2014年11月08日(土曜日)
11.08.たった1台の写真ですが、どうしてもと思って撮っています。
今日は、東区のスタジオに写真を撮りに来ています。
先日たくさんの車種を持ち込んで大量の写真を撮ったのですが、
今回キーパー選手権の支援ツールに写真がいまいちに思えたので、
急遽、その1車種だけを撮り直すことにしたのです。
自分の好き嫌いでこだわっている訳ではなく、
支援ツールとして造られる「横断幕」や「ポスター」などを、
日本国中のキーパープロショップさんに掲げていただけるので、
そう思うと「いまいちかな」と思いを残したまま造って、
皆さんの所へ送ることはできません。
企画のみんなは、1台だけの写真を撮り直すことに、
ためらいもなく休日に出勤して、
ワイワイ言いながら撮ってくれています。
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2014年11月08日(土曜日)
11.08.はるか北の海で、猛烈な低気圧。
朝早く目が覚めたので、ボォーッとテレビを見ていたら、
北海道の北、樺太のそのまた北の海で、
異常なことが起きているようです。
速いスピードで日本の東を外れて北上した台風20号が、
昨日は986hPaだったのに、
一晩で62hPaも成長して、
924hPaもの猛烈な低気圧になったと言っていました。
どういうメカニズムで、こんなことが起きているのか。
高い海水温がエネルギーとなる台風とは全く違うメカニズムなのでしょう。
だから924hPaにもなっているのに台風とは言わず、
“猛烈な低気圧”、”爆弾低気圧”と言っています。
いずれにしても、
大きな気圧差はそのまま強烈な暴風を意味します。
たまたまそこに人の住む大きな陸地がなく、
問題にはなっていませんが、
付近にいる船には悲劇でしょう。
天気図に描かれたびっしりの等高線は不気味で、
何か怖いことが地球に起こっているのではないかと、不安を感じます。
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2014年11月07日(金曜日)
11.07.保護があると、保護なしでは居られなくなる。
映画「スターウォーズ」の何話かの場面で、
正義のルークと悪役のダースベーダーの闘いでルークが勝ち、
ダースベーダーが仮面を脱いだら、
青白くふやけた顔が表われて、
それがルークの父親であったことが分ったと同時に
ダースべーターは間もなく息を引き取りました。
私には、あの仮面を脱いで出てきた青白いふやけた顔がすごく印象的でした。
子供のころ、友達が、足の骨折で何か月もはめていたギブスを外したら、
筋肉が落ちてひなびた感じの足が出てきたのを思い出しました。
ギプスで足を保護していたら、
筋肉を使わなかったのでなくなったのです。
生き物は、保護されていると、
かえって、弱くなってしまうものなのでしょうか。
昔、農業を保護するために、コメの輸入を禁止して、
政府が決まった高い価格でコメを買い上げたりして、
いたせりつくせり農家を厚く保護しました。
だから、昔の農家はそれなりにみなさん豊かだったのです。
しかしそのおかげで、農地を統合化して広くし近代化することが進まず、
人間が楽になるための機械化だけは進みましたが、
狭い田んぼや畑のままなので事業としての効率は上がらず、
収入があまり増えないまま、
農機具の支払いに追われて生活水準は逆に落ち、
若者はほとんど都会に出て、地方の高齢化が急速に進んで、
日本の農業は極めて弱体化したと、読んだ本に書いてありました。
農家がまだ豊かであった時に、
田や畑を統合して作付面積を大きくしておけば、
機械化が農家の事業としての効率化が進められたはずです。
しかし手厚い農業に対する保護が、
田畑の統合の必要性を農家に感じさせなくなっていたことが、
かえって日本の農業を衰退させた一つの要因になったそうです。
昔、国内の石油業者は、長い間、
「特定石油製品輸入暫定措置法(特石法)」という法律で守られてきました。
詳しい話は別にして、
この法律が、1996年3月に廃止されてから十八年の間に、
約6万件近くあったガソリンスタンドが、
