谷 好通コラム

2008年05月24日(土曜日)

1924.ほぼ1年ぶりの上海

中部空港から上海浦東空港に向かって飛んでいる。
今日と明日、二日間だけの出張だが久しぶりの上海である。

 

中国においてキーパーを販売するビジネスを展開するため
私自身、何十回となく中国を訪問し、
担当者であった荻野君、酒部君、李さんたちも
長い時間をかけて中国で活発に活動をしてきた。
しかし、中国でのビジネスは目先の利益しか考えない人たちに翻弄され、
またコピーに悩まされ、
結局、建設的なビジネスを作り得ないまま、
中国に日本からの積極的な販売活動はしないことにして、
最初から付き合っている中国の総代理店、頼さんに、
中国のすべてを依存することにしたのだ。

 

それに、中国からの輸入品である「快洗Taoる」の品質管理も
決して手を緩めることは出来ないので、
今までタオルの検品を続けてきた兪さんを頼さんに依頼することが、
最も信頼できる方法であると結論した。
輸入については、引き続いた関係を続けていくが、
中国国内に向けての販売は日本からの働きかけをやめて、すべてを頼さんに任せる。
そう決めた。

 

この体制になってからほぼ1年。
タオルの検品も順調で品質に乱れはなく、
キーパー製品の販売も、当初立てた予算を無事クリアしそうである。
初めての中国における予算達成だ。
さすが頼さんというか、さすが兪さん。
中国のことは、最も信頼できる中国の人に任せる。
やはりこの体制が一番いいようだ。
北京オリンピックを挟んで、
それ前後に、大きな変化が中国経済に起こるような気がして仕方ないので、
それが落ち着いてからまた中国をどう展開していくのか、
どう頼さんを支援していくのか考えることにする。

 

 

※ここから、今日一日が終わってホテルの中で書き始める。

 

 

今回は初めて「中国南方航空」に乗って上海浦東空港に来た。
往復で5万円余り、団体でなくてもこの値段だ。
日本の国内線の値段の高さはやはり異常だと思う。

 

浦東空港に新しく建てられた新しいターミナルに到着する。
向こうの方に行き止まりに見える場所が中間点で、
そこにあるイミグレーションまで歩いていくのだ。
・・・・ギョエッである。

 

 

空港に迎えに来てくれていたタオル工場の陶さんと一緒に工場に。
工場では全体で「快洗Taoる」を作っていた。
実際の工場はこの写真の5倍ぐらいの大きさである。

 

 

いっぱい話をしてから、昼ごはんを食べに行く。
「何か食べたいものはありますか?」と聞かれ、
即座に「川魚の入った春雨が食べたい。」と言う。
5年以上前、初めてこの工場に来た時に庶民的なレストランで食べた
中国に来て初めて食べた本格的に中国らしい料理だ。
川魚(ライギョ?)独特の味と、チャンサイと呼ばれるかなりきつい香りのする香草の料理。
川魚はダシを取るだけで、独特のスープとへらっぺったい春雨を食べる。
懐かしい。
強烈に癖のあるこの味に、私はあらためてしびれてしまった。

 

 

1年ぶりの陶さんは、突然の私の来訪に「何事か」と思ったらしいが、
しばらく来てなかったので、「陶さんの顔を見たかっただけだよ。」と言ったらホッとしたのか、
楽しい話が弾んだ。

 

たった一年だが、陶さんはずいぶんたくましく自信に満ちた立派な経営者になっていた。

 

 

今回無理を言って通訳さんとして付き合ってもらった李さん。
この人は、改めて人格者であると思った。

 

 

陶さんの工場から、上海の市街地に向かう途中の道。
昔ながらの中国の風景が続く。

 

 

頼さんはこの一年間大変なことの連続であったらしい。
ガソリンスタンドの中にテナントとして洗車屋を6軒持っていたのだが、
全然別のガソリンスタンドで爆発事故があって、
そのあおりで、すべての洗車屋を一時閉鎖する憂き目にあったそうなのだ。
今年の2月、稼ぎ時の旧正月に独立店舗のこの一軒だけの営業になって、
彼いわく「会社が危なかった」状態にまでなったらしい。
そこまで窮していたとは知らなかったが、
やっと今、何軒かが再開し、この新しい店舗も好調で、
経営も安定してきていると言っていた。良かった。

