2019年03月21日(木曜日)
3.21.半日ごとに回復して、俄然、会社の事が気になりだした。
手術から三日後の今日、
一日の中でも午前中よりも午後の方が明らかに回復していて、
半日ごとに目覚ましい勢いで元気になり、
手術直後からすると信じられないほどです。
こうなると、
がぜん気になってくるのが会社の事です。
今回の手術のように長く会社を開けなければならないのならば、
いつかは交代する私が社長の座にい続けるのではなく、
新しい人材にそのポジションを譲っておくべきと考えました。
だから、その意味は果たしたので、
今度は新しい社長に、
KeePer技研株式会社の社長はどうあるべきか、
あるいは、まだ、新社長たるべき社長教育を施してはいないので、
キチンと本格的に始めなければなりません。
新社長は新しく社長になったことによって、
最初から社長としての能力を持った訳ではなく、
それを身に付ける資質があると判断されて新社長になった訳なので、
これからの新社長としての経験と行動を通じて
たくさんの学びと懲りがあって、本当の社長の能力を身に付けて行くものです。
その時に前任者からの教育と修正が有効となります。
本当は最初からしなければならなかったのですが、
まず、今回の手術で長い期間仕事を開けることになっていたので、
中途半端に終わるのは良くないと思って、
とりあえず、やれるだけやってもらいましたが、
当然ですが、修正すべき点はあるので、焦らずにじっくりと修正して行きます。
この後、数か月後にまた長めに仕事を開ける事柄があるので、
これ以上延ばすわけにはいきません。
この会社はまだまだ大きく成長する理由と可能性があります。
今回の経営の承継で、その理由と可能性を止める訳には行かず、
むしろ経営者が若い世代に成ったことによって、
確実にハード的にはパワーアップした訳なので、
あとは、ソフトの部分をじっくりと吸収することによって、
この会社がここまで成長した理由と可能性を、
更に倍加、三倍加、五倍加することになります。
だから真剣に、でも、じっくりとやります。
昼間、病室から見えた小雨の中の名古屋駅付近。
病院の庭園のソメイヨシノが咲いてきました。
家から送ってきた写真。
チーちゃんが、からかわれています。
すると、必ずガブッとやりますが、甘噛みなのでまったく痛くありません。
むしろこの甘噛みをして欲しくて、チーちゃんをからかうのです。
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2019年03月21日(木曜日)
3.21.日一日と回復し、3月26日に退院することになりました。
私は3月5日、入院して、
腰部脊柱管狭窄症の手術を受ける為、体の準備を重ねていました。
そして去る3月18日に稻田医師による約2時間の手術を終え
その夜、同病院のHCU(高度集中医療室)で孤独の拷問のような経験をして、
さんざん泣き言を言いながら、術後の療養に入っていました。
しかし、本当にツラい時間は翌日の19日の途中までで、
この日の昼食から食べれてから、みるみる元気になっています。
手術後二日目の昨日は、
傷口に入れられていたドレーンのパイプも抜かれて一挙に楽になり、
早速始まったリハビリでは、補助器を使いながらも歩けるようになっています。
また、血圧などのいろいろな数値も安定してきて、平和な時間になっています。
刻々と改善して行く予後の回復ぶりに、
最新医療の発達のすさまじさをひしひしと感じます。
この術後の療養は当初約2週間の予定で、
4月2日に退院の予定でしたが、経過が順調なのと、
自分自身での管理を受け入れられるだろうなどの理由なのか
術後の療養を1週間に短縮して、3月26日(火)に退院することになりました。
私としては大歓迎で、素直に3月26日(火)退院を受け入れたいと思います。
外泊・外出ばかりの前入院生活など、
決して優等生病人ではありませんでしたが、とりあえず手術は受けて、
先生たちのおかげで
腰部脊柱管狭窄症は無事解消したそうです。
これで、一生、脊柱管狭窄での心配から解放されたそうです。
まだ、その実感はありませんが、
やって良かったと思える日が必ず来ると確信しています。
ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
おかげさまであと5日半、3月26日で無事退院できそうです。
ありがとうございました。
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2019年03月20日(水曜日)
3.20. 人生で最も長い、永遠の夜の拷問
手術台に乗せられて、誰も区別できないまま
「麻酔を入れますよ。」「麻酔薬が血管に触ると沁みますかね。」
という声が聞こえたことは憶えているが、
その後は何も憶えていず、
というよりもそれから約二時間分の時間がすっぽりと欠如している。
突然、私の周りにいっぱい人がいて、
