2017年10月02日(月曜日)
10.02.H29年8月のキーパーラボの実績報告「絶体 断らない。」
※以下の内容は本日の昼12時に開示されています。
昨年9月のLABOが前々年同月比94.6%と低かったこともあるが、
今年9月の前年同月比は137.0%、つまり37.0%増であり
(前年の92.9%を掛けても129.6%)、
更に前年実績のある既存店での前年同月比が18.7% 増と圧倒的です。
今年の8月が記録的な悪天候に対して、その反動の意味もあり、
この9月は東京での日照時間は昨年の77時間に対して今年は121.6時間であり、
名古屋では昨年の99.5時間に対して166.8時間と倍近い日照時間がありました。
この好天によって”洗車”の前年同月比が、全体で41.0%増、既存店26.0%増で、
来店客数全体でも前年同月比が全体で38.5%増、既存店で23.6%増となりました。
このように洗車でのお客様の増加が主因となった来店客数の大幅な増加では、
単価の安い洗車が足を引っ張って全体の平均単価を大きく下げるものです。
しかし、この9月は、高価格のダイヤモンドキーパー類は、
全体で28.6%増、既存店では6.0%増と今の傾向通りに留まりましたが、
洗車の延長線上にある5000円/台の
安価なポリマーコーティングのピュアキーパー類が、
全体で70.1%増、既存店だけでも46.3%増と大きく伸びて、
台当たりの平均単価の落ちを全体で1.1%減、既存店で4.0%減にとどめております。
その結果、
全体で、客数138.5%×単価98.9%=売上実績137.0%となり、
既存店で客数123.6%×単価96.0%=売上実績118.7% となった訳です。
数字的に見ればそれだけのことですが、
二か月ぶりの好天続きに洗車を求めて前年比38.5%増の来店客数が押し寄せて、
でも、それを、ほぼ単価を下げずに!受け入れ切った
スタッフの努力を評価したいと思います。
彼らに言わせると、
「絶対に断わらない。100%お客様を大歓迎する。」なのだそうです。
作業に追われ、忙しい時に
電話や来店でのお問い合わせで「洗いたいんだけど、できる?」と聞かれると、
つい「お時間をいただきますが、よろしいですか?」とか、
「遅い時間になってしまいますが、なんとか出来ます。」などと、
お客様のお時間を気遣って言っているようで、
実は、暗に断っている。あるいは嫌がった返事をする場合がよくあります。
お客様もそう言われたら「じゃあ、今日はやめとくわ。」となってしまい
気持ち良くオーダーは出来ないでしょう。
オーダーするにしても、出来るだけ簡単な、結果的に安価な商品を頼みます。
すると必然的に単価が下がってしまう訳です。
たとえば、仕事を単に労苦と感じる人が断りを言うのかもしれません。
その反対に、「洗いたいんだけど、できる?」と聞かれたら、
とにかく歓迎の意味で「はい、出来ます。」と言う。
その上で、電話ならご来店をうながすか、ご来店ならば店内にお客様を誘導し、
“店内受注”でキチンとお話しすると、ほとんどご注文いただけるそうです。
まず、「出来ること」「させていただきたい」という歓迎の意をお伝えした上で、
キチンと受注して、出来るだけの努力をする。みんなで頑張る。
「まず100%歓迎してから」の手法は、
以前からあったものを岡崎の店長として赴任した福留マネージャーが
改めて広めたもので、この9月の好天によるご来店数増加に、
単価ダウン防止の効果を乗じて、特に西日本LABOにおいては、
前年同月比の全店で50.5%増加、既存店でも25.1%増加という
大きな成果を実現したものです。
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2017年09月30日(土曜日)
9.30.起業に欠かせない最強の味方
33年前、独立して起業した当時は、
何もかも自分でやらなければならなかったし、
人にやらせると、思った通りに行かず、結局、また自分でやることになり
「自分がもう一人か二人もいたら、すごく楽なのになー」
なんて真剣に考えたものです。
最初は150坪の小さなガソリンスタンドを、
私と妻で運営しました。
それまで妻はガソリンスタンドの経験が全くなく、
開店前に、知り合いのスタンドにただ放り込んで、
燃料の入れ方を憶えさせました。
今思うと、無茶苦茶であり、可哀そうなことをしました。
でも、この相棒は「自分がもう一人いる」のと同じで、
起業には欠かせない最強の味方であり、
その事業の成否を決める決定要素にも成りうる存在です。
少なくともKeePerのこの会社のその初期においては、
この要素は不可欠でした。
世界一のカレーチェーン店CoCo一番館は、
その独自のブルームシステムという独立システムで、
「事業主として自分の店舗を持ち独立するには、
一度は、奥さんも一緒にその店舗に入って運営に加わること。」
というルールがあったと聞いたことがあります。
よく考えると、いろんな意味があり、
夫婦がその事業の苦労の部分も楽しみの部分も共有できれば、
その事業はうまく行くに違いありません。
私自身もそんな例をたくさん見てきました。
