレーナー役、
或いは先生役のような仕事をしています。
聞く気十分のみなさんを前にして話をし、
「みなさ~ん、集まってくださ~い。始めますよ~~」なんて
号令をかけて慣れてくると、
だんだん自分が本当に先生になったような気になって、
自分がちょっと偉くなったような勘違いした者が出てきます。
人数はまだごくわずかであり、まだ軽症で、
この段階で自分の勘違いに気がついて、すぐに我に戻る者がほとんどです。
しかし勘違いしたまま、少し胸を張って歩き始める者もほんの少しですがいます。
よく覚えおかなくてはいけないことは
私達は、私も含めて全員、根っからの現場の人間だということです。
むしろ、私はそれを誇りに思います。
それが、たまたま、皆さんより早くKeePerを習っていて、
KeePer LABO店舗でかなりの数のKeePerを施工して、少し上手くなって、
KeePerの研修会で先生役として出るようになっただけです。
極論すれば、
KeePerをやり始めたのが何年か早かっただけです。
いっしょです。
さらに、施工店さんの本社などに伺って、管理職の方と打ち合わせをしたり
今後の活動予定などを相談したりしていると、
自分も管理職側に立ったような気分になって、
現場のスタッフの人達を上から見るような気分になる。
勘違い第二段階。
現象として、メールの文章がばかっ丁寧で型にはまり、
文章としては、実は、無礼になっているが、本人が一番気が付かない
ここまで勘違いが進むと、
本人は相当に真剣になっていて、
すっかり自分が別人に偉く生まれ変わったような気になっている。
さらに、
勘違いが一段と進行するのが「KeePer技術コンテスト」。
これは集まる人数が多いことと、技術コンテストでは出場者の緊張もあるので、
空気がピリピリとして心地よい緊張感に溢れ、
その緊張の中でKeePerのスタッフ達は採点する側に立つ訳ですが、
張りつめた空気の中で、採点も真剣に行いつつ、
さらに
進行のための掛け声でもかけようものなら、
自分が技術コンテストの主人公になったような気分になって行きます。
勘違いの最終段階です。
自分がコンテストという一つのイベントを仕切っていて、
その競技にたくさんの人が真剣に参加して、
全力で戦った挙句、勝った、負けたと、感激し、
大きな感動になった時、自分も頂点に立って、
主人公となって、勘違いの絶頂に立つ。
技術コンテストの主人公は最初から最後まで「競技者」であって、
進行係も審査員も、単なる運営スタッフであり、
単にそれだけでしかないことに徹せられた時、初めて役に立ったことになる。
人は真ん中或いは上から声を出すと自分が偉く思える。
人はどうしても勘違いをする。
私を含めて、みんないっしょであることを、知るべきである。
単にそれだけでしかないことに徹せられた時、初めて役に立ったことになる。
自分を含めて、みんなそうだ。
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2018年01月22日(月曜日)
1.22.知らぬからこそ、出来てしまう危うさ
太平洋戦争の頃、南洋の島で、
何の補給もない戦いで追い詰められ、
銃弾尽き、飢えと渇きの上に敵からの猛攻にさらされる中
現地は大本営に
「補給か応援を送ってくれるか、それが無理なら、撤退を許可して欲しい。
このままでは全員が死ぬのを待つばかりだ」と、連絡したら、
大本営は現地に、
『名誉ある玉砕』を命じた。
全員、単に、死ねということだ。
大本営の司令部には、抜群の頭脳を持った超エリートの将校が
飢えも乾きも経験したことがなく、ましてや、
仲間が撃たれ、血を吹きだして死ぬところを経験したこともなく、
自分の傷に蛆が湧いて自分の肉を食う痛みも知らない将校が、
地獄のような戦場からの
「撤退を許可して…」の願いを、
地獄を知らないので、
「名誉ある玉砕」という、単に死ねという悪魔の命令を、
決まった手順通りに伝えて、何百、何千の命を絶った。