中には連れ合いもいて、よく分らないが、
手術前にDr.が言っていたHCUという集中治療室らしい、
体は全く動かない。
体は痺れているというか、痛いのだが、動かしていけない種類の痛さだ。
頭がまだボーっとしている。
喋るのだが、まったくロレツが回らない。
そのうちに誰かが「ゆっくり休ませましょう」なんて言って、
皆が去ろうとしているので、
「待ってよ、おいて行かないで。ここでずっと一人なんて無理だよ。
絶対無理だから、置いて行かないで。」と叫ぶが、まともに言葉にならない。
言葉がきつい看護師が、「体の向きを変えてはダメです、」
それは手術前に聞いていたので、
とにかく、ジッと上を向いたまま、頭だけをぐっると見回すが、
誰もいない。時計もない。
ものすごく不安になって、Dr.が通りかかったので、
私は「こんな所に一晩、置いて行くなんて拷問だ。時間が判らないまま、
気が狂いそうだ。こんなこと聞いてなかった。くそ~~っ」と
食ってかかった。
そうしたら、Dr.は、私の部屋に行って、時計と携帯電話を持ってきてくれた。
それはそれで嬉しかったが、私自身の体の不自由と痛さは変わらない。
その携帯で連れ合いに電話を掛けたら、
HCUで唸っているはずの私からの電話に、
連れ合いはお化けからの電話みたいにびっくり仰天していた。
そのあまりもの驚き様に、私は他の誰にも電話できなかった。
と、私は思っているが、ひょっとしたら、もっと誰かにも掛けたかもしれない。
とにかく、時間が経つのが遅い。
HCUに入ったのが午後5時半くらいで、
次の日の朝8時くらいまで、14時間半以上、
私は1時間に10回以上時計を見て、だから多分200回以上時計を見て、
ちっとも時間が経たないのを気が狂いそうになりながら耐えた.
あの時間の長さは、私の人生で一番長い時間の夜だった。
その永遠とも思えるような長い夜の間に「もう二度と手術はせんぞ」と
たぶん500回はつぶやいた。
私の人生で最も長い永遠とも思えるような長い夜だった。
二つの事をおぼえた。
一つは、「麻酔」は「時間の欠如」であり、
もう一つは術後のHCU、ICUなどの集中治療室は、孤独の耐えがたい「拷問」
死ぬまでに二度とまた手術が無いことを祈るばかりだ。
本文とは全く関係なく
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2019年03月19日(火曜日)
3.19.想像を絶するしんどさだった
手術が終わって、麻酔が覚めたら、
実況中継みたいに文章を作ってみようか・・・なんてとんんでもない。
手術とは、私なんかの想像を絶するしんどいものでした。
また、座っているのもつらいので、とりあえずこれだけ書きます。
またいずれ詳しいことは・・・
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2019年03月18日(月曜日)
3.18.いよいよ当日だが、思ったより狼狽えていない。
いよいよ3月18日、私の67歳の誕生日でもあり手術の当日です。
誕生日と手術が同じ日なのはただの偶然であって、
稻田先生の冗談でもなければ、何の意味もない。
このブログを書き始めて19年目、ただいま5435話目だが、
最初の第1話目は「復活の日」と題して、
北区の堀田歯科でインプラントを造ってもらい、
滅茶苦茶になっていた歯が、大量のインプラントを入れてもらって
キチンと話が出来て、食事もできるように復活した時の話でした。
2001年1月22日です。
今回の手術は、手術前の準備が長かったので、
自分の心をコントロールするのを一切やめて、
手術に対する恐怖心を野放しにして、
このブログにおいても、「怖い」、「ビビっている」と、
騒ぎまくった感があるが。
当日になると、今さらビビっていても仕方ないので、
覚悟を決めたら、意外とそれほど狼狽(うろたえ)えていません。
稻田先生の手術は本日三本(先生がこういう言い方をされる)あって、
私はその三番目、予定では午後2時かららしいが、
手術は遅れることが常のようで、
実際は何時からになるのかまだ分らないが、
たぶん、午後2時以降、
手術着になって、お呼びがかかるまでじっと待っている時間が一番嫌だろう。
いずれにしても、覚悟を決めるしかない。
みんなに「頑張ってください」と励まされる。
励まされるのは、あまり好きではないのだが、
今回は、みんなの言葉と気持ちを嬉しく感じる。
ただいま午前11時05分、手術の前に他の処置を時間をかけてやっているが、
普段はつらいと思う事も、
手術をする前だからなのか、
むしろこの時間を楽しんでいるような変な気分だ。
ダメかもしれないが、
手術が終わって麻酔が覚めたら、
口述で誰かに文章を書いてもらい、
今晩の内に、鈴置専務にでもブログに上げてもらおうと思っています。
無理かもしれませんが、
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