2015年07月20日(月曜日)
7.20.プロの仕事と、アマチュアの遊びは、
プロの仕事は、
他人が好きな事、or必要とした事を、
他人が都合のいい時間に、他人が好きな方法で、
他人のために行って、与えて、
それによって他人が何かの価値を得たり、喜んだりすれば、
他人が相当と思った金額で、
自分が他人から仕事の報酬を与えられる。
先に与えて、後で得る。
店舗のスタッフ(プロ)である自分は、
お客様が好きな事or必要とした事を、
お客様が都合のいい時間に、お客様が求める方法よって実現して、
それによってお客様に何かの価値を”与え”たり、喜んでくれたりすれば、
お客様が相当と思った金額で、買うという行為で、
直接的、あるいは会社を通して間接的に、
お客様が、店舗に代金を払ってくれることを通じて、
自分は報酬を”得る”。
それが商売であり、仕事なのだろう。
会社員(プロ)の仕事は、自分が、
会社が必要とした仕事を、
会社が指定した時間に、会社が指定した方法で、行って、
それによって会社に何かの価値を”与え”たり、
会社に来たお客様が喜んでくれたりすれば、
会社はその仕事が生み出した価値の量に相当した金額を、
自分は会社から給料or報酬として”得る”。
それが普通の会社の仕事。
先に与え、後から得る。
仕事とは、
自分が、
他人が求める価値
お客様が欲しい価値、
会社が必要とする価値を”与えて”、
代金、報酬、給料を”得る”事。
先に与えて、あとで得る。
逆に
自分が好きな事を、
自分が好きな時間に、
自分の好きな方法で、
自分が求めた価値を、自分が嬉しい形で得て、
自分が喜び、誰か知り合いと共に喜びあう事。
そして
自分が他人に代金を払うこと。
これは消費であり、遊んだという事。
素人(アマチュア)がの遊びは、
先に得て、後から払う。
あるいは、
自分と他人が共に好きな事を
自分と他人が好きな時間に、好きな方法で、
自分と他人が共に喜びあえるような価値を得て、
お互いに報酬や代金は払わないし、得ない。
これは、交遊であり、間違いなく遊びの一種。
しかしこれを仕事だと勘違いする場合があり、
間違って金銭の請求を発生させたりすると、その交遊はじわっと壊れる。
遊びは、楽しいからやる。
お金はかかっても、楽しいからやる。
仕事は、仕事自体は楽しいわけがない。
だけど、それが誰かのためになって、
誰かの役に立って、誰かが喜んでくれて、
それが自分の生活の糧になり、
それで自分の人生が成り立つのだから、
自分の人生そのものが、誰かの役に立って、誰かに喜ばれるものだとしたら、
自分の存在が、仕事によって、存在そのものとして支えられることになる。
だから、仕事には、達成感があり、
意義を持ち得て、そこに使命をも持ち得る。
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2015年07月19日(日曜日)
7.19.小河諒選手がF3 Nクラスのシリーズチャンピオンに
かねてから、ほんの少しだけですが応援していた「小河諒(りょう)選手」が、
富士でフォーミュラ3(F3)のNクラスでシリーズチャンピオンになったと、
スーパーフォーミュラのKeePerサービスでいた福留所長が伝えてきました。
小河選手の実力からすれば、
同じF3でも、1クラス上のCクラスに出ていて不思議ではないのですが、
彼には絶対に上に上がって来いとのTOM‘S舘会長の意志があって、
確実に勝てるNクラスでチャンピオンになってから、
Cクラスに上がってくる仕掛けになっていたようです。
小河諒選手は、
鈴鹿サーキットでのF3000レースのスタート直後の1コーナーで、
若くして(36才)亡くなった小河等選手の一人息子で、
諒君がまだ1才1か月の時の悲劇だったそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B2%B3%E7%AD%89
諒君のお父さん小河等選手は、天才肌の選手というよりも
ジワジワっと、
36才と言うレーサーとしては晩年に近い歳になってから、
素晴らしく速いレーサーに成長した”遅咲き選手”で有名でした。
だからというか、小河諒選手も最初から光った選手ではなかったが、
ポルシェカップレースのチャンピオンになるなど、只者ではなかった。
F3のCクラスは、平川亮選手も中山雄一選手もチャンピオンを取っている。
ここでのチャンピオンは一流選手の条件のようなもので
ワークスカーのドライバーを約束されたも同然である。
だから、小河諒選手も、
最初からCクラスに行きたいところだが、
“遅咲き”のDNAを持っていることからして、
Nクラスからじっくりとステップアップすることになった。
だから、Nクラスでシリーズチャンピオンは当然で、
全戦優勝が舘会長から与えられたノルマでしたが、
スタートの失敗とか、フライングでペナルティーをもらったりして、
2戦を2位で落としているはずです。
でも、とりあえず、チャンピオンです。
おめでとう小河諒選手。
でも、あと残るすべてのレースを、全レース、ポールtoウィンで飾っていくべきです。
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2015年07月19日(日曜日)
7.19.ゴジラが治らなくて困っています。
今の悩みは「ゴジラ」です。
無呼吸症候群の治療にCPAP(シーパップ)という器械を使って寝ています。
鼻を覆ったカバーから風が送られて圧力を造り気道を膨らませ、
呼吸を確保するものですが、
口を閉じていないと、空気がいっぺんに漏れて、
気道が膨らまずにCPAPが役に立たないのですが、
私は、つい夜中、眠っている最中に口を開けて、空気が口からプハーッと漏れて、