今は、そのチェーン店に法人も加わったりしているので、
必ずしもmustではなくなっているとも聞きますが、面白い話であり、
実にその通りだと思います。
起業は夫婦がその事業を現場を共にすることが、実は必須とも言えます。
そんなことを思い出しました。
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2017年09月29日(金曜日)
9.29.二つの・・・委員会を作りました。
会社の組織はその規模が大きくなると、
それぞれの仕事の範囲が限定的になって、
それぞれのメンバーが、それぞれの仕事のスペシャリストみたいになって、
自分の範囲の仕事の事しか分らないような、
視野の狭い人の集まりのようになってしまいます。
それはそれで効率が上がって良いようにも思えますが、
著しく質の面が低下することも間違いありません。
たとえば、私たちの会社で言えば、
会社の存在意義と価値は、
「お車を驚くほどきれいにすること」であって、
「お客様を驚くほど喜ばせることが出来ること」です。
それに関わる仕事がこの会社の本体であり、価値そのものです。
その仕事に携わる人を募集するのに、
事務仕事しかやったことのない事務所の人に募集を任せてしまっても、
この仕事の魅力や、やり甲斐を知っている訳ではないので、
ただ募集のための事務的な手続きをするだけで、
この仕事に魅力を感じて応募してくる人がいっぱい出るような
魅力を熱く伝えられるような募集は出来ないでしょう。
それは仕方のないことなのです。
募集とは、
その仕事の魅力や遣り甲斐をよく知っている人が、
その魅力を一緒に味わいたいと思って、募集の活動をすれば、
自然に募集活動そのものも魅力的になり、
この仕事に魅力を感じて応募する人がいっぱい出るような募集活動が出来ます。
そんなことを他の会社の活動を見ていて学びました。
学ぶとは、即実行することです。
そう思って、人事委員会を作りました。
現場のことをよく解っていて、
かつ、これまでの募集活動で成果を上げてきた人を
専門のスペシャリストとして中心に
各地域の各現場の第一線で活躍する人を、人事委員としてピックアップして
人事委員会の結成です。
再来年卒業の新卒予定者への活動がもうすぐはじまります。
今この体制を作ることに、
二年後、三年後のKeePer技研株式会社の成長戦略の是非がかかります。
もう一つ、
「広報委員会」を作りました。
KeePerが世の中に提供する、KeePerの魅力や話題は、
実は、現場の中にいっぱいあるはずです。
また、それを書ける力を持った人もいっぱいいるはずです。
なのに、KeePerタイムスをはじめとする会社の広報活動は、
現場ではない人ばかりが関わっているのは、よく考えると変でした。
情報と話題を外に向けて発信できる人は、
ブログを見ていると少しわかります。
特にLABOブログは、
毎日何十と言う話題が更新されるほど活気があります。
その点では営業の人はだめですね。
いつも口で能書きを言っているので満足してしまっているのか、
ちっとも話題を世に提供する気がないようです。
しかし大阪だけがスタッフブログをほそぼそと更新しているので、
広報委員会の委員長は、
大阪営業所から昇格して大阪営業部になった山戸部長に任せました。
仕事はきちんとするところまでは大抵の人は出来ても、
それを外に出していける能力は、単なる能力だけのことではなく、
自分の価値観をどこに置けるのかという問題で、
そういう意味で、経営者たるものとしての資格ありとして
山戸裕子を取締役部長に推挙しました。
その彼女を委員長とした広報委員会は、
活発な活動が出来そうです。
現場の若手の長と、二年生と一年生まで交えた混成部隊は、
全員20才を越しているので、早速飲む会をキックオフとしました。
そのついでに、
私の5000ブログ突破の「祝」までしてくれて、
このサプライズにちょっとウルっと来ましたが、
もちろん泣いたりするような不覚はありません。
当然です。
このパーはキーパーのパーではありません。
5000の五です。
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2017年09月27日(水曜日)
9.27.二回目のはじめの一歩
このブログを書き始めた時は、
ブログという概念そのものがまだなかった頃なので、
社長コラム「はじめの一歩」と題して書いていました。
それがいつの間にか「谷 好通コラム」と単純な名前になって、
ずっと続いてきました。
5000話までに続くとは自分でも思っていなかったので、
5000の次の
隠しナンバーリングを5001にしようか
二回目のはじめの一歩のつもりで001にしようか、ちょっとだけ迷いました。
これを書き始めた2001年、私はまだ65才-17年=48才でした。
日本全国をほとんど家に帰ることなく飛び回り、
強行スケジュールをこなすことに生き甲斐を感じていました。
やがて世界に出て行って、
中国などアジアには71回行きました。
ある時はアメリカ西海岸からニューヨークに飛んで、ドイツ、オランダに廻り、
