2017年06月27日(火曜日)
6.27.梅雨のシーズンの過ごし方、「過休暇」奨励
今年の梅雨はちょっと前まで雨が降らずに空梅雨でした。
このところ九州地方を中心に大雨が降っていますが、
私たちの中部地方では、やっぱりあまり降りません。
でも、空は曇天で、おテントウさまの顔はさっぱり見えません。
日照時間の観点からすれば、
今はやっぱり梅雨で、
私たちの店舗へのお客様もこのところ少なめになっています。
しかしこれは毎年のことなので、
そう悲観するものではありません。
前年比で見れば、まだまだ健闘しています。
しかしこの時期が、
店舗の緊張感を維持するのが最も難しい時期なのです。
何故かと言うと、
4月に入社してきた大勢の新入生が、
各地のKeePer LABOに散って、
それぞれの店舗で先輩から技術を教えてもらい
そろそろ手洗い洗車から室内清掃、ピュアKeePer、
ひょっとしたらクリスタルKeePerまで先輩に見守られながら、
出来るようになっている時期なのです。
そうすると、
今までは教えてもらうばかりで、あまり仕事の量は出来ず、
ある意味では面倒な存在であった新入生が役に立ち始めていて、
一丁前の戦力に数えられるようになっています。
まだ、一級技術資格を取る為の練習を
先輩の車や代車などを使ってさせてもらっていますが
人時生産性の勘定にも一人前とカウントされてきます。
そうなると、
店舗も新入生一名につき、
正味、技術スタッフが一人増えたと同じようになって来ます。
と、同時に
6月から7月前半は梅雨です。
雨と曇天が続き、客数も少なく、じっと我慢の時期になります。
なのに、
5月までと同じようなつもりで勤務のシフトを決めると、
技術スタッフの数が俄然多過ぎる現象になります。
スタッフが多過ぎる店舗は例外なく腐ります。
仕事が少ないのに店舗に多くのスタッフがいれば、
仕事に緊張感が無くなり、
「一台一人真剣集中」が無くなって
緊張感のない技術で造った商品は品質が下がり、
時間品質まで下がると同時に、
接客、電話応対までダレたものになるのです。
人間が多すぎる店舗は例外なく腐ります。
だから、
この期間は、「過休暇(休暇の先取り)」を奨励します。
7月後半、8月になれば、忙しくなって、
なかなか予定通りに休暇を取れなくなる傾向があるので、
人があまり気味になる6月から7月前半にかけて、
つまり梅雨明け宣言が出る前までに、
「”過休暇”奨励」を出すのです。
季節によって、
店舗の運営を臨機応変しなければならない部分もあります。
出荷倉庫前に咲くアジサイ
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2017年06月26日(月曜日)
6.26.「谷さんは200年でも生きます。」と蓮ちゃんが言った
昔、もう十数年も前のこと。
「蓮ちゃん」という不思議に霊感の鋭い女の子がいて、
その子は、レースの前、ピットでレースカーをじっと見つめて、
「この辺が透き通って見える。」と
レースで車の壊れる場所を言い当てたり、
今思い出すと、
あの頃信頼していたのに、
今になっての裏切りを言い当てていたり、
不思議なことがいっぱいありました。
その蓮ちゃんに、昔、
「僕はあと何年生きるのですか?」と聞いてみました。
すると蓮ちゃんは、
「谷さんは気力で生きている人なので、気力が続く限り200年でも生きます。」
でした。
気力で生きているとは、どういうことなのか、
よく解りませんでしたが、
気力が続く限り200年生きるとは、すごいことですね。
100歳を過ぎて骨と皮だけになってからも、
何十年も気力だけで生きている姿は、思い浮かべるだけでも疲れます。
出来れば、
みんなに惜しまれながら、
静かに、穏やかな死を迎えたいと思うのですが、
知っている人がみんな死んで
老いさらばえても、歯を食いしばって生き続ける我が姿は、ぞっとします。
しかし、蓮ちゃんが言いたかったのは、
「長生きしますよ。」ではなく、
何かで気力がなくなってしまった時、
それが若くても、死んでしまうということだったのでしょうか。
それが生きる気力ではなく、
仕事などに対する気力がなくなっても、
その時、若くても死んでしまうので、
私は、あらゆる意味で気力を持ち続ける必要がある。
ということなのでしょうか。
それでは私は永遠に仕事をやめられません。
ちょっと気を抜くと、
その場で死んでしまうかもしれず、
死にそうになっても、気力で仕事をしているしかない。なんて、