 

 

頼さん家族。
お父さんの「頼 逢吉」
お母さんの「陳 菁菁」(どうしても字が見つからなかったのだが、”菁”の下は月である)
一人息子の「頼 冠宏」
この三人の家族の幸せそうな顔を見て、
私はいろいろな思いが巡り、感無量であった。

 

 

店舗では、手洗い洗車の研修が行われていた。

 

 

こちらでは、研磨とダイヤモンドキーパーの研修である。
講師は、都築君に似たスタッフで実に頼もしそうである。

 

 

真ん中にお客様の待合室があり、
その両側に、お客様から見える形で洗車と研磨・コーティングのブースがある。

 

 

店から出て、晩御飯を食べに行く。
写真は食べ終わった後。

 

 

5年前からずっと知り合いの郭さんは、今では頼さんの会社の指導マネージャーとなって、
最初に会ったときのヒョロヒョロしたイメージから、存在感をある大人になっていた。

 

隣の女性は兪さん。キーパーの営業の責任者であり、指導者でもある。
二人とも愛知の中央トレーニングセンターでしっかりと訓練を受けていたベテランである。

 

 

食事が終わったのは、まだ上海時間で8時半。
早すぎたかもしれないが、残した仕事もあったのでホテルに引き上げる。
相変わらず上海のビルは派手である。

 

 

なんとなくではあるが、みんなが、ほんの少しだけ交通法規を守るようになっていた気がした。

 

 

我々をホテルに送ってくれたのは兪さん。
この間会った時はまだ初心者っぽい運転であったが、
彼女が少女から大人の女性に成長したように、しっかりとした運転になっていた。
兪さんは、可愛い少女から、本当にきれいな大人の女性になっていた。

 

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2008年05月24日(土曜日)

1923.腹の中まで見せるか

先日の話で、ミャンマーが自分の国に大災害が降りかかっているのに、
軍事政権が自らの権力に固執するあまり、
世界からの援助を拒み、自国の惨状を見せまいとしているのは
あまりにも惨い人間の仕業だと書いた。
見せまいとすればするだけ、世界中がその国の指導者を信じなくなる。

 

人は誰でも自分に都合の悪い情報は隠そうとする。
それは仕方がないことなのだろう。
誰だって、私だって、自分に不利になることを、
わざわざ皆に知らせようとはしないだろう。
でも、それが明らかに作為的に隠そうとすればするだけ、
隠せば隠すだけ、人はその人を信用しなくなるのも本当だ。

 

情報は、
その情報を明らかにすると
誰かに迷惑がかかる様なことがない限り、
明らかにすればするだけ、人はその人を信用するのも本当だ。

 

情報は、出来るだけ明らかにした方がいい。
こんなことは皆に知らせるまでもないと思われることでさえ、
明らかにし公開する方が、圧倒的にいいことが多い。

 

 

 

話は変わるが、

 

今日は、会社の健康診断の日。
本社には健康診断のバスが来たらしい。
「らしい」と言うのは、私はこのバスでの健康診断をしなかったのだ。
先日、風邪を引いたのかな?で病院に行った時
「空腹時に腹が張ることがある。」と、先生に言ったら
「一度、胃カメラを飲んでみますか?」と言われ、今日がその胃カメラを飲む日だった。
そういう意味では、私だけ特別コースの健康診断みたいなものだ。

 

胃カメラは苦しいぞと、皆にさんざん脅されていたので、
昨日から私は憂鬱であった。
昨日は会社から早く帰って夜8時までに晩御飯を食べ終え、
今日は朝から何も食べず、水以外の何も飲まない。

 

病院に着いたら、早速、控え室のような小部屋で検査着に着替えさせられ、
ちょっとドキドキしているところで血圧の検査。
こんな時に血圧の検査なんてと思ったが、上が158で下が92。
平常ならば上が135くらいなので、ドキドキの影響は少しだったようだ。
そして「胃の動きを止める薬」を、「おいしくないですよ。」と言われながら飲んで、
(本当に美味しくなかった)

 