今では3万数千件にまで減ってしまいました。
ちょっと前の昔までは、
冬になったらストーブなどの暖房は入れたものの、
それは起きている間だけのことであり、
寝る時は布団を被って、ぬくぬくと、気持ちよく寝ました。
しかし今では、寝る時までエアコンの暖房を入れて、
汗をかかない程度に薄い掛布団をかけて寝ます。
エアコンの暖房を入れずには、寒くて寝られません。
守られるべき存在だとしても、
守られているうちに、
守られることに慣れてしまい、
守られている間は、自分が守られていること、
あるいは、与えられていることを忘れてしまいますが、
その保護がなくなると、
いつの間にか、ひ弱になって、
自分の力で生きていく逞しさを失って
自分が、その保護なしでは生きられなくなっていることに気が付きます。
でも、気が付いた時は手遅れの場合が多いものです。
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2014年11月06日(木曜日)
11.05.「ゴールが見えている人」か「ゴールを見ていない人」の違い
仕事だけに限らず、すべからく何事においても、
それを実現できる人と、実現できない人がいます。
ふと気が付いたのですが、
物事を実現できる人というのは、
「ゴールが見えている人」であって、
実現できない人というのは、
「ゴールを見ていない人」なのかなと思いました。
ゴールが見えている人は、
ゴールに向かって、
ゴールインするための”方向”を見定め、
ゴールインするために走るべき”距離”を推し測り、
ゴールインするための”ペース(スケジュール)”を組み立て、
ゴールインするための”第一歩(スタート)”を確信を持って踏み出し、
ゴールインするまで、一瞬たりともゴールから目を離さず、見失わず、
ゴールまでの間にいかなる障害があっても、ゴールインする”意志”を変えず、
“一歩一歩”、ゴールまで確実に足を出し”続ける”。
だから、
ゴールインすることは当然であり、むしろゴールインは日常であって、
ゴールインした時の感動は意外と少ない。
あるいは、
ゴールインしたことすら気が付かない。
もう、”次のゴール”が見えてしまっているから。
ゴールを見ない人は、
ゴールインした時の感動を思い浮かべ、
そこをモチベーションにして、
コールまでの方向と距離はだいたい判るので、とりあえずスタートする。
そして、とりあえず一生懸命足を出す。
ゴールまでの距離がどれくらい縮まったのかは分からないが、
ゴールの方に向かって、
懸命に走っている自分を信じて、走る。
そしてたまたま運よくゴールインしたら、
その感動は大きい。
幸運が伴ったゴールインなので、その感動はひとしおだ。
しかし、
たまたまゴールインできなかったら、
それは、たまたま走るべき方向がちょっと違っていただけなので仕方ない。
あるいは、
ゴールまでの距離が意外と遠かったので自分の体力が足らず、仕方ない。悔しい。
または、
ゴールに届くまでのペース配分を間違え時間切れになったので仕方ない。
はたまた、
途中でゴールを見失ってしまったのでゴールできなかったのは仕方ない。
いつも、
色々な障害があってなかなかゴールできないが、
それは仕方ないことなのだ。
いつまでもくよくよせず、気持ちを切り替えて、次なるゴールを目指す。
こういう人はゴールした時の感動は大きいが、なかなかゴールできない。
物事を実現する人と、実現できない人は、
「ゴールが見えている人」か、「ゴールを見ていない人」の違いなのか。
・・・
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2014年11月04日(火曜日)
11.04、筋金入りの”上には上がいる”
私は中学校の時、
450人いた学年で一桁の成績であったことがあります。
それで、名古屋大学に何人かが合格する程度の
まあまあのレベルの進学校の高校へ入りました。
でも、最初の全校テストで、
まったく予想外に真ん中よりもかなり下の成績だったので、
ものすごくショックを受けました。
私が持っていた自信なんて見事に木端微塵になったものです。