疲れる人生のようで、我ながら可哀そうだと思いますね。
しかし、思うに、
私がいつまでも本気になって仕事をしていると、
みんなが真剣に仕事をできないのではないか、
とも思うのです。
私はどうすればいいのでしょうか。
どちらかというと、私は200年も生きたくはありません。
でも、まだ仕事を辞めたいとも思いません。
当分、まだ生きていそうですね。私は、
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2017年06月25日(日曜日)
6.25.いいタイミングで、いい映画を見ました。
今日は、お休みの日にして映画を見に行きました。
野村萬斎主演の「花戦さ」(はないくさ)で、
その予告編を見る限りでは喜劇かなと思ったのですが、
実際に見ると見事な映画で、
生け花という素晴らしい日本文化を満喫でき、
ストーリーは狂言風でもありながら真剣なもので
私は、また深く感動してしまったのです。
豊臣秀吉の晩年における”おごり”が、痛切に描かれ、
野村萬斎演じる池坊○○が最後に、
千利休切腹の仇討に花で戦いを挑み
秀吉に「それぞれには、それぞれの良さがある。」と悟らせる下りは、
我が身にも突き付けられたようで、
深く感動したと同時に、はたと気づかされてしまいました。
口ぐせのように「謙虚であれ」と言いつつ、
私自身は、何かで腹が立ったりすると、
つい大きな声を出す場面もあります。
それでも、みんなが私の言うことを聞いてくれるので、
つい、それで良いと思ってしまうこともありました。
そんな自分が、今日の映画の中の秀吉みたいだと思って、
無性に泣けてきてしまいました。
雨がシトシトと続く今日、
映画館に行く道すがら、何気なくLABOの店舗に寄って、
若い子に声をかけたかっただけなのに、
コーティングブースのエアコンの温度設定が「19℃」になっているのを見て、
ガッカリして、その場で若い子を怒鳴ったりはしなかったものの、
電話で地域担当マネージャーを叱責してしまいました。
それを聞いて若い子はびっくりしたでしょう。
まるで映画の中の秀吉に通じるところがあります。いけません。
会社が大きくなればなるほど、
スタッフも多くなればなるほど、
自分の思い通りにはいかないことが多くなってきます。
そんな時、いちいち腹を立てていたら、解決できることまで何も解決しません。
私は映画「花戦さ」の中の秀吉になってはいけません。
いいタイミングで、本当にいい映画を見ました。
この映画お勧めです。
ところで「リンダ」ですが、
今のリンダの一番のお楽しみは小さな庭でドックラン状態になることで、
おかげで庭はグチャグチャになってしまいましたが、リンダはご機嫌です。
今日はドアの網越しに猫の「チーちゃん」とお見合いをしました!
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2017年06月24日(土曜日)
6.24.人生を最高の意味に生きた人
小林麻央さんが癌によって亡くなったことを
今、どのテレビも大きく取り上げています。
夫の市川海老蔵と彼女の純愛と、長く厳しい闘病生活の足跡を追い、
その健気さと愛情の純粋さに日本国中の人が感動して、涙しています。
彼女の素晴らしさは、
「癌の影に隠れて生きたくない。」と、
その凄まじいまでの闘病生活を赤裸々にブログに書き続け、
苦しいに決まっているその中で、笑顔を持ち続け、
それを多くの人に見せ続けることで、
癌に負けない意志を持ち続け、
癌に勝ち生き続ける意志を笑顔で表に出すことが、
愛する家族に対する強烈な愛情の表現であったのでしょう。
私も深く感動しました。
感動しながら凡人は考えました。
人は必ず死にます。
生き物は100%の確率で死にます。
宇宙が生まれてからの138億年の中で数十年の人生は、
限りなくゼロに近く、
死んだら自覚も何もなくなってしまうのなら、
そして時間が無限ならば、
私は65年/∞=0であり、確実にゼロです。
でも、私には自覚があるし、存在しているのだから、
私はゼロではありません。
とすると膨張し続けている宇宙は、何百億年あるいは何千億年かの未来には、
膨張から転じて収縮を始めた宇宙がいずれは終わるるのでしょうか。
いずれにして圧倒的に長い時間の中で、
今、生きているこの瞬間はいったい何なのでしょうか。
私は自覚があるから、
自分がいま生きていることを感じられます。それは事実なのでしょう。
