谷 好通コラム

2024年02月14日(水曜日)

02.14. 16話.起業後、1年で家のローンを完済。

安売りでガソリンの販売数量を飛躍的に伸ばしても、安く仕入れられなかったので忙しい割に利益は少なかった。だから、スタッフ達が疲弊するばかりで給料は上げられなかった。当然、若い子は定着せず、悪いパターンの寸前だった。そこで、安売りによる販売数量の増加は、単なる来店客数の増加と割れ切り、増加した来店客に対しての「油外収益(メンテナンス収益)」の販売を猛烈に強化しました。

メンテナンス収益とはオイル交換、TBAS(タイヤ、バッテリー、サービス・洗車など)の総称で、ガソリンを入れに来たお客様に対して「安全点検」をして、悪かった箇所をお客様に報告して解決する為の作業をする。一番多いのはオイル交換で、そのサイクルは1,500kmごと、ほぼ一か月に一回のオイル交換が標準だった。現代のような化学合成オイルはなく、熱などで性能劣化が早い鉱物オイルだけだったこととエンジンの加工精度そのものがまた低かったので、ほぼ毎月のオイル交換が必要だった。現代のようにオイル交換の目途が10,000km以上であるのとは大違いだ。ラジエターには無交換のロングライフクーラント(LLC)ではなく、当時は毎冬交換の「不凍液」で、「さび止め」と交換前の「洗浄剤」がつきものだった。春になると今度は不凍液を抜く作業がある。また「さび止め」と抜く前の「洗浄剤」がつきものだ。ガソリンを入れに来るお客様の車はオイルTBASの収益の宝庫であったのです。昔は。

 

ガソリンなど燃料からの収益は1㍑当たり10円程度であってもメンテナンス収益は燃料1リットル当たり20円以上も稼ぐガソリンスタンドもあり、業界の中で「優秀店」として、元売りから表彰されていた。私もその端くれでガソリンの給油はスタッフ達に任せて、私は朝から晩まで「安全点検」と「O・TBA・S」の作業に没頭した。ガソリンは安売りをして増やした客数の車に対して「安全点検」→「O・TBA・S」メンテナンス収益を重ね、この共同石油高津波給油所は、高津波サービスステーションとして高収益店舗を実現したのです。そして半年後(起業後1年後)、私は6年前に中古住宅で買った自宅のローン残金約900万円を、めでたく完済したのです。

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2024年02月13日(火曜日)

02.13. 15話.株式会社タニ、共同石油高津波給油所。

起業を志して約1年、1985年8月ようやく会社を登記。代表取締役谷 好通、株式会社タニ。店舗は共同石油 高津波給油所、本社および店舗の住所は愛知県刈谷市山池町。ですが、山池町給油所とはせずに高津波給油所としたのは起業をした心意気というかやる気満々で、「山池」という平和なイメージよりも、店舗の向かい側の住所が「高津波町」だったのでも、こっちの方が勢いがいいと高津波給油所としてしまったのです。約30年前に出来た古いタイプの敷地約150坪の小さなガソリンスタンドでした。

さらに起業当時はイケイケドンドンで、とすれば当然「現金安売り看板」を開店当初から出して「売ったが勝ち」の勢いであった。もともとこの店は安売りを一つの看板にしていたので、比較的おとなしいイメージの共同石油マークを上げていながらの安売り看板だったので、周囲の同業者からの反発も強かったが、「一文無しからの起業」であったこともあり、とりあえずの現金が欲しかったこともあって、元売りからの圧力にも従わず現金安売り販売はやめなかった。

しかし、元売りからの要請に逆らっての安売りだったので、増販に伴う仕入れ価格の値引きは得られず薄い口銭での販売が続き利益はあまり出なかった。しかし、メジャーな元売りマークでの安売りは効果てきめんで、販売数量はぐんぐん伸びて、あの時代の業界のステータスであった100kl販売を軽くオーバーして、元売りも販売数量の増販については絶賛して他店の見本だとした。

