谷 好通コラム

2017年09月30日(土曜日)

9.30.起業に欠かせない最強の味方

33年前、独立して起業した当時は、
何もかも自分でやらなければならなかったし、
人にやらせると、思った通りに行かず、結局、また自分でやることになり
「自分がもう一人か二人もいたら、すごく楽なのになー」
なんて真剣に考えたものです。

 

最初は150坪の小さなガソリンスタンドを、
私と妻で運営しました。
それまで妻はガソリンスタンドの経験が全くなく、
開店前に、知り合いのスタンドにただ放り込んで、
燃料の入れ方を憶えさせました。
今思うと、無茶苦茶であり、可哀そうなことをしました。
でも、この相棒は「自分がもう一人いる」のと同じで、
起業には欠かせない最強の味方であり、
その事業の成否を決める決定要素にも成りうる存在です。
少なくともKeePerのこの会社のその初期においては、
この要素は不可欠でした。

 

世界一のカレーチェーン店CoCo一番館は、
その独自のブルームシステムという独立システムで、
「事業主として自分の店舗を持ち独立するには、
一度は、奥さんも一緒にその店舗に入って運営に加わること。」
というルールがあったと聞いたことがあります。
よく考えると、いろんな意味があり、
夫婦がその事業の苦労の部分も楽しみの部分も共有できれば、
その事業はうまく行くに違いありません。
私自身もそんな例をたくさん見てきました。

 

今は、そのチェーン店に法人も加わったりしているので、
必ずしもmustではなくなっているとも聞きますが、面白い話であり、
実にその通りだと思います。

 

起業は夫婦がその事業を現場を共にすることが、実は必須とも言えます。

 

そんなことを思い出しました。

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2017年09月29日(金曜日)

9.29.二つの・・・委員会を作りました。

会社の組織はその規模が大きくなると、
それぞれの仕事の範囲が限定的になって、
それぞれのメンバーが、それぞれの仕事のスペシャリストみたいになって、
自分の範囲の仕事の事しか分らないような、
視野の狭い人の集まりのようになってしまいます。
それはそれで効率が上がって良いようにも思えますが、
著しく質の面が低下することも間違いありません。

 

たとえば、私たちの会社で言えば、
会社の存在意義と価値は、
「お車を驚くほどきれいにすること」であって、
「お客様を驚くほど喜ばせることが出来ること」です。
それに関わる仕事がこの会社の本体であり、価値そのものです。

 

その仕事に携わる人を募集するのに、
事務仕事しかやったことのない事務所の人に募集を任せてしまっても、
この仕事の魅力や、やり甲斐を知っている訳ではないので、
ただ募集のための事務的な手続きをするだけで、
この仕事に魅力を感じて応募してくる人がいっぱい出るような
魅力を熱く伝えられるような募集は出来ないでしょう。
それは仕方のないことなのです。
募集とは、
その仕事の魅力や遣り甲斐をよく知っている人が、
その魅力を一緒に味わいたいと思って、募集の活動をすれば、
自然に募集活動そのものも魅力的になり、
この仕事に魅力を感じて応募する人がいっぱい出るような募集活動が出来ます。
そんなことを他の会社の活動を見ていて学びました。

 

学ぶとは、即実行することです。
そう思って、人事委員会を作りました。
現場のことをよく解っていて、
かつ、これまでの募集活動で成果を上げてきた人を
専門のスペシャリストとして中心に
各地域の各現場の第一線で活躍する人を、人事委員としてピックアップして
人事委員会の結成です。
再来年卒業の新卒予定者への活動がもうすぐはじまります。

 

今この体制を作ることに、
二年後、三年後のKeePer技研株式会社の成長戦略の是非がかかります。

 

もう一つ、
「広報委員会」を作りました。
KeePerが世の中に提供する、KeePerの魅力や話題は、
実は、現場の中にいっぱいあるはずです。
また、それを書ける力を持った人もいっぱいいるはずです。

 

