2023年05月31日(水曜日)
05.31.これからLABO新店ラッシュ始まる。まず「LABO武蔵村山店」
今日は5月の最終日ですが、本社会議室では
KeePer LABOの新店「LABO武蔵村山店」と「LABO各務原店」の
合同キックオフミーティングが開かれました。
これから何か月かの間、毎月、複数の新店オープンラッシュが始まります。
今日は帰宅が夜遅く
もうすぐ日付が変わってしまうので、
あわてて一店舗分「LABO武蔵村山店」だけ、アップします。
まず、開示に使われたこの店舗の新店コンセプトから転載。
「キーパーラボ 武蔵村山店」開店のお知らせ
KeePer技研株式会社(本社:愛知県大府市/代表取締役社長 賀来 聡介)は、東京都武蔵村山市にキーパーラボ 武蔵村山店を2023年6月9日(金)に新規出店をいたします。
コンセプト
武蔵村山店は、主要幹線道路である新青梅街道に面した店舗で、視認性も良く、住宅街に囲まれた濃いマーケットに加えて、小平店・昭島店とのドミナントも形成でき、早い認知が期待できそうです。東京都内11店舗目、キーパーLABOとしては、115店舗目となります。
店舗は住宅関連企業の事務所を増改装し、西東京エリアで最大となる7台分コーティングブースと、洗い場・仕上げ場3台分の大型店舗で、広めのゲストルームに加えて、コーティングブース内にも、お客様と一緒にお車を見ながら会話のできるボックス席も用意しています。
今日のキックオフミーティングに出席のオープニングメンバー
はたやまさん、しんどうくん、ときわくん、
かわかみくん、からさわチーフ、やました店長。
三津原マネージャー、鈴置専務、賀来社長。
・・と、・・と、野崎部長
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2023年05月31日(水曜日)
05.30.広報、PRは、伝えたがり、言いたがり、喋りたがりで
KeePer技研㈱が会社として
KeePerに関わる事を世の中に対して伝えることを、
広報と言い、パブリックリレーション=PRと言います。
宣伝とPR.と広告、広報と、たぶん少しずつ意味が違うのかもしれませんが、
同じようなものです。
伝えることは正しい言葉で、正しく伝わるように伝える。
しかし、
伝えていい情報と伝えたくない情報を選別して伝えていたら、
それは伝える側にとって
都合の良い情報だけを伝えて、
都合の悪い情報は伝えないということになって、
伝えられる側にとっては、
とても信じられない作為的な情報「プロパガンダ」ということになる。
自分たちのやっていることが
自分たちの提供している物、事が、
世の中の人達から「買う」「サービス(施工)を受ける。」という行為で、
キチン支持されていて、
働く者と関連の者たちの生業と生活が成り立っているのなら、
それにかかわる情報は、伝えたくないこと、伝えたいことなどと選別せず、
正しく、歪めず、粉飾せず、矮小せず、誇張せずに伝えた方がいい。
そのまま、何でも、素早く伝えた方がいい。
間違っても、広報、PRを「プロパガンダ」と混同してはならない。
ただし、その情報によって何らかの影響を与える相手、関係者がいるとしたら、その相手の都合には配慮する義務はあり、相手の同意は必ず必要だが、
そうでなければ、
自分の都合で選別などせず、そのまま、何でも、素早く伝えた方がいい。
そうもせず、
情報を、
自分の都合で選別して伝えることによって
自分が”得”をしようとすれば、
その人の発信する情報は誰からも信用されず、
一度失った信用は、そう簡単には帰ってこない。致命的な大損だ。
正しくそのまま伝えたがり、言いたがり、喋りたがりが
意外と、みんなから信用されて、結局、一番得をすることになる。
何でも言いたがり、喋りたがりが、勝ちなのです。きっと、
今日のミーティングで
「言いたがり、喋りたがり」の権化のような人の写真を撮ったのですが、
何故かうまく撮れていなくて、残念です。
・・・・・・
・・・・・・・・・
遅れましたが、送れました。
言いたがり、喋りたがり、根本さんです。
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2023年05月29日(月曜日)
