2015年10月20日(火曜日)
10.20.意外なことが、意外にもあるもので
今日は東京経由で大宮に向かっています。
残念ながら、また車いすを使っています。
昨日の夜、名医との出会いのおかげで
足の痛みが無くなり調子が良くなっているので、調子に乗って、
階段を不用意に降りたら、足首を”ぐきっ”とやってしまったのです。
来週、足首を固定する装具を着けることになっているので、
痛みが無くなったとしても、
それまでは十分に注意しなければならなかったのに、
調子に乗ってしまったのは、本当に馬鹿でした。
しかし一晩寝た後も、腫れ上がってくることはなかったので、大丈夫でしょう。
もうちょっとだけ我慢して、またちょっとだけ車いすを使うことにしました。
もうちょっとの間だけです。
昨日の夜、
社員持株会(名称:社員株主会)の理事会に提案があって同席しました。
そこで驚いたのは、
ひょっとしたら会社の本体よりもむしろキチンと、
ルールに厳格に従った運営がされていたことです。
普段は、○○所長、▽□マネージャーと呼んでいる人に対して、
この理事会においては、あえて、
「○○理事、この件について報告をお願いします。」とか、
「分りました。▽□監事、手続きをお願いします。」とか、
普段は冗談を連発しているような人が、
仲間たちのお金を預かっている立場として、
照れくさくなるような言葉を使って、くそ真面目に議事を進めている様子は、
ちょっと、感動モノでした。
自分の子供みたいな気持ちで付き合ってきた若者が、
意外にも、いつの間にか大人になっている現場を見てしまったみたいな気持ちで、
嬉しい気持ちと、照れ臭いような気持が入り混じって複雑でした。
自分もいつまでも成長しようとあがいている間に、
みんなも同じようにどんどん成長していることを感じた意外な時間でした。
※理事会もテレビ会議です。
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2015年10月18日(日曜日)
10.18.未来は自分の意志で変えられるので・・・なんちゃって
今日は撮影です。
12月のキーパー選手権に向けて、
販促支援ツールを、11月の予約活動に間に合わせるために、
なんとか11月初旬にはお届けしようと、みんなで力を合わせています。
キーパープロショップのみなさん、もうしばらくお待ちください。
キーパー選手権は今年でたぶん7年目です。
最初は年末だけでしたが、すぐに夏の選手権も加わり、
途中から、降雪地域限定の春の選手権もありましたが、
さすがに年三回は多いとして、年末と夏の年二回の選手権に落ち着きました。
ですから通算で何回の選手権が行われたか、
キーパータイムスの記録をさかのぼって見れば判りますが、
誰もそれをしようとは思いません。
たぶん15回目くらいでしょう。
しかし過去は過去なので、
思い出としては残りますが、
過去の結果として今がありますし、
こういうことは今を全力尽くすことで過去を活かすことになるから・・なんて、
よく言われることで、
過去は変えられないが、未来は自分次第でいくらでも変えられる。
なんちゃって、
たぶん、今回が何回目の選手権なのかを調べようとしないのは、
不謹慎ですが、面倒くさいからだけかもしれません。
そういえば、
今日は日曜日ですが、みんなよく普通に出てきますね。
熱心ですね。えらいもんです。
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2015年10月18日(日曜日)
10.18.治療をしていることと、治すこととは違うのか?
体のどこかが具合悪くて、病院に通う。
その「目的」はその病気が治ることです。
しかし最近ふと思うには、
病院にとって自分はリピーターとしての存在意義であって、
相談すればするだけ病気が増えて行って、
病院に行く回数も、薬の量も増えて
ひょっとして、自分は徐々に優良客に拡大しているのではないかと、
勘繰ってしまうことがあります。
思えば二年前、
大仕事の前に体を万全に整えようと
徹底的人間ドックのつもりで入院して、
慣れない入院の間、ずっとソファでパソコンを打ちっぱなしでいたのが悪く、
椎間板ヘルニアを起こしてしまったことに気が付かず、
退院した直後から、起きられないほど腰を痛くなって、
治療が始まりました。
あれから二年間、
治っているのか、治っていないのか解からない状態でズルズルと病院に通い、
かえって今は車いすに乗るようになっているのは、何か変だ。
そういえば、
睡眠科にイビキの相談に行ったら、
一晩がかりの大げさな検査のあげく、ひどい無呼吸症候群であるとして、
毎月、睡眠科に通って治療を受けるよう指示を受けたけど、
与えられた大げさな治療具を使うよりも、
市販のサプリの方がよっぽど効いているような気がして、
その治療具を返却して通うのをやめたいと申し出たら、
先生が残念そうに「やっぱり、だめ?」と意味の分からないことを言った。
ひょっとして、病気とは、
病院に通っている間中、病院に通っているから続くものなのだろうか。
へんな疑問がふと湧きました。
そういえば、ずっと以前の話ですが、
オフクロが、歯が一本痛くて、
