谷 好通コラム

2007年09月14日(金曜日)

1730.軽さゆえの優位性

「ライトウェイトスポーツ」というスポーツカーの一種のカテゴリーがある。
エンジンの馬力はそれほど大したことはないが、
車重が軽く、スポーティーな運転が楽しめるスポーツカーだ。

 

大昔で言えば、
「トヨタスポーツ800」がそうだった。
当時、一番の大衆車であった「パブリカ」のエンジンを100ccボアアップしたもので、
空冷・水平対向2気筒800ccで、
OHVプッシュロッドの、たしか45馬力ほどしかない非力なエンジンであった。
2気筒空冷という単純な構造で、安い鋳鉄製。
OHCとか、ましてやDOHCなどという高級なカム機構も持っていない。

 

このエンジンは空冷であることもあって
ウォータージャケットや冷却水も要らない軽いエンジンであり、
補機としてもラジエターも要らなければ、ウォーターポンプも要らない、
エンジン本体は鋳鉄製ではあったが非常に軽い動力系でまとまっていた。

 

非力なので、
それを伝えるミッションとかデフの駆動系も軽く作れる。
結果としてエンジン関係が軽く、駆動系も軽いので、
それを支ええるシャーシ、サスペンションについても軽く作ることができている。
エンジンの馬力をある程度、諦めることによって、
車全体が軽量になる循環が出来上がる。

 

あとは空気抵抗である。
これは車重には関係ないので、とにかく空気抵抗の少なく作らなければならない。
写真のように航空機のような
空気力学を駆使した“たまご型”のかわいらしい形になった。

 

車体重量 580kg
エンジン 45馬力
パワーウェイトレシオは、12.8kg/馬力である。
既成の大衆車の安い単純で軽量なエンジンを使い、
車体も軽く、空気抵抗の少ないスポーツカーが出来上がった。
価格は59.5万円
総生産台数3,131台。

 

 

かたや、当時の対抗馬として「ホンダ S800」という車があった。
元々オートバイメーカーであった本田技研は、
四輪の世界でも最高峰のF1で活躍する技術力を誇るメーカーで、
彼らが作った「本田S800」。
この車は最初は「ホンダS500」であったが、
のちに「S600」「S800」となり、
「S800」が一番普及したので、「S800」に話を絞る。

 

この車のエンジンは、
当時の最高の技術を使い、作られていた。
直列4気筒、水冷、カム機構はF1並みの最高級DOHCであった。
800ccから絞り出す馬力は70馬力/8,000回転。
高出力高回転型であり、
それを潤滑するためにオイルはドライサンプ式で効率的に供給されている。

 

1リットル当たり87.5馬力の出力は
現在で言えばごく当たり前であり、
特に驚くような数字ではないが、
当時では驚異的な数字であった。
8,000回転というのも、今の時代においても高回転型である。
まさに当時のF1技術を惜しみなくつぎ込んだ逸品である。

 

この高級であり高回転高出力のエンジンは、
機構も複雑で部品点数も恐ろしく多かった。
必然的に重くなってしまうので、
エンジンブロック、ヘッドなど、構造体のすべてをアルミアロイで造られる。
アルミエンジンは軽いが脆弱な一面も持っており、
とにかく高価であったことは間違いない。

 

高級なエンジンを取り巻く補機類も充実していて、
それらの多くも軽量化のためにアルミで作られているものが多かった。
ミッションはフルシンクロの4速MT。
足回りは4輪独立懸架。

 

すべてがこれ以上は考えられないほどの、
最新テクノロジーの塊であった。

 

結果として車重は700kg。
トヨタスポーツに比べると複雑で高級なエンジンで積み、
当然、重くなってしまうところを、アルミ製にするなどして、
お金をかけ、軽量化した結果だ。
700kg、70馬力
パワーウェイトレシオ 10kg/馬力 (この数字は小さいほど良い。)

 

トヨタS800をしのぐ優秀な車であり、
世界に誇れる日本の技術の勝利のような車であった。

 

価格59.3万円(S600?)は、
持っている機械の構造からして非常に安価であり、
採算を度外視して付けた大バーゲン価格である。
総生産台数11,406台。

 

 

