2015年06月16日(火曜日)
6.16.その② 結局、勝ったのは、誰か。
今回の技術コンテスト準決勝と決勝では、
特別ルールが採用されました。
170点満点の技術点に最高2.5点の時間順位加点がありますが、
その技術点の内の「最終仕上がり確認」の27点満点の部分で、
減点が1点(ほんの少し水だれが残っている)まで、
つまり26点まではかろうじてOKだが、
減点が2点(レジン拭き残し1か所)で、つまり25点になると、
他の技術点がいかに良くても「失格」ということにしました。
これは、KeePerの技術は、
その施工の過程がいくら良くても、
最終的にお客様に手渡された仕上がりが悪ければ話にならないので、
競技としては施工の過程をシビアに採点するが、
最終的に仕上がりが悪ければ、すべてがNGと言うことで「失格」としました。
藤村 LABO半田店店長
同じくLABO半田店の渡辺君
「役職ないの僕だけですね。」
言い方を変えれば、全一般スタッフ希望の星です。
萩原 東東京営業所所長。 だんぜん顔がでかい。
多田 東日本LABOマネージャー。
鈴木 LABO豊田店店長。
押谷 LABO板橋店店長。
古川 LABO岡崎店チーフ
武川 広島営業所課長。
菊壽 板橋店チーフ。
小島 LABO東海店主任。
結果
「優勝しなかったら、頭、坊主にします。」と宣言の押谷店長。
見事に決勝4位で、坊主です。
第3位獲得。
内田課長、うっちゃんは、顔が黒すぎます。
藤坂店長の決勝2位は、さすがです。
215名の頂点、優勝は、
多田マネージャー。ドヤ顔が素敵です。
100点ビデオの矢島部長は、161点で予選敗退でした。
だから、審査員。
2015年、メダリストたち。
でもメダルも、盾も、優勝旗もありません。ただ名誉があるだけです。
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2015年06月16日(火曜日)
6.16.その① .役職者ほど技術が高い。技術コンテスト、準決勝、決勝。
昨日は、KeePer技研㈱の社内技術コンテストの準決勝と決勝戦です。
一部の事務員さんなどを除いて、
全社員約250名の中、
取締役から新入LABOスタッフまで約215名が、
全国で11回の予選会から上位2位まで、
22名の勝ち抜き選手が、
一堂に会して、愛知の中央トレセンで準決勝と決勝戦です。
勝ち抜いた選手は、
ほぼ全員、役職者です。
LABO店長が一番多く、他に営業所長、課長、チーフ、マネージャー、
などなど年齢も関係なく、けっこう上の役職者が勝ち抜いています。
ほぼ全員160点以上の得点での決勝出場です。
しかし残念ながら、
取締役の連中は全員予選落ちでした。
しかし、
鈴置常務が156.5点、
賀来副社長が156点、
畠中常務が154点(しかし最速の26分○○秒)と、
全員が堂々と本気で競技し、勝ち抜きの大接戦の中に入っていました。
役職が上だと、
いい得点がもらえるのか、なんて、とんでもありません。
これは、マジで、対等のガチンコ勝負です。
多くの組織の場合、役職が着いて上に上がるほど、
現場から遠ざかって、
現場での技術が落ちても、
洒落ぐらいにしか思っていないのですが、
この会社は、役職が上になるほど、
技術も上であることが当たり前なのです。
お客様にきちんとした品質の「キレイ」を提供するのが仕事なのであり、
そして役職が上に上がるとは、
仕事がよりできて役に立つ人と認められたのですから、
技術が上であることは、当然の結果であり、不思議ではありません。
こんな状態を、私はとても嬉しく思います。
役職が上に上がると現実的に体が現場から遠ざかるのは、
ある程度は仕方がないことですが、
“気持”がしっかり現場にあるからこそ、一度極めた技術は簡単には落としません。
また普段から何か出番があれば喜んで現場に出ていく役職者たちは、
現場のみんなから頼りにされ、その高い技術に尊敬を集めます。
技術が売り物の店ですから、店長が上手いのは当たり前です。