05.29.動物園の「飼育員」を英語(独語)で「keeper」と言うそうです。
私は高校から大学にかけて
動物園の飼育員になりたいと真剣に思っていた時期がありました。
畑正憲・ムツゴロウさんの動物王国シリーズなどをいっぱい読んだ影響です。
一度、名古屋の東山動物園に問い合わせたことがあったのですが、
園の係の人に「畜産科」とか「獣医科」を卒業している必要がある。と言われ、
動物園の飼育係は諦めた記憶があります。
あれから、そのことについてはもうすっかり忘れていました。
でも、すべての生き物は、
少なくとも地球上において私達、人類と完全に同じ意味と、
同じ重さの価値を持っていているという価値観を持ち続けていました。
「ダーウィンの秘密」とか「ワイルドライフ」とか大好きでよく見ていました。
しかしそれはそれとして、
仕事は仕事として頑張ってきた訳ですが、
縁あって、理由があって、この度ドイツミュンヘン動物園に行って、
動物飼育スタイルの一つの理想形を見てきたのです。
その時、オプションでベテランの飼育員の方からのガイドを受けたのですが、
その話がまたものすごく面白く有頂天になって聞いたのですが、
その話の中で「・・・キーパー・・・・」と、
キーパーという単語がしょっちゅう出てくるのです。
通訳してくれた山下さんによると、
「キーパー」とは自分達「飼育員」の事を言っているのだそうです。
本当にびっくりしました。
私は、若い時に飼育員になりたいと思って、諦めて、
今の仕事を頑張っている間に、
無意識に、自分達のサービスの名前を「キーパー(飼育員)」にしていたのです。
なんともはや、鳥肌が立つような驚きです、
ますます「KeePer」の名前が好きになりました。
ドイツの動物園は、子供の為の教育機関の一環なんて言わずに
すべての人が、動物たちと共にいることを喜ぶ場なのでしょう。
ピールも飲めるし、当たり前のように食事もできます。
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2023年05月28日(日曜日)
05.28.AIが人類を滅ぼす訳ではないが、人は死にAIは生き残るか。
私は22年前の、2001年に
カティープン スピルバーグ監督作品「A.I.」という映画を見ました。
ちょうど、
私がこのブログ「谷 好通コラム」を書き始めたその年です。
この映画をどこで、誰と見たのかはまったく憶えていませんが、
映画好きの私が生涯のうちで一番感動したと断言できる素晴らしい映画で、
現実的な未来を見事に言い当てていて、しかも、その上で、
人類滅亡から2000年後、
人類を超越した生物ともいえる透明の軟体ロボットが、
何千mも深い氷の中から
2000年前の「人類を”知っている“<
最後の人型A.I.」を発掘して、
その記憶を読み取る中で
母とロボットの愛に感動するという哲学的な結末は、
不条理ではありつつ涙なしでは見られなかった。
そんな22年前の映画「A.I.」を思い出させられたのは
たまたま読んだ記事の文章があったのです。
その文章に私はすごく抵抗もありつつ、納得せざるを得ず
考えさせられる所が多いので解説などせず、あえて、そのまま載せたい。
東洋経済新聞の記事にあった。
題名 「技術革新はすばらしい」と考えるのは大間違いだ。
小幡 績 :慶應義塾大学大学院教授
前段、略
かつての娯楽は小説だった。
それが漫画になり、アニメになり、ゲームになる。
想像力を働かせる部分が減り続ける。
直接的に五感に訴えるから、思考ではなく反射だ。
だから、われわれの思考力は明らかに衰退し続けているのだ。
この結果、
コミュニケーション能力も低下し続けている。
想像力を働かせる部分が減り続けている。
(病的な妄想は、想像力ではなく、反射に基づく幻覚に近い)
その結果、
相手の気持ちがわからない、相手の立場に立てない。
だから、怖すぎてどうしていいかわからないから、空気を読む。
空気を読むとは、想像力ではなく、周りが自分に関心を持たないように
(反射的な意味での)、目立たないように、波風を立てないことなのだ。
要は、音を立てないで、反射的な反応による攻撃を避けるために、