なのに、KeePerタイムスをはじめとする会社の広報活動は、
現場ではない人ばかりが関わっているのは、よく考えると変でした。
情報と話題を外に向けて発信できる人は、
ブログを見ていると少しわかります。
特にLABOブログは、
毎日何十と言う話題が更新されるほど活気があります。
その点では営業の人はだめですね。
いつも口で能書きを言っているので満足してしまっているのか、
ちっとも話題を世に提供する気がないようです。

 

しかし大阪だけがスタッフブログをほそぼそと更新しているので、
広報委員会の委員長は、
大阪営業所から昇格して大阪営業部になった山戸部長に任せました。
仕事はきちんとするところまでは大抵の人は出来ても、
それを外に出していける能力は、単なる能力だけのことではなく、
自分の価値観をどこに置けるのかという問題で、
そういう意味で、経営者たるものとしての資格ありとして
山戸裕子を取締役部長に推挙しました。

 

その彼女を委員長とした広報委員会は、
活発な活動が出来そうです。
現場の若手の長と、二年生と一年生まで交えた混成部隊は、
全員20才を越しているので、早速飲む会をキックオフとしました。
そのついでに、
私の5000ブログ突破の「祝」までしてくれて、
このサプライズにちょっとウルっと来ましたが、
もちろん泣いたりするような不覚はありません。
当然です。

 

このパーはキーパーのパーではありません。
5000のです。

 

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2017年09月27日(水曜日)

9.27.二回目のはじめの一歩

このブログを書き始めた時は、
ブログという概念そのものがまだなかった頃なので、
社長コラム「はじめの一歩」と題して書いていました。
それがいつの間にか「谷 好通コラム」と単純な名前になって、
ずっと続いてきました。
5000話までに続くとは自分でも思っていなかったので、
5000の次の
隠しナンバーリングを5001にしようか
二回目のはじめの一歩のつもりで001にしようか、ちょっとだけ迷いました。

 

これを書き始めた2001年、私はまだ65才-17年=48才でした。
日本全国をほとんど家に帰ることなく飛び回り、
強行スケジュールをこなすことに生き甲斐を感じていました。
やがて世界に出て行って、
中国などアジアには71回行きました。
ある時はアメリカ西海岸からニューヨークに飛んで、ドイツ、オランダに廻り、
ドイツから帰ってくる左回りでの世界一周もやったこともあります。
左回り世界一周は偏西風に乗るので飛行時間は短くなるし、
昼間を1日分得することになりますが、
時差でものすごくつらかった憶えがあります。

 

とても四級の身体障害者とは思えないようなバカなハードスケジュールでした。
中国もアメリカもKeePerの「とにかく教えまくる販売方法」は通用せず、
ほぼすべての海外での活動から撤退して、
明確に自分の行動を日本国内での活動に切り替えたのは、
10年前の55才、2007年頃でしょうか。
キーパープロショップを造りました。
翌々年にはクリスタルキーパーを造り、キーパーラボも造りました。
あの頃から、会社の成長も速くなって、
また今年も成長することが出来ました。

 

 

しかし、はたと気が着くと、
数年前の椎間板ヘルニアを境目にして、
元々の左足の変形が進んでしまい
歩くことがすっかり辛くなって、
一時は車いすに頼っていましたが
ドイツのマイスターが造ってくれた魔法の靴で歩けるようになって、
それでも、筋肉の衰えは止める術もなく、
自分でもいやになるほどヨタヨタして歩くようになってしまいました。

 

東京とか、国内の新幹線で行けるところは今でも行けますが、
空港の中の広い空間は歩けなくなって、車いすに頼らざるを得ません。
しかしまだ好奇心は衰えることなく有り
海外にもまだ行きたい気持ちはありますが、
かなり回り人の介助が必要なので、なかなか言い出せないでいます。
なんちゃって、
強がってなんかいないで、
昔は何十回も行ったグァムあたりから、
二回目の「はじめの一歩」なんちゃって、
強権を発してみようか。それとも素直にお願いしてみようか。

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2017年09月25日(月曜日)