冗談抜きに一瞬「死んだ方がましだ。」とまで思ったくらいです。
たぶん、あれからでしょう。
どんなに褒められても、
高い評価をいただくことがあっても、
決して有頂天にならなくなったのは。
たかが下町の中学校でいい成績であったとしても、
隣り町のそこそこの進学校の高校に行っただけで、
真ん中を境に”上”が優等生ならば、
私はかなり”下”の劣等生に叩き落されたわけです。
情けないくらいまでに、
“上には上がある。”を、叩き込まれたわけで、
しばらくは、ひどい劣等感のかたまりになっていました。
だから、私の”上には上がある”の根性は筋金入りです。
この会社が、従業員さんが300人を超す会社に成長しても、
私自身は優越感どころか、むしろ劣等感の方がまだ残っていて、
いまだに「頑張らなくっちゃ」と、ほんとうに心の底で思っています。
それに、私は足に障害が少しあって矯正の靴をいつも履いているので、
たとえばレストランなどに行っても
「本物の金持ちがどうか、靴を見れば判る。」という
昔からの客商売や水商売の常識で、
私は幸いにも、”本物?”のお金持ちには見られないので、
へんにチヤホヤされずに済んで、
変な勘違いも、せずに済んでいるのではないでしょうか。
まだ、いっぱい学ぶことができます。
私は自分が人より勝っていると思ったことがありません。
しかし、仕事だけはたいていの人よりも出来ると思っています。
その仕事の結果の出来と、そのスピードにおいて、
たいていの人には負ける気はしません。
半端ではなく訓練されているので、そこの部分では負けません。
でも、たとえば顔かたちとか、
スタイルとか、特に運動能力とか、
しゃれた物言いとか、センスとか、
審美眼とか、
特にカラオケで歌を歌うのは、たぶん一生歌いたくないし、
楽器は下手だし、
女性にもてるかどうかなんていうことに関しては、
地球上で一番もてない自信があるし、(妻はそういう意味では少し変なのです)
どんなに健康に悪いと言われても、簡単に食欲に負けるし、
どんなに「休肝日を」と言われても、「明日から…」で、
スマフォは字が小さいので全く憶える気がないし、
買ってくるカメラの”取説”は読んだことがないので、
機能を使い切らず大変もったいないことをしているし、
車には無駄に使ってしまうし、
・・・・・
言い出したらきりがありませんが、
少なくとも、私は自信満々の人間ではありません。
今、一番好きなのは、
店舗にいる若い連中と、
私のベッドで寝たがる猫のチーちゃんかもしれません。
このあいだ、妻に、仕事で凄いことがあった事を話したら、
そんなつもりでもないのに、
「自慢している。」と言われて、すごく腹が立ったことがあります。
しかし、思い出してみると、
あの進学校で、また上の方の成績だったら、
私は勘違いをしていたかもしれません。
高校でも成績が良くて、
良い大学に行って、また良い成績だったら、
良い就職が出来たら、
自分は人より優れていると思い込んで、
あらゆる意味で優れていて、価値があって、
そのままでも、いつも人よりも上にあり、
勘違いして、人を見下すようになっていたかもしれません。
そして、
社会に出て、誰かに、こっぴどく叱られて、
ひどい目にあっても、まだ心の底では、懲りずに、
そこそこの経験しかしていないのに、
もうすべてが解かってしまったと、勘違いして、
学習することもなく、
低いレベルで成長を止めてしまっていたかもしれません。
私は、高校の時、最初から成績の順位がひどく落ちて、
“上には上がいる”を、こっぴどく突きつけられて、
あれ以来、変に勘違いをせずに済んで、
とりあえず、ここまで成長し続けられてきたのかもしれません。
どんなに若い子と話をしても、
自分が上にいると思いません。
誰とでも同じ目線で話すことができます。
そんなことは別にどおってことはないのですが。
若い子からも学べるし、感動させられます。
しかし、ずるい人と話をするのは、いやだと思います。
勘違いしている人は、だいいち、やさしくないので、好きではありません。
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