1年以上も近所の歯医者さんに通っていたけど、
ちっとも治らない。ずっと痛くてつらいとボヤいていたことがありました。
そこで、私が信頼している守山区の堀田歯科に、無理やり連れて行ったら、
堀田先生いわく
「あなたが痛いのは、今治療している歯の”隣りの歯”が悪いからだよ。」と、
その隣の歯をパッパッと治療してもらったら、
オフクロは初めて行ったその日に、
1年間苦しんだ痛みが嘘のように無くなりました。
本当に嘘みたいだと、オフクロは大喜びでした。
それで、堀田歯科に行ったのはその一回と、もう一回だけです。
しかし今思うと、
オフクロは、1年間も”治療をするため”に、
その近所の歯医者さんに治療をしに行っていたのではなかったのか。
その歯医者さんにとっての目的は、オフクロの歯を治して終わることではなく、
治療を続けるためにそこに通い続けることが目的ではなかったのか。
勘繰り過ぎかもしれませんが、
あれから、会社の社員、役員が何人も、
(それぞれが別々の所に行っていて)
オフクロと同じように事があったので、
堀田先生の所に行かせたら、本当に一回で治ってしまったのです。
あまりにも同じようなケースがあるので、
ひょっとしたら、
通わせて治療を続けることを目的としているようなことが
本当にあるのかもしれない。
そんな変なかんぐりを持ってしまったのです。
私達は、お客様のお車を、
ものすごくキレイにして、お客様に喜んでいただいいて、
また繰り返しご来店をいただく、リピートを目的に仕事をします。
喜ばれてリピートをいただきます。
やりがいがあって、やってきて良かったと心から思います。
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2015年10月16日(金曜日)
10.16.開発とデザインを自前でやるようになったのは
この会社には今、
デザイナーさんが7名もいます。
最初に採用されたデザイナーは伊藤デザイナーで、もう6年前のこと。
それから林田デザイナー、立花デザイナー(東京)、一條デザイナー、
佐伯デザイナー、弥富デザイナー(東京)、青木デザイナーと、
順番に増えてきました。
それまでは小さな個人の広告代理店を使っていたのですが、
その広告代理店は、最初はKeePerとの連携も良かったのですが、
ある程度の大きさになって軌道に乗ってきたら、
自分の好きな方向に向かい始めたのです。
つまり、
KeePerの目指す洗車とコーティングのあり方「質」よりも、
どうしても「売り」に走って、表現がどぎつくなり、
サービス商品であるキーパーコーティングの質を、
いかにユーザー訴求するかというより、
とにかく「売れればいい」と大きな声で叫ぶようなツールになってきて、
もっと言えば、販促ツールそのものが売れればいい。と、
そんな方向に行ってしまい
どんどんKeePerのコンセプトとかけ離れていったので、
もう販促も自前でやった方がいいと考えて
リクルートでデザイナーを一般募集しました。
実質的に販促ツールなどのデザインの内製化に踏み切ったのです。
それまではやってもらっていたことを、
自前でやるようになるには、
「ちゃんと出来るだろうか」の不安はつきものですが、
とりあえず、「自分でやってみる。」は、
私自身の長年の習慣であり、この会社の文化であり、
これまでも、あらゆる製品、すべてを自分たちで開発、自前で造ってきたので、
そんなに不安はありませんでした。
で、やってみたら、
大正解でした。
私達が施工店さんたちと考えた内容が、
ダイレクトにデザイナーに伝わって、
気持ちが良いほど早く、的確に出来あがって、
修正があっても5分もあればできるし、
自由自在とはこのことかと思うほど、
スムーズに、早く、思った通りのものが出来あがり、しかも、安く出来ます。
こんな事なら、何故もっと早くやらなかったのかと後悔するぐらいでした。
一番良かったのは、
キーパープロショップさんをはじめとするKeePer施工店さんたちが、
その会社ごと、その店舗ごとに合わせて、思った通りのものが、
素早く、しかも安く、提供できるようになって、
販売面においても、本当に皆さんのお役に立てるようになったことです。
私達自身も直営店を運営しているので、そこで得たノウハウの部分も
素早く提供できます。
前回の夏のキーパー選手権では、
手配り用メニューチラシをキーパープロショップの皆様に、
好評のもとなんと約450万枚も提供できました。
これも、自前でデザインから製作までをやっているから出来たのでしょう。
こんなことを広告代理店に依頼してやっていたら、
トンデモナイ事になっていました。
6年前に社内に伊藤デザイナーという存在が出来たところから、
KeePerは確実に変わったのです。
今やデザイナーも7名にまで膨れ上がって、
それでも、みんな毎日大量の仕事をやっています。
本当に効率よく、日本全国からの仕事をこなしてくれています。
もちろん、こなすだけでなく、
実際の店舗に出て行って、机上の空論にならないように現実と接しています。
デザイナーたちを「企画製作課」というくくりの中で、
それらは一人一人がクリエーターなので、
誰にも役職をつけず、