この自意識は死ぬと無くなって、無になるのでしょうか。
しかし、いま生きている自覚が実際にあることは、
自分がゼロではない証明になる訳だから、
すると時間は無限ではないことも証明されるのと同時に、
人が死んでゼロになってしまうことは矛盾してくるので
当然、人生も有限であり、
宇宙の時間レベルの中では無に近いが
確実に存在している「点」に近い短い人生が、ゼロになるとは思えません。
それが仏教でいうところの輪廻転生かもしれません。
私にはよく分りません。
しかし、人とその自覚は必ず存在するのですから、意味があるはずです。
その意味は、長さなのでしょうか。
その長さは分母が138億年であれば、
分子が34年でも100年でも、いずれも一瞬の点でしかなく、
意味があるとは思えません。
人生の意味がその長さによって決まるのならば、
34歳で亡くなった小林真央さんの人生は意味が小さいことになります。
逆に100歳まで生きたご老人は、
それだけで彼女の三倍近く意味の深い大きな人生だったのでしょうか。
そんなことは無いでしょう。
あるいは人生の意味とは、どれだけ楽しんだか、で決まるのでしょうか。
私にはそうは思えません。
生きている間にどれだけ贅沢をしたり、遊んだり、
あるいは快楽を自分のものにしたり、名誉欲や支配欲を満たしたり、
より人生を充実して楽しんだかによって、人生の意味が決まるのでしょうか。
あるいは、そうなのかもしれません。
でも、
それはあくまでも自分だけの問題であって、
楽しいと感じるのは自分であり、
例えば、美味しいと感じるのは自分の自覚だけであり
例えば、気持ちいいと感じるのは自分の問題であり、
それは、犬猫でもそうだろうし、
どんな動物でも、自分が良ければそれで良い訳で、
それで人生の意味が決まるとしたら、
自分は犬猫、あらゆる動物と同じ意味になってしまいます。
人間の人間たる所以は、自覚あるいは自意識を持っている事であり、
その発達し進化した意識をもってして、
自分以外の人の喜びを、自らの喜びと感じる心、
自分以外の人の幸せを自分の幸せと感じる心、
自分以外の人の幸せを願い、思い、行動できる心、
つまり、それを愛というのでしょうか。
自分以外の幸せを願う心を持っているのは人間だけです。
これを科学的に言うと「共感性」といい、
一部の霊長類がわずかに持っているそうです。
これの延長線上にあるのが成熟した愛情で、
自覚と自意識を持つに至った進化の頂点にある人間は、
ひょっとしたら、
相手の幸せを願う気持ちとしての愛情に、人生の意味があるのかもしれません。
そういう意味では、
34才にして亡くなった小林真央さんは、
その愛情の大きさと純粋さにおいて、
弱っていく自分の姿を晒してでも、自分が生き続ける意志を持ち続け、
家族が自分に対しての愛情に応えようとした姿は、
人間として最高の意味と価値を持った輝かしい人生であったと思ったのです。
死ぬ間際の「愛してる・・」
感動しました。
心よりご冥福をお祈りします。
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2017年06月23日(金曜日)
6.23.自分が恥をかけばいいので、晒すことにしました。
今日はLABO足立店である経済紙の取材を受けました。
私はこういうのがいたって苦手だったのですが、
株式の上場を経て、機関投資家の方へのIR(インベスターリレーション)で、
事業の説明や、現状と将来に向けての説明を何十回もやって来て、
それに似ている「取材」を受けることが苦手でもなくなってきたのです。
だから、
たくさんの人にKeePerをよく知っていただくために、
積極的に自分を晒して行こうと思ったのです。
自分を晒すことが、恥を晒す結果になったとしても、
自分が恥をかけばいいだけなので、
今日も、あっという間に1時間が過ぎて、
あまり緊張する場面もなく終わりました。
しかし、カメラを向けられるのは、やっぱり苦手です。
こればっかりは苦手です。
私はみんなにしょっちゅうカメラを向けますが、逆はとても苦手です。
でも、せっかく足立店に来たので、
店のみんなを写してきました。
野崎Mgと伊藤チーフは、
取材でいっぱい写真を撮ってもらったので、あえて抜きです。
一級技術資格山田スタッフと一級技術資格益子スタッフ
新入社員の本田スタッフ
どことなく太った後藤店長
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