こういう話は、私が若かった頃にはよく聞いたような気がする。
テレビでも「人間の証明」とか、
何とかいう真面目くさったドラマをいくつもやっていた。
そういう意味では、
今でも人気ドラマ「相棒」で、
キャリア官僚の非人間性をあばくようなドラマもある。
私はずっと現場で働いてきたので、
現場の事はよく知っているつもりです。
現場の冷たさも、暑さも、痛さも、つらさも、
足に持つ障害ゆえに人よりだいぶ多く感じて、
しかし楽しさも、しびれるような感動も、
現場の良さと、現場にしか真実は無いという事実も、
人一倍知っているつもりです。
知っているから、解かるし、同じように感じられるし、
どうすれば良くて、何をしたらいけないのか、実感を持ってわかる。
まず、知る事だろう。
理解も、判断も、プラスの側面もマイナスの側面も、
まずそのものを、
その現場を知る事からすべて始まるのではないのでしょうか。
南海の孤島に戦った兵隊に、玉砕という名の虐殺を命じた将校は、
地獄の現場を知らないので、
「名誉ある玉砕」という、単に死ねという悪魔の命令を、出せただけでしょう。
知らなかっただけの事です。
知らないことが、
残酷なことだと知っている者は、
知ろうとするので、必ず現場に身を置くことをする。
私が尊敬する経営者はみんなそうします。
正しく正確なことを現場で知ろうとするので、
その判断に間違いはなく、
知らないから出来る残酷なことなどせず
多くのみんなを少なくとも幸せにしようとするはずだ。
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2018年01月21日(日曜日)
1.21.初心忘れるべからず・・と言うが
私は東証1部上場会社の創業の社長です。
でも、だからと言って立派なものではありません。
だいいち、
大学すら出ていない、言って見れば無学歴な人間です。
大学には諸事情があって行けなかったのではなく、
十分に大学に行ける環境はあったのですが
学生運動にかぶれて見たり
怠け心で勉強が嫌いになったりして、
それでも一応、低い学力でも入れる程度の学校に行ったのですが、
授業よりもガソリンスタンドでのアルバイトの方が楽しくて、
大して勉強もしないうちに
大学を早々と辞めてしまった。というただの高卒の男です。
ただ、好きな仕事をさせたら、
頑張るなんてことは当たり前で、絶対に負けなかったし、
好きなことなら勉強もいっぱいしましたし、本も山ほど読みました。
私の名前は谷 好通と言って、好きで通すという始末の悪い名前なのです。
それから運の良いことがいっぱいあって、
でも、目先の損得に囚われた挙句に”ひどい目”に何度か合って、
目先の損得は無視した方が良く、
ずっと先を考えた方がいいことを憶えて、
オセロが小学生に勝てるぐらいには強くなって、
人生と仕事はオセロみたいなものか、などとアホな悟りを開いて
いっぱい考えて、
いっぱいの人と会い、
いっぱい話して、いっぱい書いて、
仕事が好きで好きで、これはもうほとんど趣味と言ってもよく、
共に働く人たちが大好きで、愛してると言っても大きな違いはなく、
しかし、せいぜい肯定的に言っても、これぐらいで、
決して立派なものではなく、
短足であり、デブであり、
スタイルは”でっ尻”の”腹ぼて”で、びっこ。
運動神経極めて鈍く、体力なし、
顔はあくまでも不細工で、自慢などすべき面ではなく、
ヘアスタイルはまだ毛が有るだけマシなだけで、どうでもよく、
食いたい物を、
体に良くないから我慢する程度の精神力もなく、
言ってはいけない事も、言いたくなってつい言ってしまう程の無節操で、
女性にもてた経験と記憶はただの一度もなく、あくまでも苦手。
これは決して謙遜ではなく、もうコンプレックスにまで近い本当だ。
見た目はあくまでも不快なければベストで、
スマートに見えることなど望むべくもなく
何に見えようと良く。
出来れば普通に見えることが良く、
何のスポーツも苦手で、あらゆる楽器とは縁がなく、
