2016年01月30日(土曜日)
1.30.進化とは否定と創造の同時実現
「進化」とは、
今までの環境に適合した姿形、能力から、
変化した新しい環境に適合すべく、新しい姿形・能力に「変化」すること。
進化に伴う「変化」とは、
「個体差」が徐々に開いて行ったり、
遺伝子レベルでDNAが異常をきたして起こる「突然変異」であったりするが、
いずれにしても「変化」が起こって、
変化する前の元々の形【A】と、変化した後の【AB】では、
必ずしも【AB】が【A】より新しい環境に適合しているとは限らない。
【AB】と元々【A】のどちらが環境に適していているかの競争、闘いである。
新しい【AB】が勝てば、【A】が【AB】に進化したということになり、
元々の【A】が勝てば、進化しなかったということになる。
進化とは新しいものと元々のものとの闘いに他ならない。
これが、一人の人間の中で行われる場合もある。
その場合は「進化」とは言わずに「進歩」あるいは「成長」とも言うが、
「進化」と同じようなことがおこる。
(a)という人がずっと今まで【X】の考え方が良いと言い続け、
【X】に基づいたものを造り、行動してきて、
仲間の(b)もそれに同調して【X】の考え方と行動を行ってきた。
しかし事態が進み、
状況が変わり、(a)はいつまでも【X】のままではダメだと考え、
新しい【Y】という考え方、行動に変わろうとした。
すると(a)の自分の中の【Y】は【X】と闘いを始める。
【Y】になろうと思ったら、
自分の中の【X】をまず否定し切らなければならない。
自分の中の【X】を否定して、【X】を攻撃し始めるのだ。
【X】であった自分が造ったものを、
こんなものはダメだと否定し、攻撃し始める。
【X】であった自分と、
【X】の自分が造ったものをさんざん否定して、攻撃し、勝った時
(a)は、やっと【Y】になれたことになる。
これで、
(a)は、【X】から【Y】に進化したので、
「進歩」し、「成長」したことになる。
この今までの自己の否定、攻撃は中々出来るものではない。
でも進化はこの否定なくしてはあり得ない。
進化とは、否定と新しいものを創造することの同時実現と言える。
しかしこれをしている時、
周りの人から理解されることもほとんどない。
自己否定は日常的ではないからだ。
自己弁護、自己防衛は普通に日常の中で行われるが、
進化のための自己否定は珍しい。
ましてや、(a)に同調していた(b)は【X】のままなのだから、
今まで同じ【X】であった(a)が、
突然【X】を否定し攻撃を始めると、
【X】である(b)も攻撃することになるので、
(b)は、なぜ(a)から攻撃されるのか、意味が分からない。
(b)は(a)の変貌に失望して (a)を否定し、(b)は自分を攻撃する(a)に逆襲する。
逆に、
変化し、進化した(a)は、
自分を攻撃してくる(b)が理解できない。
【Y】に変わった(a)は、
【X】のままの(b)を否定して、
【Y】の正しさを説くが、
【X】である(b)は、程度の評価を得て自信を持っているので、
(a)の言う【Y】はどうしても正しくないように思えて、【X】で逆襲する。
ここで(a)は、(b)に、何故、事態が変ったので【Y】でなければならないのか、
根気よく、これはしっかりと話をしてコンセンサスを取っていくしかない。
あるいは、訣別をするか。離別があるか。
それが嫌なら、根気よくコンセンサスを取るべきである。
そんなことを、思いました。
今、飛行機に乗って熊本空港に向かって飛んでいます。
中部空港では、自分の足で歩いて飛行機に乗りました。
新しく造った左足の矯正靴で歩けるようになったので、
車いすなどを使わずに
自分の足で歩いて飛行機に乗れるようになりました。
これは進化です。あるいは、うれしい復活です。
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2016年01月29日(金曜日)
1.29.新「キーパーLABO高島平店」三月中旬に新規開店の予定
東京都板橋区高島平に、
新規店「キーパーLABO高島平店」が、
今年三月中旬の予定でオープンします。
既存の「キーパーLABO板橋店」に約5km離れた場所で、
実績のある板橋店と良好なドミナント効果を出せるものと期待しています。
これで、KeePer技研㈱直営店が42店舗目、
FC店10店舗を含めて全52店舗の体制になります。
ここは密集した市街地のコンビニエンスストア跡地で、
敷地面積が427㎡(約130坪)、店舗面積188㎡(約57坪)の広さです。
キーパーLABOとしては、若干狭い部類ですが、
レイアウトの工夫で、標準的なキャパシティを持っています。
コーティングブース4台分、洗車場1台分に快洗7、仕上げ場3台分。
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2016年01月28日(木曜日)
1.28.たとえば、自分は許せるか、憎むか。
テロリスト集団であるISが、
フランスなどの連続無差別テロで膨大な数の人間を殺しました。
殺された人々は、ISとは無縁の人で、
殺される理由などまったくなく、
殺したIS側の、身勝手な被害妄想の言い分で起こした理不尽な死でした。
そんな身勝手な殺人で、
自分の妻を殺された夫が、