検査室に入って、ベッドに寝る。
すぐに点滴の針を刺して「生理食塩液」を点滴。
次に、喉を麻酔するための「ゼリー状」の薬を口の奥の部分に3分間含まされる。
最初、ちょっと気持ちが悪く、嘔吐感が来るかなと思ったが、
1分経ったころから喉が痺れはじめて、嘔吐感は来なかった。
3分経って口に含んでいたゼリー状の薬をカップに吐き出したら口中がすぐに痺れた。
ここまでの処理は看護師さん(看護婦さんの方が言いやすいが)の仕事だ。

 

やがて先生が呼ばれる。
内視鏡の専門医で、ムーミンのような感じの優しそうな若い先生だ。
すぐに、先ほどの点滴に「鎮静剤」を注入する。
と、針が刺さっている部分からビリピリッという痺れというか痛みが走り、
すぐにボーっとしてくる。
「眠たいようだったら、寝てていいですよ。」と言われるが、
せっかく生まれて初めての胃カメラだ。
絶対にどんな風になるのか見ていようと、目をバッチリと開ける。

 

大きな穴の空いたマウスピースを噛まされ、
その穴から、すぐに胃カメラのスコープが入れられた。
痛くも、痒くも、気持ち悪くも、何ともない。
まったく何ともない。

 

頭がボォーっとしていても、先生のせわしない動きはよく解る。
半分だけ見えるモニターも一生懸命見るが、どうなっているのかよく解らない。
何分ぐらい経ったのか、私には2,3分のことに思えたのだが、
本当はもっと長かったのかもしれない。(ひょっとしたら、私は少し寝たのか?)
いずれにしても、あっという間に終わって、
少しふらつく足で、最初の控え室のような小部屋のソファに座った。

 

先ほどの看護師さんが、
「はっきりしてきたら、着替えて待合室でお待ちください。」と言うが、
私はすぐに着替えた。
足がまだふらつくが、早く着替えて終わりにしたかった。
やっぱり怖かったのだろう。

 

自記に診察室に呼ばれて、検査の結果を聞く。
(ひょっとして、胃がんでもあったらどうしよう・・・・)

 

「きれいですね。ここに胃潰瘍が直った跡がありますが、・・・」
一枚の写真の一部を指して言う。
うっすらとした線があるが、それがそうなのか私にはよく解らなかったが、
いずれにしても、それが何か問題ではないそうだ。
「胃はいいんでけど、十二指腸にすごい跡がありますよ。
完全に直っているので全く問題はないのですが、昔、かなり大きな潰瘍がここに、・」
先生が指した所には、
なにやらシワシワになった跡がかなりの大きさであった。
「何年か前かは解りませんが、昔、こんな大きな潰瘍だと、苦しかったでしょうね。」
「十二指腸の壁は薄いですから、穴が開いても不思議じゃなかったですよ。これは。」

 

苦しかったでしょうね?

 

穴が開いても不思議じゃなかった?
・・・・・
・・・
私には、その憶えがない。

 

たしかに10年以上前か、20年以上前か、
空腹になると胃のあたりが重い感じで痛んでいた時期があったが、
バナナを食べるか、ミルクを飲むと直るので、それほど気にしなかった。
医者に行った事もあったが、
胃薬をくれただけだったような気がする。
あの医者はヤブだったのか? 私が鈍感だっただけか?(多分こちらだ)

 

ひょっとして十二指腸に穴が開いていたら、
場合によっては腹膜炎になり命にかかわったかもしれない。

 

私は、10年以上か、20年以上か前、
ひょっとしたら命にかかわったかもしれない大きな潰瘍を持っていたのだ。
そう思うとぞっとしたが、
とりあえず、今は何ともないことに大きな安堵を覚えたのでした。

 

みなさん、「胃カメラ」はまったく苦しくないですよ。
ぜんぜん平気でした。

 

 

徹底した情報公開を「腹の中まで見せる」ともいうが、
私のこの胃カメラの写真と、情報公開とは全く関係ない。
(気持ち悪いといけないので小さな写真で)

 

 

ちなみに今日の健康診断で、
畠中常務は1cm、池本常務は2cm、メタボだと言われたそうだ。
くっくっくっくっ・・
(私も一緒に健康診断に出なくて良かった。私の場合二桁cmメタボは間違いない。)

 

上溝店がかなり出来上がってきている。
画像は、看板計画として作った合成写真

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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