2012年07月12日(木曜日)
働くということ、生きていくということ
働くということは、
その労働によって、世の中の誰かの為になり、
その誰かから報酬をいただくことによって衣食住など生活の糧を得る。
その誰かとは、消費者であり、患者であり、もろもろの人である。
とするならば、
働かず遊び続けるということは、自分の為だけだから、
一切の報酬が得られない。
すると、その人は生活の糧が得られず、生きていくことが出来なくなる。
だから、みんな、働くことによって、つまり、誰かの為になる事をして、
生きていくことになる。
これを短くすると、
「生きる事 = 衣食住を得続ける事= 働く事 = 誰かの為になる事。」となる。
もっと短くすると
「人が生きる事 = 誰かの為になることをする事。」
非常な簡単な方程式で、
これ以上短くする事は出来ない。
「人が生きること = 遊ぶこと」とは、方程式として成り立たないので、
人は遊び続けることは出来ない。
例外として一つ方法があるとするならば、
働けるようになっても、
親に食べ続けさせてもらえば、生きていくことは出来る。
つまり親に寄生して生きていくこと。
しかしこの方法も、
親は子供より早く働けなくなるし、
ほとんどの場合、子供より早く死ぬので、
一生の間、親に寄生し続けることはできない。
だいいち、自分の子供に寄生生活をさせることを良しとする親はいないので、
働ける年齢になったら、子供は親から見放されるのが普通だ。
それをしない親がいるとしたら、
親が死んだあと、あるいは働けなくなった後、
結果的に、子供を生きていけなくしてしまうことになるので、
親、子供双方共に救いようのない不幸が待っていることになる。
遺産があったとしても、そんなものは遊び続ければすぐに無くなる。
そういうことになる事もある。
世の中が豊かになって、
寄生する子供を容認できる豊かさを持った親が増えたので、
そんな救いようのない不幸も、かえって増えていくのではないだろうか。
「豊かさ=幸せ」の方程式は万能ではないのだ。
遊びたいだけで学校にも行かず、働きもせず、
まっしぐらに不幸に突き進む悲しい人が増えているような気がする。
どうしたものか。