ライバルのトヨタスポーツ800の約4倍の販売台数である。

 

そりゃあ、私だって、
ほぼ同じの価格で、
片や大衆車のエンジンの排気量を大きくした軽いボディのトヨタスポーツ800と、
F1テクノロジーの塊であるようなホンダS800で、
どちらを買うかといえば、当然ホンダS800を買う。

 

ホンダS800は、通称「エスハチ」と呼ばれ、
トヨタスポーツ800、通称「ヨタハチ」と呼ばれていた。

 

ホンダS800(エスハチ)は、
その高回転型の高出力DOHCエンジンから出る、
メカニカルノイズすら快感の音であり、
車好きにはたまらない最高の車であったのだ。
対して、
トヨタスポーツ800(ヨタハチ)は、
航空機のような流線型のボディとは裏腹に、
当時36万円の大衆車パプリカのエンジンとほぼ同じで、
バタバタバタと、がさつで、およそスポーツカーとは思えないような音で、
街を走っていたものだ。

 

 

ところが、これをサーキットに持ち込むと、
エスハチは、ヨタハチに対して圧倒的な存在というわけではなかった。
パワーウェイトレシオから見れば、
エスハチの10kg/馬力に対して、ヨタハチは12.8kg/馬力。
128%の差だが、
これにドライバーが乗ると、もっと差が大きくなる。
たとえば、
体重60kgのドライバーに装備が10kgとすると、
エスハチが
700+70kgで、
770kg/70馬力なので、11kg/馬力となるが、
ヨタハチは、
580+70kgで、
650kg/45馬力で、14.4kg/馬力となり、
その差は132%となる。

 

1.3倍以上の差のパワーウェイトレシオの車の戦いでは、
勝負は歴然としているはずだ。
しかし、ヨタハチはエスハチに対して互角に戦い、
ある時はエスハチに対して勝利していることすらあった。

 

以下、インターネットから拾ったヨタハチのレースでの活躍を物語った文章である。

 

「“ヨタハチ”による名勝負として伝説的に語られるのは、1965(40年前!)年7月18日の船橋サーキットにおける全日本自動車クラブ選手権レースでのトヨタスポーツ800に乗る浮谷東次郎の優勝である。1300CCまでのカテゴリーGT-Iレースの序盤に雨中決戦で生沢徹のS600のスピンに巻き込まれ、クラッシュによって少破しピットインした浮谷のヨタハチは一時16位にまで後退しながら、その後驚異的な追い上げによって順位を一気に取り戻し、ついには先頭を走る生沢徹のホンダ・S600を抜き去り、さらに2位以下を19秒以上引き離し優勝した。」

 

このレースでは、
浮谷東次郎という我々の年代にとっては伝説的な名ドライバーがヨタハチで、
これまた伝説の名ドライバー生沢徹のエスハチに勝ったわけだが、
いつもヨタハチが勝っていた訳ではない。
高級なエンジンを持つエスハチは、
レース用にチューンアップされる余地が大きく、
戦闘力を増したエスハチが、
自分の2倍以上の排気量をもつ大型の車と互角以上に戦い続け、
日本のレース史上の一時代を作ったことは間違いない。

 

しかし、いずれにしても、パワーウェイトレシオという数値的には劣っていたヨタハチが、
エスハチに対して決して歯が立たなかったわけではなく、
ある時期、互角に戦っていたことは確かだ。

 

なぜ、ヨタハチは速かったのであろうか。
「軽かった」からである。

 

確かにパワーウェイトレシオでエスハチに劣っていたので、
加速性能では負けていたかもしれないが、
コーナーリングでは、重いエスハチよりも、軽いヨタハチの方が速いのである。
同じようなタイヤで走っていれば、
重い車よりも軽い車の方が、かかる横Gが少ないはずであり、
その分、速く走れるのである。
ブレーキングも楽なはずだ。
ストレートでエスハチが速く、
コーナーでヨタハチが速い構図で、
白熱したレースが成り立っていたのだろうと思う。

 

パワーウェイトレシオが同じならば、
軽い車の方が、サーキットでは断然速い。
パワーウェイトレシオで負けていたヨタハチが、エスハチに互角の勝負ができたのは、
ヨタハチが軽かったところに大きな理由がある。

