2015年09月05日(土曜日)
9.05.日本一の急角度で登るボーディングブリッジ
ボーディングブリッジとは、
搭乗口から飛行機までをつなぐ橋です。
飛行場の搭乗口はいつも同じところに固定的にありますが、
飛行機の方は機種によって大きさや高さが変わるので、
それをつなぐボーディングブリッジは、
飛行機に合わせて可変であり、
概して搭乗口側が高くて、飛行機側が低くなっています。
飛行機の入り口は、大型機であるほど高い位置にあるので、
大型機が発着する飛行場ほど、
搭乗口側も高くなっていて、そりバランスを取っているのが普通です。
地方の空港には旅客数が少ないので大型機の発着は稀であり、
背の低い小型機がほとんどなので、
ボーディングブリッジの搭乗口側も低くないと、
バランスが取れずに、ブリッジに急な角度の坂が出来てしまうので、
搭乗口は2階にあることが普通です。
ところが、
今日、鹿児島便に乗った中部空港は、
搭乗口が3階にあって、しかもけっこう高い所に搭乗口があります。
しかし、
中部空港への発着便は、
小型ジェット機の中でも最も背の低いB-737-○がほとんどになりました。
名古屋空港の頃は比較的背の高いB767-300がメインであり、
小型ジェットでも割と背の高いエアバスA320は、
日本の航空会社が機種をボーイング社の飛行機に統一してきているので、
ほとんどなくなってしまいました。
ましてや、巨人機B747-400などは燃費と整備性が悪いので、
日本の国内便はゼロになってしまいました。
国際便でもB747-400や、
現在の世界一の巨人機A380は、
客数の少ない中部空港には絶対に来そうにありません。
それでも、ヨーロッパ便には大型機のA340やA330が使われ、
少数ですが大型機に類するB-777も来ます。
だから、国際便のボーディングブリッジは、
搭乗口が3階にあっても、飛行側も高くて比較的なだらかな坂です。
しかし国内便は、
地面から直接、はしごで乗り込むことを前提としたB-737がほとんどで、
3階の搭乗口と低いB-737の入り口をつなぐボーディングブリッジは、
たぶん、日本で一番急な坂道になっています。
飛行機に乗る時は下り坂で、
降りる時は、結構すごい登り坂です。
車いすに乗ったまま飛行機から降りようとすると、
それを押す係員さんは、日本一重労働を強いられることになります。
だから、私は車いすに乗っても、
飛行機から降りる時は、
車いすに乗らず、杖をついて歩いて登ることにしています。
あの坂はとても気の毒で、車いすに乗ったまま押してもらうことは出来ません。
しかし、今日の鹿児島行の飛行機は、
ジェット機のB-737(約150人乗り)ころか、
74人乗りのプロペラ機、ボンバルディアBHC8です。
九州新幹線が鹿児島まで通じたので、そちらに乗る人が多くなり、
飛行機の需要が減ったのでしょう。
プロペラ機への搭乗は、
一階のバス乗り場からバスに乗って飛行機の近くまで行き、
歩いて、飛行機に乗り込みます。
ボーディングブリッジは使いません。
そういえば、9月1日のパーティーに来てくれた鹿児島の人達も、
みなさん新幹線で来たとおっしゃっていました。
新幹線のグリーン席に乗っても、
飛行機で来るより安いとも言っていました。
中部空港の旅客は減る一方だとも聞いたことがあります。
いつか、
大型機が中部空港にやってきて
ボーディングブリッジの坂が、なだらかになる日は、なさそうです。
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2015年09月05日(土曜日)
9.05.楽をしようと頑張ると、かえって楽にはならない。が、
18才の時、ガソリンスタンドに就職したのは、
私の父の「好通は足が悪いから、座ってやれる仕事しかできんから・・」と、
4才の時のポリオでの足の不自由を言われ続けたことに対する反発でした。
それがなかったら私は別の仕事をしていたかもしれません。
別の仕事をしていたら、少なくとも今と同じではなかったでしょう。
まだ若い時は、反発の気持ちだけで、足の痛みをカバーできたし、
普通の人と同じように働きました。
普通のように働けているだけで楽しかった記憶があります。
32才の時、独立したのは、
自分の店を持って金儲けをしたいと思う反面、
やっぱり、現場の仕事での自分の足の痛みに限界を感じ、
いつかは現場に出なくてもいいようになりたいと思ったからです。
私は若い時から、
ガソリンスタンドの店長になっていたので、
石油組合の”ブロック会”によく出席して、
町の個人経営のガソリンスタンドのオヤジさん達ののんびりした様子に接し、
「あんなノンビリした仕事できたら、足も痛くなくて楽ちんでいいなぁ」と、
金儲けをしたい気持ちと、
楽をしたい気持ちの両方を持ったのです。
そして独立したのが32才の時。
いつかは楽をしたい、の気持ちはあったのですが、
いざ商売を始めたら戦闘モード全開で、
色々と企画して実行、お客様の数は増えて、繁盛店になってしまいました。
楽するはずだったのですが、
逆に、ぶっ倒れそうになるくらい忙しくなって、
楽にはなりませんでしたが、儲かって、楽しいことになりました。
儲かったので、
軒数を増やせば、私も現場に出る場面が減って、楽になると思い、
土地を買ってガソリンスタンドの設備を造ったのですが、
色々な事情が重なって、
コーティングと洗車の店として営業することになって、
その結果、最初は経営が苦しくなって、
私もちっとも楽になりませんでしたが
それがきっかけで新しいビジネスの突端が開けて、
今のKeePer技研株式会社の素が出来上がりました。
新しい店が洗車とコーティングで高収益を上げたら、
見学者が増えて、いちいち説明するのが大変になったので、
スクールを開いて、まとめて説明をして楽をしようと思ったら、
このスクールが好評で、
大変たくさんの方に来ていただくことになって、