全員、デザイナーという存在で、役に立ってくれています。
去年の夏、
自分たちだけで造ったキーパー選手権用のポスター
何でもそうですが、
自分で自前でやれるかどうか、やってみなければわかりません。
やって見て、やれたら、
そこからトンデモナイ大きな可能性が広がることは良くあることで、
多くの場合、やって良かったとしみじみ思うことが多いのです。
店舗開発も今はほとんど自分たちでやっています。
店舗プランは、LABOの構造が独特なので、
必然的に自分たちでやります。
最近では、建物のデザインまで、
店舗開発課とデザイナーが、
素人ながらにも、自分たちで出来るようになりつつあります。
やってみれば、やれるものですね。
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2015年10月15日(木曜日)
10.15.「無痛~診える眼~」って本当にあるのかもしれない。
先日、テレビで、「無痛~診える眼~」というドラマを見て、
ドキドキしました。
二人の主人公の医者は、人を見ると、
一瞬のうちに診断してしまって、診て、
「あの人はネフローゼの兆候(?)と、発汗があり・・・・」とか、
よく分らないですが、
人を見ると、その人に表れている現象を一瞬にして診えてしまい
論理的組み上げで、その人の症状を見抜いてしまうのです。
そして、通りがかりですれ違った若者が、
間もなく暴れ始めるのを見抜いて、その前に警察に通報して不思議がられたり、
この医者には「診えてしまう。」らしいのです。
これはテレビのフィクションのドラマなので、
そんなことが本当にあるのかどうか分りませんが、
私には、この話があながち作り話ではないような気がしています。
普通のお医者さんとは異次元の、「名医」っているものです。
もう30年以上も前のこと、
私がまだ独立していない30才を過ぎたくらいの頃、
N歯科で、虫歯になった奥歯を抜くことになったのですが、
1本の奥歯を抜くのに1時間以上もかかって、でも結局、その日は抜けなくて、
次の日にまた行くことになったのです。
でもさすがにもう、このN歯科には行きたくなくて、
翌日は、私のオヤジが行っていたT歯科に行くことにしたのです。
そうしたら、治療が始まって3分もかからずその奥歯が抜けました。
前日に1時間以上もN歯科で苦しんで抜けなかったのが嘘のようです。
その時は本当にN歯医者に行かなくて良かった。と、
つくづく思ったのでした。
それで、そのT歯科が、私のかかりつけの歯医者さんになり、
しばらく経って、色々あって、
T歯科で前歯の大部分を差し歯にしてもらいました。
これはこれで具合が良く、10年以上過ごしました。
しかし15年前、仕事中、トラックに快洗Jr.(初代)を載せようとした時、
うっかり、その快洗Jr.が滑って、私の顔、それも口にまともに当たって、
差し歯が全部折れてしまいました。
万事休すです。
すぐにT歯科に走って、何とかしようと思ったのですが、
T歯科の院長先生は、「入れ歯にするしかないね。」とおっしゃる。
しかし、その頃、私は全国を文字通り飛び回って、
日本国中のあちらこちらで講演などをしていました。
なのに、大きな声で話をするのに”入れ歯”では滑舌が悪くて、
まともに話もできず、仮で入れた入れ歯はつらくて、本当に一時は絶望的でした。
しかし、その時、
経理のおばさんが、
「インプラント」って知ってますか?と、
ご自分のご主人がそのインプラントを入れてもらった
名古屋市守山区の堀田歯科という歯医者さんを紹介してくれたのです。
これが、私の復活劇となって、今があると言って過言ではありません。
この時の話は、このブログの15年前の第一話「復活の日」に書いてあります。
堀田先生は今まで知っていた歯医者さんとは全く違っていて、
その体型も、動きも、言葉も豪快なのですが、
とにかく治療について、インプラントについても、
何をどのように、何故、どうするのかを、詳しく話してくれるのです。
面と向かって真正面に話をしてくれる歯医者さんなんて見たこともありません。
それで治療の腕は超一流なのです。
何人もの私の会社の社員もお世話になりましたが、
痛くて苦労していた歯も、たった一回の堀田先生の治療で、
まったくの無痛状態になったものです。
みんな本当にびっくりでした。
堀田先生は、実感を持って「名医」と思います。
そのくせ欲がなくて、
ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領を紹介するテレビを見ていて、
この堀田先生を思い出したものです。
そんな「名医」を、15年ぶりに経験しました。
歯医者さんではありません。整形外科の先生です。
ひょっとしたら、私はまともに歩けるようになるかもしれません。
車いすを使った生活も、少し慣れてきましたが、
ひょっとしたら、私はまた、まともに歩けるようになるかもしれません。
15年目の二人目の「名医」との出会いに、今日、ちょっと感動しました。
実は、堀田先生が紹介してくれたのです。
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