谷 好通コラム

2010年06月21日(月曜日)

2532.珍しく政治の話を書いてしまった

菅直人氏が首相になってすぐ、7月に参議院議員選挙を行うことになっている。
支持率が高いうちに選挙をやってしまおうという以外には理由はないだろう。
これを卑怯と言うのは簡単だが、
仕方がないことだとも思う。

 

この4年間に6人も首相が変わった国は先進国の中では日本だけだそうだ。
ここしばらく、新しい首相が生まれた当初は80%とか60%と
きわめて高い支持率を得るが、
ものの半年も経たないうちに10数%にまで急落して、
「これでは選挙を戦えない」と、自民党も民社党も首相を取り替えた。
その結果が、4年間に6人もの首相なのだろう。

 

評論家は日本の政治家には大物がいないとか、
日本の政治は場当たり的で理念がないとか、色々言うが、
私はそういうことではないと思うのだ。

 

今、人々は政治に何を求めているのだろうか。
自分たちに良い生活をさせてくれること、
低負担、高サービスを求めているのだろう。
つまり、出来るだけ取られずに、自分たちにたくさんのサービスをくれることを望む。
自分が払う以上のものを望む。

 

 

昔、それは地域利益誘導型の政治であり、
いかに地元に公共事業を取ってくるかが政治家の力であった。
その結果、田舎に立派な道路が張り巡らされ、日本国中に立派な建物が建った。
どれだけ公共事業を地域に取ってきたかが選挙の時の「票」につながる。
利益誘導がもっとも有効な集票手段であったのだ。

 

しかし、都市への人口集中で、都市部に「票」が集まってくると、
昔のように都市部の「票」を軽んじて、
地域に利益を誘導すれば多くの議席を占めることが出来る構造が壊れてきた。

 

都市部に集まって来た人たちは自分の住んでいる地域のことにはほとんど興味がなく、
ほぼ自分と、自分の家族の生活だけが関心の的であって、
こうなると地域への利益誘導型の政治はもう通用しない。
立派な橋が出来ても、立派なな設備が出来ても、
その予算を取ってきた政治家に、だから票を入れようとは思わないのだ。

 

そこで「国民の生活が第一」というような
個人に利益が落ちることを連想させるようなスローガンが出てきて、
票の中でもっとも多い数の一般消費者の利益を実現する政治に変わってきたようだ。

 

ところがこの一般消費者は、
普段から「購買意欲」を掻き立てられるような刺激を受け続けていて、
あれが良いか、これが欲しいかと迷い、いつも選択している。
気持ちがいつも移っている。
TVを見ても、インターネットを見ても、
消費者の物欲を刺激し続けている。
売る側は消費者心理をいかに読み取り、いかにポイントを刺激するかが勝負。
一般消費者はいつも「受ける側」にある。
刺激を受け、商品を受け、サービスを受け、お金を払う。

 

何かを受けとって、お金を払う。
この消費者意識の構造が、
政治に対する価値観にもそのままあるのではないか。
お金は税金という形で払い、
行政サービス、社会保障、社会的インフラの整備、安全保障、という形で受け取る。
だから、出来るだけ税金は安く、
出来るだけ多くの行政サービスを受け、多くの社会保障を受け・・が「得」なのであり、
良い政治となり、良い政治家なのだ。
自らへの利益を出来るだけ多く誘導する政治が良いとするのは、
その対象が変わっただけで昔の地域利益誘導型政治とあまり変わらない。

 

違うのは、
昔の地域利益誘導型の政治家は「おらが先生」であって息が長かったが
一般消費者の場合は普段からあまりもの多くの刺激を受けているので、
気持ちが非常に移りやすく、同じ人を支持し続けることをしない。

 