しかし、安売り効果でガソリンの販売数量が増えれば増えるほど店のスタッフ達は疲れた。それでも利益は少なかったので増員することも出来なかったし給料は決して高くなかった。

 

 

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2024年02月12日(月曜日)

02.12. 14話.1年間の本気のコミュニケーションの結果、起業成功。

刈谷市の1軒のガソリンスタンド(現在のLABO1号店KeePer LABO刈谷店)を譲り受けるのが起業前の大仕事でした。この店舗を譲ってくれる神谷さんは、ご自分が起業する時の地主さんとの話、石油業界に対するご自分の考え、ガソリンスタンドとはかくあるべき論から多岐に渡って、多くの回数のコミュニケーションがありました。神谷さんのこの店舗と商売に対するこだわりは半端ではなく、石油販売業界の中では単に「安売り店(通称ゴンタ)」の1つにくくられてしまうが、その行動の一つ一つにこだわりがあり、その話は総じて面白かった。何度もお話に着き合わせていただく間に気が着いた「この方は、自分の店を任せたい人に譲りたいんだ。」と。

だから、長い話に対して面倒くさくなって「ハイハイその通りです。」なんて、安易に同調するような返事をすると、神谷さんは「谷さんはそんないい加減な人ではないはず。」と許してくれません。神谷さんの話を真剣に聞き、その趣旨をよく理解した上で、自分の考えをキチンと話さないといけない。それが賛同でも反対でもいい、キチンと話すと話が進むのです。逆に話を進めたいが為に表っ面だけの賛同をすると話が堂々巡りになって、かえって話が進まないのです。

そうとなったら、もう腹を据えてとことん話をしていくしかありません。途中で何度となく、実際にお金を出して店舗を買い上げる元売り関連の会社の人も同席して話がされましたが「谷さん、イントロが長すぎるよ。いつまでこんな話をしているのか。」と腹を立てられたこともありましたが、神谷さんとはまともなコミュニケーションを積み重ねていくしか出口はないと覚悟を決めていた私はどう言われようと真剣路線を変えることは無かったのです。

 

そうこうしている内に1年近くが経って、神谷さんとの話も尽きてきたころ、神谷さんを食事に招待して、これでもかという程のご馳走の席を設けたのです。お話はこれで打ち止めという意味で、神谷さんも納得したような表情をして、初めての酒の入ったご馳走の宴席を受け入れ、この話は神谷さんが全面的に私を受け入れる形で終わりました。起業成功の第一歩です。

私は、この経験からなのでしょう。議論が片方の損得で一方的に忖度されることが大嫌いで、お世辞は言われるのも言うのも大嫌い。まともな議論をする人を信用します。

 

私の起業は「一文無しで」始めましたが、決して調子のいいだけの起業ではなく、1年間の真剣なコミュニケーションを全力で続けた上での真面目な起業だったということは、ここで初めて書きました。

 

真面目な話、3月のKeePer LABO新店は3軒がオープンします。

その最後の直営115店目のKeePer LABO宇都宮店(仮称)の看板提案パースです。

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2024年02月11日(日曜日)

02.11.愛知県豊根村の道の駅に行って思った事。

昨日の土曜日は、

9月から中部経済新聞でスタートする50話連載の話を2つ書きました。

明日は、トレーニングの後、午後から店舗プラン会議があります。

世の中三連休の中日の今日は一日中、

仕事を外れた日にすると決めていたので、家族と一緒に遊ぶことにしました。

しかし、私達は遊びが最悪なほど苦手なので、

阿久比のユナイテッドシネマに映画を見に行くか、(+ポップコーン)