その音がまるで「ゴジラ」のごとく大きいので、
びっくりして起きてしまいます。
無呼吸症候群はイビキの延長で息が止まり、苦しくなって目が覚めるものですが、
私の「ゴジラ」は、ブハーっとその音で目が覚めてしまいます。
そんなことを夜中に何度もやるので、
CPAPの目的である「安眠」になりません。
どうすれば寝ている間に口を閉じていられるか。
それが、私の今の、もっとも悩んでいる所です。
このままではCPAPは私の救世主にはなりそうにありません。
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2015年07月16日(木曜日)
7.16.台風は怖い。でも、テントは意外と丈夫です
私は56年前の1959年、
伊勢湾台風に名古屋市南区に住んでいる時に会いました。
約5,000人の死者行方不明者を出したこの台風は、
最低気圧895hPa、最大風速75mの強烈な台風で、
近くの堤防が決壊して激しい洪水になり、
オーバーな表現ではなく、私たち一家全員、死ぬ寸前までの経験をしました。
私の父が身長180cmと長身であった事が幸運で、全員無事でした。
そんな経験もあり、
台風にはちょっと緊張感を持つほどの恐怖の感情を持っています。
その割には、
キーパーLABOの店舗に、
風に弱そうな「テント」を多用していていますが、
テントは風に弱そうに見えますが、実はそうでもないのです。
テントは、
風が吹き抜けるような形にしてあれば、
風でたわみ、いなすような効果があるのか、
台風直撃であっても、巨大な屋根テントが破れもせずに平気です。
10年以上前に建てたLABO安城店のテントは、
テント屋根部分だけでも60坪以上もあるような巨大なテントですが、
未だビクともせず、破れも一か所もなく、汚れもほぼ無く、
リニューアルの必要性をまったく感じさせないくらい丈夫です。
しかし、数年前、キーパーLABO足立店で、
門型の洗車機だけを被う「かまぼこ型のテント」を造った時、
幅、高さともに3m程度の大きくはないテントでしたが、
“片側を閉じた形”だったからなのか、台風の時、いとも簡単に破れて飛びました。
同じ足立店のその十倍もあるような開放型の屋根テントは何ともなかったのにです。
あれで、テントは「開放型」か、逆に「密閉型」に限ると学習しました。
密閉型のテントは、LABO大須店やLABO一宮店に、
密閉式のコーティングブースとして、
オールテントで造ってありますが全く問題なく丈夫です。
テントは片側が空いていて
もう一方の片側が閉じてある形が、典型的な風に弱いテントのようです。
そんな形のテントはあまり見たことがないのは、
分りませんが、
たぶん、すぐ飛んでしまい残っていないからでしょう。
いずれにしても、
台風は、普段の状況とは全く違う状況を造り出して、
まさかと思うような事故を呼びます。
就業規則には、少なくとも「暴風警報」が出ている地域は、
会社、店舗への出勤禁止で、営業禁止で、その地域への出張も禁止です。
さすがに暴風どころか強風を伴った大雨でも、
お客様もほぼ来ません。
「早めの閉店」を、
朝一番、西日本の事業本部長が、メールで大きな文字で伝えていました。
私も大阪への出張を取りやめました。
大切な要件があったのですが、責任者としてそうすべきと判断しました。
台風は怖い。
でも、テントは意外と丈夫です。
LABO安城店のテントは実際に見るとデカいです。
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2015年07月15日(水曜日)
7.15.もうすぐ創立30周年記念です。サスラの”どんぶり”
このKeePer技研㈱の前身である株式会社タニが、
1985年の9月あたりに創立しました。
“あたり”とは、いい加減です。
㈱タニを登記したのはもう一週間ほど前ですが、
㈱タニとして共同石油 高津波給油所の営業を始めたのが確か9月1日のはずで、
だから、ずっと創業の記念を9月1日として来ました。
その30周年を、
株式上場の直後、激しい変化と発展の真っただ中で迎えることは、
いつも、「今こそ激変の時」と決まり文句で言ってきたこの会社らしいドタバタです。
30周年の記念パーティーの準備を進めています。
今日はお越しになるお客様に配る記念品をお願いしてきました。
それは、選んでいただく品の一つで、
アルバート サスラ作のどんぶりorマグカップです。
この人は当社のデザイナーである佐伯君のお嫁さんのお父さんで、
佐伯君の結婚式で引き出物でもらった”どんぶり”が、すごく芸術的かつ実用的で、
お茶漬けがインスタントの永谷園の海苔茶漬けでも、
気の利いた一品料理屋で食べているような気分になれます。
上品というよりも実用的でたくましく、楽しく、嬉しいのです。
アルバート サスラはアメリカから常滑に陶器の勉強に来て、
常滑に住み着き、日本人のお嫁さんをもらって、
常滑で自分のスタジオを持って、
作品を造って生計を立てています。
けっこう有名な人で、自転車で日本国中を走り回っていることでも知られています。
このどんぶりは、記念品の一つの選択肢であり、
もう一つの選択肢は、やっと出来てきた#37KeePer TOM‘S RC Fのミニチュア。
2014年バージョンで、
平川亮ではなくて伊藤大輔のイニシャルが入っている車です。
そのどちらかをお客様に選択していただいて配ると決めたのですが、
どちらかに人気が集まるのでしょうか。
楽しみです。
アルバート サスラのスタジオ、
つまり佐伯デザイナーのお嫁さんの実家には、
三匹の猫が住んでいました。
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