一般消費者とは、
自分がなにを買うかすべての決定権を持っているので、
本質的にわがままで良いのである。
わがままとは、他人や全体のことを考えず
自分だけの事を考えれば良いことであり、
「好き」「キライ」だけですべてを決定しても良いことなのだ。
お金さえあれば、何を買うかは個人の自由であり全く制約を受けるものではない。
「好き」「キライ」だけで買えば良い。
これがごく自然であり、身に染み付いている感覚だ。
このことはまったく悪いことでもなんでもない。

 

しかし、この感覚で政治を考えるのはちょっと違う気がする。
政治は人々全体のことを考え、国対国のことを考え、
国民全体と世界全体みんなが幸せになることを考える。
国民全体とは国民一人一人の集合なのだから、
一人一人が自分だけのことを考えるだけで政治が成り立つのかと言えばそうではない。
一人一人が、全体のことも考えないと社会というものが成り立たないのではないか。

 

みんなが自分の損得と好き嫌いだけで
どの党を支持するか、政権を支持するかを考える傾向がある。
それは「票」に直接結びつくものだから無視はできないのだろうが、
その結果、世論調査に右往左往してどんどん首相を変えていくのは、
日本の政治の貧しさと言えるかもしれないが、
それ以前に、多くの有権者の視野の狭さ、
思考の短絡こそが政治の貧しさを作り上げた元なのではないだろうか。

 

新首相を最初は目新しさで人気が上がり、支持するが、
そのうちに現実的な施策が見えてくると、
やはり「低負担、高サービス」などというものは、どだい不可能な話であり、
低負担ならば低サービス、高サービスを望むなら高負担になるのは
商品の価格と商品が持つ付加価値の関係のようなもので、
あちらを立てればこちらが立たず、であり、
どこでバランスを取るかの狭い選択になる。
いけないのは政党が「票」を取るために、
選挙の時、あたかも「低負担、高サービス」があるような幻想をふりまくことだ。
あるいは一人一人の欲求が満たされないのは政府が悪いからだと
一人一人に「被害者意識」をばら撒くことだ。

 

「低負担、高サービス」など出来るわけがないことを約束して票を集めて政権を取り、
元々出来るわけが無いことを無理して実行しようしても、当然、実行できない。
すると「約束を破った」と大バッシング。
この悪い循環を断ち切らなければ日本に健全な政治が戻ってくることはない。

 

もっと悪いのは、
テレビの視聴率稼ぎが目的のバラエティ番組で、
正義の味方ぶった(元)お笑い芸人が、
「私らも被害者だ」とまくし立て、政治をののしる光景だ。
私はあの光景が大嫌いで、さっさとチャンネルを変えることにしている。

 

消費者はわがままで良いのだ。
何かを買う時、あくまでも自分勝手に、
わがままに選択するのは当然であり良いことだ。

 

しかし、社会を動かす政治は、
自分勝手な、わがままで、自分の損得、好き嫌いだけで選んでいけないと思う。

 

社会は自分のためにあるのではなく、みんなのためにあるのだから、
みんなのためになる選択をすべきなのだと思う。

 

消費者は消費においてはわがままで良い。
それと同じ価値観で政治をわがままに選択すると、
日本の政治は、いちいち薄っぺらなバラエティ番組の餌食になってしまうほど
軽薄な存在になってしまう。

 

どうせ選挙は、好き嫌いの人気投票であるのだから、
人気があるうちにやってしまえばいい。
選挙は立候補者の名前を売ることが勝負ならば、
最初から名前が売れているスターや、有名選手を候補にすれば手っ取り早い。
開き直ったようなこの態度は、
手前勝手な損得勘定と好きだ嫌いだで政治家を選ぶ国民に対する回答なのだと思った。

 

菅首相が、消費税を10%にする考えがあることを言葉にしたら、
支持率が一挙に60%から50%に急落したそうだ。
ちょっとうんざりした。

 

 

今日は東京への日帰り出張。
板橋店で夕日を背に田村店長と羽賀君。

 

 

夕日と言えば、グァムの夕日はこんなすごいのだ。
(2班でグァムに行った賀来部長のSDメディアから拝借)

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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