技術が売り物の会社ですから、経営者が上手いのも当たり前です。
貞重 広島営業所課長。
佐藤玲 東京営業所係長。
広木マンサノLABO東郷店チーフ。
伊東真志 西日本LABOマネージャー
阿部 LABO安城店店長。
谷東 LABO世田谷店副店長
鹿討 東京営業所課長。
木下 LABO松戸東店店長。
福留 名古屋営業所所長。
内田 横浜営業所係長。
青山 LABO札幌店チーフ。
藤坂 LABO東海店店長。
応援団の人。+154点の畠中常務
残念ながら160点以上でも予選落ちした瀧澤 札幌営業所所長は、
今日は審査員です。
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2015年06月15日(月曜日)
6.15串カツとカレーうどんが特にうまかった。
昨日、小さな小料理屋に行きました。初めての店です。
若い大将が、真剣な表情で、
狭いカウンターの中の厨房で、料理を、恐ろしいスピードでテキパキと、
惚れ惚れするような手さばきで、
次から次へと造り上げていました。
お客様へのお愛想も、笑顔もなしです。
真剣な表情で、見事な包丁さばき、手さばき、身のこなしで、
次から次へと、料理を作っていきます。
どれも一皿400円位の値段がついた、
サラダとか、ホルモン焼きとか、生春巻きなどのお料理です。。
出来た料理をてきぱきとお客様に出す若い奥さんの背中には
生まれて何か月かの赤ちゃんがおぶさっています。
この二人、何の悲壮感もなく、
必死に頑張っているという感じでもなく、
真剣に仕事をテキパキこなして、むしろ仕事を真剣に楽しんでいるようです。
人生を真剣に生きているそのもののようです。
そして、肝心な”味”は、
高級な食材はないけど、どれも、いい味でした。
どれも、とてもおいしい味でした。
特にウスターソースをつけて食べる串カツと、私はカレーうどんが絶品でした。
帰る時「おいしかったっ。」と大将に声をかけると、
「ありがとうございます。」と、嬉しそうに一番の笑顔を見せてくれました。
二人でずいぶん食べて、飲んで、4,300円は安すぎます。
たぶん何か事情があってそんな値段にしているのでしょうか。
その全力の働きぶりに、
30年前の我が身を写し、
おいしい串カツを食べながら、思わず涙が出てきてしまいました。
涙ぐみながら串カツを食っている私を見て、大将は変な奴と思ったに違いありません。
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2015年06月15日(月曜日)
6.15.テキパキした動きと、ジタバタの動きの違い
昨日、まず岐阜県に行ってから三重に行って、
桑名、芸濃、河芸の候補物件を視察してから
キーパーLABO津店に行きました。
その津店で驚いたのは、この店の能力が高いことです。
田中店長と小嶋チーフは、経験もあって、さすがだと思ったのですが、
今年大学卒業で、三月からアルバイトで店舗に入っている女子、中村さんが、
とても新人とは思えぬ動きで、
怒涛のごとくテキパキと、仕事をこなしているのです。
新人にありがちな、
焦る気持ちが先に立ち、
余分な動きがいちいち入って、
ジタバタしているばかりで、
ちっとも仕事がはかどっていないドタバタ仕事とはまるで違います。
テキパキ仕事とは、
体と手に余分な力が入らず、余分な動きも入らず、
体や手の動きの速度そのものはそれほど速い訳ではありませんが、
結果として、最良の仕上がりが、最速の時間で仕事が終わります。
ジタバタ仕事とは、
体や手を、速いスピードで動かすことに気を取られて、
余分な力が入り、しなくてもいい余計な動きが入って、
ジタバタするばかりで、
結果として、ぜんぜん良くない仕上がりで、無駄に時間がかかります。
テキパキ仕事とジタバタ仕事は、
同じように思えますが、やることと結果が違うのです。
キーパーLABO”津”店は、だてに実績が良いわけではなく、