「ISは、世界中の人が、自分たちを憎むことを目的にして、
何百人もの罪のない人を残酷に殺した。
憎まれることによって、自分たちの存在を確かめようとしている。
私達が自分達を憎むことを期待している。
しかし、残念ながら、
私は、君たちを憎まない。
「許す。」
君たちが最も恐れている、
許されることを、君たちにする。
それが、彼らにとって一番困ることであり、恐れていることのはずだ。」
この話は、世界中に流れ、感動を呼び起こしたが、
私もこの境地を、何となく理解できたつもりでいたが、やはりわかりません。
身勝手な言い分で、
自分が大切にしていたものを壊されることを、
「許し」で、応えることは出来ません。
外から見ていれば、そういう「許し」もあるのかなあと想像はしましたが、
たとえば、
それが別のことであっても、
張本人の立場になったら、
やはり私は許せないでいると思います。
でも、考え続けるだけの価値があるだろうことは予感します。
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2016年01月27日(水曜日)
1.27.ゼロ戦より紫電改が好きです。
私の仕事部屋には、
出来上がりを買った精密プラモデルの飛行機があります。
メインはプロペラ機で第二次世界大戦の戦闘機たちです。
ケースの上から、
「ボートF8Fコルセア」アメリカ海軍の艦上戦闘爆撃機。
二段目に
「紫電改」20mm機関砲を両翼に4基持つ、日本の迎撃戦闘機。
三段目には
「Fw190ウォッケウルフ」ドイツの戦闘機
アメリカの戦闘機ならば、
ノースアメリカンP-51Dムスタングが正統なのでしょうが、
私は、主翼がWの字に折れているコルセアが好きです。
ドイツの戦闘機ならば、
メッサーシュミットBf109なのでしょうが、
私はあえて空冷のFw190ウォッケウルフ」です。
それで、
日本のプロペラ時代の戦闘機と言えば、
「ゼロ戦(零戦)」に決まっています。が、
私は、小学校の頃、戦争漫画少年であった頃、マンガで
「紫電改の鷹」を夢中で読んでいたので、
日本のプロペラ戦闘機は「紫電改」なのです。
でも、映画「永遠のゼロ」は良かった。
物語の最後に、宮部久蔵が、
最後にニヤッと解放された笑みを浮かべた時、
私は体の芯に響いて感動して泣きました。
男は、家族や、仲間が大切ですが、
男は、闘いが本能として好きです。
人間としてある前に、
おかしなことですが、男は本能として、勝つことが好きです。
あの場面では、零銭(ゼロ戦)で良かったのですが、
でも、私は紫電改が好きです。
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2016年01月26日(火曜日)
1.26.店が売るのではなく、お客様が買うのですね。
事実は一つしかないとしても、
人の目から見ると、
その見かたによって、
実際より大きく見えたり、小さく見えたりするものです。
見る人によっては、正反対に見えることもあります。
それと同じように、
一つの状況を見ても、
その人の見方と経験によっては、
深刻な状況に見えたり、良い状況に見えたりもします。
商売においての本当に深刻な状況とは、
今の業績が悪くなかったとしても、
何か悪くなっていく要素があって、
その何かを無くすか、解決しないと、
その店舗がどんどん業績悪化していくと考えられる状況であって、
その要素は目に見えるものとは限りません。
逆に、今、業績が良くなくても、
ものすごく業績が上がる要素をその店舗が持っていて、
その要素は、見方によっては明白なのに、
焦った見方をすると、まったく見えないことがあります。
しかし、見方を変えるだけで、見えなかったものが見えてきます。
見方を変えるだけです。
繁盛していない店があるとします。
店主、店長が言います。
「なぜ、売れないのかなぁ。」
「どうすりゃ、売れるんだろうか。」
「もっと看板デカくするか?」
「チラシを、配りまくろうか。おまけの景品つけるか?」
「もっと、安くすりぁ、売れるかもしれない。この辺の客、貧乏だからなぁ」
この店は、
この人たちが、何をどうやっても、
売上を上げることは出来ないでしょう。
売ろうと考えたら、
売れないでしょう。
売ろうと思うのは、売る自分たちの為であって、
お客様は誰一人、この人たちの為に売られようとは思わないからです。
お客様が買うのは、自分の為です。
自分の為だけです。
自分の為に何を、どこで、いくらで買おうか考え、
買いたいと思ったら、自分の意志で買います。
商品は店が店の為に売るのではなく、
商品はお客様が、自分自身の為に、買うのですから。
その道理からすれば
「どうすれば、何が売れるだろうか。」と考えても、売れるものではなく、
自分がお客様ならば、
「私は、何をどのように買うだろうか。」と考えて、
自分が買うかどうかの決定者であるお客様になって考えれば、
結果として、売れてしまうのではないでしょうか。
「売りたい。」と思うより、
お客様のつもりになって
「・・なら、買いたい。」と、
本気で思うと、
お客様としての自分が、なぜ欲しいのか、それを買うか分ります。
たぶん分ります。わたしは、欲しいと思いました。
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