9.25. とうとう5000話になってしまいました。

このブログを書き始めたのは2001年の1月。
あれから16年と約8か月。
おおよそ6080日で5000話なので、1.216日に1話を書いた事になる。
四捨五入すればほぼ毎日書いていたつもりです。。
書かなかった日ははっきりしていて、お酒を飲んだ日で、
40代、50代の若い頃は1年に365回は飲んだので、
書かなかった日は飲みすぎて正体を無くした時かもしれないが、
最近では、酒もすっかり弱くなったので、
誰かと酒を飲んだ日は間違いなく書いていない。
だから、休む日が多い時は、よく飲んでるなと思っていただいて間違いない。

 

なんで16年以上前、毎日書くようになったのか。
これからはITの時代だと言うことで、
初めて会社(アイ・タック技研)のホームページを立ち上げた時、
このサイトをたくさんの人に読んでいただくためには、
「社長が真っ先に毎日何か面白いことを書けばいい。」と社員から言われて、
義務感に燃えて、書き始めた。
ちょうどコピーライターの糸井重里が「ほぼ毎日コラム」みたいな名前で、
書き始めていた頃で、それがかっこいいと思ったし、
とりあえず100話を毎日書こうと思って、始めました。
かなり頑張って、とりあえず100話を書き終わった日、
それが習慣になっていたので、
どこまで続くかわからないが、
とりあえず、書き続けようと思って、
とうとうここまで来てしまった。だけです。

 

商売的には明らかにプラスでした。
自分が全く知らない方がたまたま読んでいただき、
それが縁の始まりで、今に至っている人もたくさん見えます。
このブログの上では嘘や見栄張りなどは、
絶対に書かないでおこうと思って、やってきましたので、
読んでそう思っていただいた人は、
私と初めて会った時から、私のそのままを知っている訳なので、
お会いした瞬間から私は素っ裸になっているのと同じ。

 

だから、
私も一切の嘘はつけず、見栄も張りようがなく、
素直に接することが出来たので、
信頼関係を持つことが早く、私も、
ブログを読んでいらっしゃる人とお会いすると、
その人のこともまるまる信じてしまったような関係になります。
中には営業的に読んだ方もいますが、
そういう方は判ります。

 

だから、
これを書き続けることによって、
膨大なコミュニケーションを持つことになって、
それがビジネス的にも有効に働くこともありました。
何よりも、たくさんの人に強い親しみを感じます。
また、毎日文章を書いていると、
言葉で「伝える」ことは上手くなって、
この会社の社員のみんなとも、
共有している部分があり、
お互いに知っているとうまく行くことがたくさんあります。

 

しかし、
それよりも、何よりも、
家族とのつながりが一番うれしく、
連れ合いは、私がこのブログを書き終わると、
真っ先に「見せて」と言って、
私の手からPCを取り上げて最初に読みます。
そして一言「面白かった。」「長すぎるわ。」などと一言言います。
私はそれが嬉しくて、出張中でも電話で「書いたよ。」と言うことがあります。

 

案外、これが5000話も続いたのは、そのせいかもしれません。
(いい年こいて、そんなことあるわけがない)

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2017年09月24日(日曜日)

9.23.今日は第25回株主総会のリハーサルでした

今日は、28日に行われる第25回株主総会のリハーサルでした。
株主総会とは「株式会社」という存在の”最高”決定機関であり、
すべての取締役と監査役がこの会で決められます。
だから、私も代表取締役であり社長である以前に、
この会社の”取締役”であることを株主総会で決められる必要があります。
その上で、株主総会後に開かれる臨時取締役会で、
代表取締役に選任される訳です。

 

しかし多くの株式会社では社長が過半数取得の株主とほぼ同一であり、
実質的には個人会社と同じで
株主総会は単なるセレモニーになっている場合が多いのですが、
KeePer技研株式会社は株式を上場した時点で、
開かれた本来の意味での株式会社を目指した訳であり、
株主総会を単なるセレモニーではなく、
本当に会社の最高決定機関として機能させたいために、
あくまでも形ばかりの紋切りの言葉で、
無事を最善とするだけでなく、
総会では、私自身の言葉で話すことにしました。
自分の言葉で株主さんに伝え、
株主さんたちと共に
この会社の現状を考え、未来を見ていくような
そんな株主総会になればと思っています。
甘っちょろいかもしれませんが、そう思っています。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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