みんな、素晴らしいテキパキ仕事をやっているのです。
小嶋チーフ、田中店長、中村さん
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2015年06月14日(日曜日)
6.14.KeePerのルーツの人達
今年の9月1日に、
創立30周年と、東証マザーズ上場を記念したパーティーをやります。
たくさんの方々に集まっていただくのですが、
せっかく創立30周年記念なので、
KeePer技研株式会社の起源である「株式会社タニ」までさかのぼって、
キーパーのルーツとも言えるたくさんの人たちと再会します。
高津波給油所の前身、クラウン石油の神谷社長。
設備売却の話をお聞きしてからまとまるまで、何十回もお会いして話ました。
今は土地家屋鑑定士で活躍して見えます。
十年以上ぶりにお電話を差し上げたら、
昔と変わらない大きな声で、神谷社長のそのままでした。
高津波SSの地主さんの加藤さん。
加藤さんは当時、たしか地元中学校の教頭先生でした。
当初は加藤先生のお父上の土地の名義で、
土地の賃借料は、1坪あたり、”お米”1斗2升×政府買い上げ価格でした。
そう、私は最初、小作人としての賃料を払っていたのです。
加藤先生は定年退職されてから、今は町と市のたくさんの役でお忙しそうです。
この給油所の買い上げに尽力して下さった藤本さん。
神谷社長から築20年の給油所設備を買い上げて、
一文無しの私にそれをリースするという、
私にとって最初のチャンス作りに力を貸してくれました。
高津波給油所の最初の販促キャンペーンを企画してくれた中村さん。
貧乏経営ながら、ピーナツの傑作チラシと、
殻つき落花生プレゼントで、地域に好感度を作り上げてくれました。
SSからコーティング事業に変換した頃、技術を教えてくれた黒木さん。
担保の問題で、石油販売業のままで事業を拡大するには限界があると考え、
コーティングと洗車に事業を転換する最初の勉強として
横浜の黒木さんから磨きの技術などを教えてもらいました。
25年前のことです。
あれから紆余曲折の末、今は一緒に力を貸してくれています。
2号店のクリーンベースWithを建てた借金で苦しく、
細かく複数の借り入れで自転車操業していた頃、
それらをまとめて1億円の借入れを実現してくれた銀行の鈴木さん。
おかげで落ち着いて事業に専念でき、大きく伸ばすことが出来ました。
アイ・タック技研㈱の初代「KeePre」をデザインしてくれた青木さん。
カーコーティングの事業を展開してしばらくしてから、
それまで、あちらこちらのケミカルの寄せ集めだった「Qシステム」から、
統計だったカーコーティングシステムを作ると同時に、
ブランドアイデンティティーとして「KeePre」を構築しました。
今では普通に「KeePer」になりましたが、
あの当時はちょっとひねって「KeePre」でした。
でも、ロゴデザインは今のKeePerと二十年以上ほとんど変わりません。
そのKeePerのロゴのルーツをデザインしてくれたのが青木デザイナーです。
初期のアイ・タック技研技研㈱の主役、牧野さん。
わが社の最初の事務員さんで、
出荷から経理まで何から何までやってくれたスーパーウーマンです。
KeePreの初代営業の小幡君。
わが社の最初の営業マンで、愛すべきオバッチャン。
今の社員で知っている人はほとんどいませんが、
みんなで探せば見つかるものです。
KeePer技研㈱の草創期を作り上げてきてくれた人たちです。
他にもこんな人たちがいっぱい、今度の9月1日、
30周年記念パーティーに集まってきてくれるはずです。
もちろん、昔の方たちだけでなく、
今のKeePerそのものを構成して下さっている大勢の方々、
また、未来のKeePerを共に作っていくみなさんと、
30周年を記念しながら、
未来のKeePerを見ていく有意義な会にしたいと思っています。
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