どっかの「道の駅」に行って、野菜やお菓子などしょうもない買い物をするか、

そんな程度にしか遊びが出来ないので、

今日は相変わらず道の駅で「豊根村の道の駅グリーンピア宮崎」に行きました。

午前10時半過ぎに出て、高速と山道を走って2時間半、

だから目的の道の駅には午後1時に着いて、

行って見たら、

とても小さな道の駅でしたが、

チョウザメ料理が名物だったので、昼ごはんでそれを3種類も食べて、

小さな売店でいつまでも見ていて、

この道の駅で昼ご飯とお土産で1万5千円ぐらいも使い、

両手にいっぱいの地元の野菜と地元のお菓子を買いました。

そんなしょうもない事をしていたら2時間も経ってしまったので、

今日はその「道の駅」一軒だけで帰る事にしました。

 

帰りは違う道を行こうとNANIのルート選択を「エコ」にしたら、

NAVIがとんでもなく細い山道で峠越えをさせようとしたので、

途中で引き返したりしている内に、

余分に時間がかかり帰り着いたらもう午後5時を過ぎて、今日の終わりです。

本当に残念なのですが、

私達は、遊ぶことがものすごく苦手なのです。

もう何十年も土日を遊んだことがないので、

遊び方を学習していないからダメなんだと思うのですが、

もう70歳を越してしまったので、今から学習する気にもなりません。

かといって、「道の駅」巡りもそろそろマンネリしてきました。

 

雪も雨もなく少し暖かくなって、

KeePer LABOもいよいよ活気づいてきています。

私も本当はLABO巡りをしたいのですが、意識して少なくしています。

色々と考えて、そうしていますが、

遊び下手は克服できず、・・です。

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2024年02月10日(土曜日)

02.10. 13話.起業するまで。恥ずかしながら不良でした。

刈谷市の1軒のガソリンスタンドを譲ってくれる話を実現するまでには、約1年という長い時間と、譲り主との何十回もの話し合い、交渉がありました。譲ってくれるというそのガソリンスタンドは、刈谷市のメインロードである155号線とは途中で分かれた往復一車線ずつの県道に面した店舗で、決して100点満点の店舗ではなく、どちらかというとマイナーな石油元売りマークを付けた古い(築約25年)店舗でした。現金安売り看板で売っていてガソリンの販売数量は水準以上ありました。その店舗の上物全部と営業権(法的なものではなく)と土地の賃借権(借主が代わる)で全部で3,000万円です。高いか安いかは、その店でどれだけ販売するかの自分の自信次第ですが、私は「絶体に買い」だと思ったのです。

しかし、その時の私の持ち金はほぼゼロで、3,000万円は元売りの共同石油と大手商社の合弁会社に買い上げてもらい、その店をこの合弁会社から私の会社が借りて運営しようという私にとっては虫のいい話です。しかし、その当時は元売り間でガソリンスタンドの建設競争が激しく、3,000万円で1軒の店舗が自元売りで獲得出来れば安くていい話だったので買い側は完全に乗り気でした。しかも商売が始まってからの商品買い入れの保証にとしての支払い担保は両親が住む土地家屋を入れさせてもらうという図々しさで、私の起業は文字通り「一文無し」だったのです。本来は起業の元手をこつこつと貯めてからというのが正しいのですが、私の場合は決して優等生ではない、恥ずかしながら調子だけがいい不良のような起業だったのです。

 

似たようなことで、私は21歳で結婚しているのですが、その時、私は妻になるべき相手に「30万円ある。」と言ったのですが、実はその頃、私は酒ばかり飲んでいたので飲み屋さんに30万円のツケがあっただけで貯金なんて全くありませんでした。それでいざ結婚生活に入る時はそのツケを払ってもらってからだったのです。それを「俺は30万円あるとは言ったけど、それが借金とは言わなかったけど貯金とも言わなかった。」などとまるでペテンみたいなことを言ってごまかしたのです。しかし、悪いことはするものではなく、50年経った今でも妻からは、未だにそれを言われます。30万円のことをいまだに言われるのです。本当にいい加減なことはするものではありません。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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