 

「軽さは、馬力に勝るスポーツカーの大きな条件である。」

 

 

 

これは、企業の在り方についても言えるのではないか。

売り上げがどんなに上がろうとも、
粗利益がどのように上昇しようとも、
それに比して経費が上がってしまう体質の企業は、
強い体力を持った会社とは言えない。

 

売り上げを上げる部門がエンジンに当たるならば、
そのエンジンを支える部門がシャーシに当たる。

 

エンジンの馬力を2倍にするために、
エンジン本体の重量が2倍になる必要はない。
お金をかければ1.5倍の重量増で、2倍の馬力を絞り出すことは難しいことではない。
しかし、それに伴ってシャーシ関連も重くなって、
車全体が重量アップすると、かえって遅い車になってしまうことが考えられる。
エスハチとヨタハチの例では、
130%以上のパワーウェイトレシオを持ってしても、
軽いヨタハチが勝ったこともあったのだ。
馬力を上げても、ある程度以上重くなってしまったのでは、
かえって遅くなり、馬力を上げた意味がなくなることがあるというのだ。

 

これをビジネスで考えた場合、
売り上げがエンジンの馬力とした場合、
2倍の売り上げ(馬力)にするために、
2倍の営業マンを揃え、
2倍の営業費用(エンジン本体の重量)をかける必要性はない。
営業マンの能力アップと、効率化、アイデアで、
かけた費用以上の売り上げupの効果を出すことは、難しいが出来ないことではない。
しかし、それに伴って、
それを支える本社機能(シャーシ関連)が大きくなって、
本社費用(シャーシ・ホ゛ディなどの重量)がかさんでくると、
会社全体の経費(車両重量)が重くなって、
かえって、収支が悪化してしまう場合もある。
いわゆる経費倒れというやつだ。

 

倒産する会社のよくあるパターンで、
売り上げが下がってきて経費が粗利益を越して赤字になっているのに、
会社の構造を変えて固定費を縮小することをせず、経費を圧縮出来ずに、
赤字が累積して倒産というケースがよくある。
大企業がバブル崩壊後にやった大規模なリストラは、
小規模の企業では、かえって実行しにくい一面があるからだ。

 

このような悪しき循環は、
利益が出ている時からその芽が存在をしていて、
売り上げを上げるペースに伴って経費の上昇ペースも上がってしまう体質と同じである。
売り上げが2倍になったら経費も2倍になってもよいという訳ではないのだ。
規模が大きくなると、
企業を取り巻く情勢の変化にすばやく対応することが難しくなり、
その時代、その時代に合ったビジネスをすばやく展開できなくなる。
また、規模が大きくなると、
規模が大きくなった故に発生してくる費用の要素もあって、
それまでの経費を2倍にしてしまうと、それに新しい経費項目が上積みされ
その結果、規模が大きくなっただけで、かえって収支が悪化する場合がよくあるのだ。

 

企業が売り上げを上げ規模が大きくなったら、
同時に企業の効率化を図っていかなければならない。
車の「馬力」に当たる「売り上げ」が2倍になったら、
「エンジン重量」に当たる「営業に関わる費用」も2倍になったのでは、
車はかえって遅くなってしまうように、営業効率も下がってしまう。
ましてや、
「シャーシ・ボディ関連の重量」に当たる「本社費用」までが、
それに比して重くなって、「車両重量」に当たる「経費全体」が重くなってしまったのでは、
車が完全に遅い車になってしまうように、
収支は完全に悪化してしまう。

 

それは、売り上げが下がっているのに、経費を落とさない愚行と同じ構造である。

 

車は軽くなければならないのである。
馬力が大きくても、エンジン重量が大きくては意味がないし、
ましてや、それに比してシャーシ関連が重くなったのでは、
速くはなれないのである。

 

企業でも同じで、
いくら売り上げが上がっても、
それを稼ぐのに営業費用がそれ以上にかかっては意味がないし、
ましてや、それを支える本社費用がそれに比して多くなったのでは、
会社全体の収支は必ず悪化し、
倒産につながること必至なのである。

 

昔取引があった会社が2社、同じ日に倒産をした。
「人のふり見て、我がふり直せ。」
そう思ったのです。

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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