かえって忙しくて、ちっとも楽にはならなかったのですが、
ケミカルなどの提供という新しいビジネスが始まって面白くなりました。
20年以上も前のことです。
楽をしたいという動機は、
足のちょっとの不自由が、その動機のどこかにあったのは確かですが、
その反面、だから人並みのことをしていたのでは楽にはならないと思って、
人とは違うことをやったら、楽になるどころか、
うまく行って、仕事がかえって忙しくなり、
一見矛盾した結果になってきました。
ただ単に楽をしたいと思ったならば、
何にしても「・・・しない。」とすれば、
肉体的な楽にはなっていたのかもしれませんが、
それでは面白くないので、
積極的に、面白く、楽になろうと思って、色々とやってきたら、
かえって楽にはなりませんでしたが、とても面白いことがいっぱい起きて、
今のようになってきたように思います。
単に楽ちんになるより、何百倍も良かったと思います。
私の場合、足がポリオで少し不自由になったのが、
楽しようと頑張る動機になって、私の人生を面白くしてきました。
さらに、私の父が
「好通は足が悪いから、座ってやれる仕事しかできんから・・」と、
言ってくれたので、それに反発して始めた仕事が、
結果として良かったのですから、親父に感謝すべきなのでしょう。
ふと、そんなことを考えました。
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2015年09月04日(金曜日)
お調子者の菅野君より富士山頂からの続報です。
お調子者の菅野君から、
富士山頂からの続報の写真が送られてきました。
よほど嬉しかったのでしょう。
せっかく送ってきたのですから、載せないわけにはいけません。
朝っぱらから、みなさん、どうもすみません。
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2015年09月04日(金曜日)
9.04.KeePerとSONAXが富士山頂に登り切ったそうです。
KeePerの増田君と菅野君、SONAXのDr.ピッチと営業のホフマンさんが、
9月1日のパーティーの翌々日(9月3日)、
富士山5合目まで自動車で行って、
そのまま8合目まで登山し、山小屋に泊まって、
今朝2時から山頂に向けて登って、午前5時半の今さっき、
山頂に到着したとメールが写真と共に届きました。
変な奴らですが、たいしたもんです。すごいっ!!
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2015年09月03日(木曜日)
9.03.自分の都合を優先する”豊かさ”の危機
ハングリーな時は、自分の都合などお構いなしに、
一生懸命、相手に付加価値を提供し貢献することに集中します。
それがサービスであれ、商品であれ、
与えた付加価値が大きければ大きいほど、返ってくる報酬も大きいので、
一生懸命相手のことを考えて、
相手の都合を考えて、相手のためを考えて、行動します。
そして、相手が喜び、満足することで、
自らのやりがいを得て自分も満足すると共に、
相手の喜びと満足に匹敵した大きさの報酬を得ます。
それがCSとESの同時実現によるビジネスモデルとして、
多くのお客様に支持され、この会社も発展してこれたのだと思います。
ところが、このビジネスモデルがリピートのお客様の積み重ねによって
効率が高くなってくると、
このビジネスに関っている者が豊かになってきます。
みんなで頑張って、高い効率を実現してきたのですから、
みんなが豊かになっていくのは、会社の目的の一つでもあるので、
喜ぶべきことではあります。
しかし、
豊かになって、
ハングリー精神が欠乏してくると、
人は、残念ながら、自分の都合を優先するようになることがあります。
自分を大切にすることはいいことなのでしょうが、
相手よりも自分の都合を優先させるようになると、
相手に対する自分の作りだす付加価値が低くなって、
あるいは自分勝手さを相手に不快と感じさせて、
CSとESの同時実現は成立しないようになってきます。
つまりこのビジネスモデルそのものが崩壊してしまいます。
これは決してオーバーなことではありません。
それだけCSとESの同時実現とは、
あくまでも「与えることに徹する」というデリケートさに寄っているのです。
貧しければ、相手への貢献に徹しますが、
豊かになると自分を優先するようになって、
相手への貢献は、
単なる”こなし仕事”として形骸化し、
その付加価値は相手から求められなくなり、不必要とされて、衰退します。
発展は一つ一つリピートの積み重ねであり毎年10%増ていどの遅いスピードですが、
衰退は、こちら側の姿勢が自分優先になって、付加価値が下がり、
相手の都合の優先度が下がったことを相手側が一斉に知るので
そのスピードは速く、一挙に衰退するのでしょう。
そういうイメージが強い危機感を持って感じられます。
ちょっと前に、ある機関投資家さんから教えてもらった「250人の壁」とは、
こういうことなのかと思いました。
社員が250人を超すと、
ハングリーから立ち上がってきた創業者がすべてを見通せなくなって、
ハングリーではない次世代の管理者が、会社全体を網羅するようにならざるを得ず
自分の都合を優先させるという非常に怖い行為を、
当然だとする社風が、一挙に出来て、
早いスピードで衰退していく。
それが250人の壁であり、衰退の構造であるのかと気が付きました。
会社の発展によって一人一人が豊かになって、
自分の時間も増えて、自分を優先させるようになる怖さを、
本当の恐怖、危機として感じられるのは、
ハングリー精神が未だに体の真ん中にある創業者だけなのかもしれません。
恐ろしさをひしひしと感じます。
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