ドイツから帰ってくる左回りでの世界一周もやったこともあります。
左回り世界一周は偏西風に乗るので飛行時間は短くなるし、
昼間を1日分得することになりますが、
時差でものすごくつらかった憶えがあります。
とても四級の身体障害者とは思えないようなバカなハードスケジュールでした。
中国もアメリカもKeePerの「とにかく教えまくる販売方法」は通用せず、
ほぼすべての海外での活動から撤退して、
明確に自分の行動を日本国内での活動に切り替えたのは、
10年前の55才、2007年頃でしょうか。
キーパープロショップを造りました。
翌々年にはクリスタルキーパーを造り、キーパーラボも造りました。
あの頃から、会社の成長も速くなって、
また今年も成長することが出来ました。
しかし、はたと気が着くと、
数年前の椎間板ヘルニアを境目にして、
元々の左足の変形が進んでしまい
歩くことがすっかり辛くなって、
一時は車いすに頼っていましたが
ドイツのマイスターが造ってくれた魔法の靴で歩けるようになって、
それでも、筋肉の衰えは止める術もなく、
自分でもいやになるほどヨタヨタして歩くようになってしまいました。
東京とか、国内の新幹線で行けるところは今でも行けますが、
空港の中の広い空間は歩けなくなって、車いすに頼らざるを得ません。
しかしまだ好奇心は衰えることなく有り
海外にもまだ行きたい気持ちはありますが、
かなり回り人の介助が必要なので、なかなか言い出せないでいます。
なんちゃって、
強がってなんかいないで、
昔は何十回も行ったグァムあたりから、
二回目の「はじめの一歩」なんちゃって、
強権を発してみようか。それとも素直にお願いしてみようか。
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2017年09月25日(月曜日)
9.25. とうとう5000話になってしまいました。
このブログを書き始めたのは2001年の1月。
あれから16年と約8か月。
おおよそ6080日で5000話なので、1.216日に1話を書いた事になる。
四捨五入すればほぼ毎日書いていたつもりです。。
書かなかった日ははっきりしていて、お酒を飲んだ日で、
40代、50代の若い頃は1年に365回は飲んだので、
書かなかった日は飲みすぎて正体を無くした時かもしれないが、
最近では、酒もすっかり弱くなったので、
誰かと酒を飲んだ日は間違いなく書いていない。
だから、休む日が多い時は、よく飲んでるなと思っていただいて間違いない。
なんで16年以上前、毎日書くようになったのか。
これからはITの時代だと言うことで、
初めて会社(アイ・タック技研)のホームページを立ち上げた時、
このサイトをたくさんの人に読んでいただくためには、
「社長が真っ先に毎日何か面白いことを書けばいい。」と社員から言われて、
義務感に燃えて、書き始めた。
ちょうどコピーライターの糸井重里が「ほぼ毎日コラム」みたいな名前で、
書き始めていた頃で、それがかっこいいと思ったし、
とりあえず100話を毎日書こうと思って、始めました。
かなり頑張って、とりあえず100話を書き終わった日、
それが習慣になっていたので、
どこまで続くかわからないが、
とりあえず、書き続けようと思って、
とうとうここまで来てしまった。だけです。
商売的には明らかにプラスでした。
自分が全く知らない方がたまたま読んでいただき、
それが縁の始まりで、今に至っている人もたくさん見えます。
このブログの上では嘘や見栄張りなどは、
絶対に書かないでおこうと思って、やってきましたので、
読んでそう思っていただいた人は、
私と初めて会った時から、私のそのままを知っている訳なので、
お会いした瞬間から私は素っ裸になっているのと同じ。
だから、
私も一切の嘘はつけず、見栄も張りようがなく、
素直に接することが出来たので、
信頼関係を持つことが早く、私も、
ブログを読んでいらっしゃる人とお会いすると、
その人のこともまるまる信じてしまったような関係になります。
中には営業的に読んだ方もいますが、
そういう方は判ります。
だから、
これを書き続けることによって、
膨大なコミュニケーションを持つことになって、
それがビジネス的にも有効に働くこともありました。
何よりも、たくさんの人に強い親しみを感じます。
また、毎日文章を書いていると、
言葉で「伝える」ことは上手くなって、
この会社の社員のみんなとも、
共有している部分があり、
お互いに知っているとうまく行くことがたくさんあります。
しかし、
それよりも、何よりも、
家族とのつながりが一番うれしく、
連れ合いは、私がこのブログを書き終わると、
真っ先に「見せて」と言って、
私の手からPCを取り上げて最初に読みます。
そして一言「面白かった。」「長すぎるわ。」などと一言言います。
私はそれが嬉しくて、出張中でも電話で「書いたよ。」と言うことがあります。
案外、これが5000話も続いたのは、そのせいかもしれません。
(いい年こいて、そんなことあるわけがない)
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