谷 好通コラム

2008年02月12日(火曜日)

1844.楽しむために生まれたのか

(ここ何日か日付が変わってからのUPになっている。この話は11日に書いたものです)

 

 

なぜ私は生まれてきたのであろうか。

 

♂と♀の繁殖活動の結果か? ただそれだけか?
ただそれだけであって生まれてきたならば、生まれたこと自体には意味がないことになる。
♂は♂として、♂としての繁殖活動は生き物として義務であり、
♀は♀として、♀としての繁殖活動をまっとうすることは、
生き物の種としての義務であるのだから、
私は、その結果として私の存在ならば、
今ここに生きていること自体、私にとって「ラッキー」でしかなく、
ただ単に「儲けもの」であるのだろう。
その意味では、私はこの人生を楽しむだけ楽しめばいいことになる。

 

自分の人生を自分のものとして楽しむのは、別に悪いことではないだろう。
たとえば、
ある人生では、
出来るだけラクをして、出来るだけ儲けて、快楽の中に生きるのもいい。
あるいは、
♂としての闘争心と支配欲を満足させるべく、
闘い、他人を蹴落とし、勝って、みんなから恐れられ、
あるいは、畏れられるのもいい。
あるいは、底なしの所有欲を満足させるために物を買いあさるのもいい。
あるいは、しっかり仕事をして安定し、家族の中で癒され平和な生活を得るのもいい。
あるいは、生活の安定のうえで、楽しむための趣味を持ち、充実した生活をすれば、
それはそれで、それも楽しい。
人生を楽しむための生き方はいっぱいあるし、それほど難しいものではない。

 

それぞれの人が、それぞれの価値観の中で、
それぞれに人生を楽しむことはできる。
楽しむことは別に悪いことではないし、
他人に迷惑をかけずに、
充実して、楽しい人生を送れたならば、他人から非難されることもなく、
むしろ自分の人生を十分に使い切った人生の勝者と言えるのかもしれない。
人から羨まれるような人生の一つだろう。

 

しかし、ふと思うのだ。
私は人生を楽しむために生まれてきたのか?
私が私自身の人生を楽しむことに、どういう意味(目的)があるのか?
あるいは、何か意味があるのだろうか。
楽しむ他に何か意味でもあるのならば、私はその意味を実現しなければならないし、
出来ればその意味を自分でも知りたい。

 

自分が生まれてきた意味とは、
自分の人生を楽しむことにあったのか。
人生を楽しむことには何か意味があるというのだろうか。
生きているということは、生きていることを楽しむことなのだろうか。

 

楽しむことこそに人生の意味があるのならば、
苦しみの中で生き続けた人生には全く意味がないということか。
たとえば、
人生を楽しむことなく戦争で死んでしまったり、
不本意な病気で死んだり、殺されたり、騙したり、騙されたり
恵まれない境遇でとても不幸な一生を生きた人生は、
あるいは、生まれてすぐ死んでしまった赤ちゃんは、

 

生まれてきた意味がないのだろうか。

 

遊ぶことなく働き続け、
それでも報いられずに年老い、孤独のうちに死んでいった人の人生は、
何の意味もない人生だったのか。生まれてきた価値もない人生であったのか。

 

そんなことはあるまい。
そんなことが、あるはずがない。

 

それがどんな人生であっても、
その人の人生の価値が寸分でも変わるわけではないだろう。

 

十分に楽しまれた人生か、苦しかった人生であったのかで、
その人の一生の価値が変わるとは、どうしても思えない。

 

ならば、人生の意味(目的)は「人生を楽しむ」ことではないことになる。
とすると、
私が生まれてきた意味(目的)は何だったのだろう。
何のために生きているのだろうか。
そして死んでいくのには、なんか意味があるのだろうか。
私は仕事が大好きで、毎日人一倍充実して生きているつもりだが、
そのことに意味があるのかどうか、
楽しむことに意味を見出せないのと同じように、私には分からない。
・・・・・・

 

なんて、
新幹線の中でストイックになっている間に東京に着いて、
午後からの東京営業所で研修に参加して、
それが終わってから、何と16人のみんなと飲んで(食事だけのはずであったのだが)、
やっとホテルに帰ってきた。
もう、すっかりご機嫌である。

 

生まれた意味とか、
生きていく意味とか、
そういうことを突き詰めて考えていくと、
なぜか、自分は生きていなくてもいいのかな。なんて思い始めるのは、
何と言うか、危なくはあるし、
やっぱり、避けて通ってはいけないことなのだろうと思うが、
解決の答えは、当分出そうにない。

 

しかし、その解決の一端になるかもしれない本を読んでいる。
「ラサ・ランドール」??の「余剰次元の宇宙」に関しての本。
SHIMIZUプランニングの清水さんから借りた本で、
そこに何らかの本当の事の突端があるような気がして、一生懸命読んでいるのだが、
純然たる物理の本で大変難しく、
5ページ読むと、瞼が重くなってきて、読むのに難儀している。
私は、
生まれた意味とか、今生きている意味とか、
そういう事以前に、もっぱら仕事好きだけなのかもしれない、
昨日の杉浦君と同じように。

 

私は杉浦君よりも幸せだろうか、
いい人生を送っているのだろうか。
少なくとも、私は彼よりも不幸ではないと思うが、
幸せであるかどうかは分からない。ひょっとしたら彼の方が幸せかもしれない。

 

つまり人間は、遊ぶことより、楽しむより、仕事が好きなのではないか。
新小岩の駅前の居酒屋で生ビールを7杯飲んでしまった私の脳みそでは、
そう思いついても、思いつくだけで、
「だから?」と言われても、「はぁ-っ」としか言えない。

 

途中までシラフで書いて、途中から酩酊状態で文章を書き続けても、
まとまる訳がないので、
とりあえず、もうやめようと思う。 (~o~)

 

 

「電車オヤジ」の大貫さんから預かったSDカードから、
素敵な写真を拝借(パクった)。
この写真は、日本の何処で撮ったものなのだろうか。いつか聞いてみたい。

 

 

東京へ来る時は、やっぱり富士山が見えるかどうかだ。
今日は、昨日までの雪で、全身真っ白の富士山かと期待したが、
雪が強い風で吹き飛ばされたのか、意外と普通の富士山であった。
しかし、これで今日の幸運は決まったも同然だった。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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