何の虚勢も張りようのない素。
そこが起点で、我が初心。
人のお役に立つほどの立派な志を持つまでもなく、
しかし仕事というものが誰かの役に立つ事という意味で、
人一倍に仕事はする。
私は立派でもなく、人の上にあるものではなく、
人から好かれることを当てにするものでもなく、
ましてや褒められるのはいたって苦手で、勘弁して欲しい。
人に自慢することなど無く、誇らしきものもなく、
我が初心、素でありたいと思う。
しかし、見た目重視の今の価値観には完全に遅れていること、間違いありません。
「1月24日開店」であることが、すごく良くわかる。
できればこんな看板のように、私も、シンプルでありたいと思う。
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2018年01月20日(土曜日)
1.20.ハングリー精神を見失う時
ハングリー精神とは、
自分の置かれた状態(状況)が、自分には満足できるものではなく、
自分が満足できる状態(状況)になりたいと強く思い、
もっと向上して、もっと強くなって、
もっと金持ちになって、
もっと物が欲しい。もっとうまいものを食べたい。
もっとカッコいいと言われたい。もっとモテたい。
もっと性欲を満たしたい。
もっと上に行きたい。
もっと愛されたい。
もっといい思いをしたい。
もっと勝ちたい。
あるいは、
もっとみんなの役に立ちたい。褒められたい。感謝されたい。
あらゆる意味で自分はもっと欲しいのに
自分が満たされないので、それを得る為にガツガツする。
懸命に働き、高きに目標を置いて強いモチベーションを持ち、
自分がもっと欲しいもの、欲しい思い、欲しいことを得る為に、
がむしゃらに努力し、学び、鍛え、計画する。
ハングリー精神に長けた者は、強い。
何かにつけて頑張れる。時には頑張ること自体が生き甲斐になる。
しかし、
一つの欲求が満たされ、目標に到達する前に、
次なる欲求と目標が出来て、
次から次へと新しい目標と欲求が出来て、
その前の目標をクリアする力がすでに着いているので、
次なる目標は、一段と高くなって、
どんどん、高みに上がっていくが、
次から次へと次なる目標と欲求が出来てくるので、
いつまで経っても、
登り詰めたという達成感を得ることもなく、
いつまで経っても飢えていて、
ハングリー精神が絶えることなく、上り続けていく。
しかし、反対に、
欲しかったものが、
努力をする間も無く、不意に、目標以上に手に入って
努力もせずに手に入ってしまうと、
頑張る目標が無くなってしまい、
頑張る意味が無くなって、生き甲斐すらなくなって、
以前の、まだ欲しかったものが手に入れるために頑張っていた頃の
自分の充実感が懐かしくなって、
でも、自分はすでに満たされているので、
それを得ることは叶わず、
十分に得ているはずなのに
獲得したという充実した満足感はない。
ハングリー精神は、
自分の中の欲求に起因しているので、
その欲求が安易に満たされた時は、特に、
それ以上の欲求を自分で自分に課さなければ、
あるいは見つけなければ、いけないが、
努力以上に、不意に満たされてしまった場合は、
飢餓感とも言えるような大きなエネルギーは、もう得られない。
ハングリー精神とは、
自らの力で獲物を狩りとって、
食って、満腹になって、初めて満たされるもの。
それでもすぐに腹が減るし、もっとうまい獲物が欲しくなる。
食うことに、意欲がみなぎってどんどん力が強くなっていく。
しかしエサを与えられ、食っても、
その時、満腹になっても、大した満足感は無く、
次のエサに対して、何か意欲を持つものでもなく、
楽しみがある訳でもない。ただ腹が膨れるだけ。
そこにはハングリー精神が芽生える訳でもなく、
ダラダラと一生を終える。
自らをハングリー精神で掻き立てる飢えを自分の中に持ち続けねばならない。
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