死んだふりをしているだけなのだ。
この結果、コミュニケーションはゼロになる。
誰も、他人の気持ちがわからなくなっている。
この行き着く先は、自分の気持ちもわからなくなってくるということだ。
昨今、若者のボキャブラリー不足が指摘されることがある。
なんでも「神」になってしまう。
しかし、これは語彙力の問題ではなく、感情そのものの問題である。
感覚が鈍くなっているために、出来の悪い原始的なAIのように、
単純なパターン認識しかできず、
自分で自分の感情がわからないから、数個のパターンに当てはめる。
そして、これまでにない自分の心の動きを発見すると、戸惑い、
それにふたをして、既存のパターンに逃げ込むか、パニックになってしまう。
しかし、これは現在の日本の若者に限った話ではない。
人類の誕生から、いや人類がある程度「進歩」してからは、
人類は動物としての感覚、感性、能力をずっと失い続けているのだ。
言語の発明は「人類が人類たるゆえん」とされることが多い。
だがその結果、
言語に頼らなくては人間同士で意思疎通ができなくなってしまった。
言葉にしないとわからなくなってしまったのである。
AIによって思考を放棄、自ら滅亡の道を歩む
だから、動物の集団としては極めて能力の低い集団になってしまった。
協力ということも、動物たちは本能的にできるのに、
人類は契約やインセンティブに基づかないと行えなくなってしまった。
道具の発明により素手や素足の能力は衰え、
車が発達したことにより脚力は落ち、
機械の発明により職人の技術レベルは低下してきた。
コンピューターの発達により、
ブラックボックスとつき合うことに危機感を抱かなくなり、
1人では何もできないことになってしまった。
そして、いよいよAIによって、
思考することを自ら放棄することによる快楽と利便性に身を委ね、
自ら滅亡の道を歩むことに嬉々として群がっている。
カーボンプレートなしではマラソンを走れなくなったわれわれは、
裸足で金メダルをとったアベベ・ビキラ選手から100年も経たない間に、
動物としての能力を誰がどう見ても大きく低下させているのであり、
今や地球上で最も弱い動物になっているのである。
しかも、その弱い人間という動物が、
ほかのすべての生物を支配している(という錯覚に陥っている)ため、
ほかの生物の環境を壊し、自らも持続不可能になろうとしている。
新種の感染症の頻繁な流行も、他の生物の環境を破壊したことから来ているが、
これを自ら止めることはできない。
技術「進歩」を止めることができないように、膨張を止めることはできない。
これだけ繰り返せば誰の目にも明白だろうが、
技術進歩が善である理由はどこにもない。
良い技術進歩もあれば、悪い技術進歩もある。
そしてそれは、良いものを残して、悪いものを排除するということはできない。
なぜなら、
その技術進歩は目先の欲望や利益により求められて起きているものであり、
それを避けるという行動は人類にはできないからだ。
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2023年05月27日(土曜日)
05.27.古い統一感のある街並みと、日本のバラバラの街並み。
ヨーロッパの街は、
何百年前からの石の建物が当たり前のように街を占めている。
新しい近代的な建材とデザインの現代建物もあることはあるが、
あくまでも古い石の建物の存在を邪魔しない様なデザインと地味な色で、
街の雰囲気の基調は、あくまでも石の建物が主役のしっとりした街並みだ。
それも観光の為に古い街並みを残す文化的な配慮がされた街ではなく、
どこもかしこも、みんなそんな街で、
古い石の建物が主役であり特別な事情でもない限り壊される事はないという。
しかし、その内装はと設備は、何回ものリフレッシュが施されて、
最新の生活の便利さが実現されている。
だから、外観から与えられるイメージより現代的な生活がそこにはある。
実際に石造りのホテルに何度も泊まったが、
近代的なホテルと何の遜色ない装備と快適な環境で不満を持ったことはない。
街の古い建物は、その高さ、屋根の色や、壁の色、窓の形、質感までが
統一性を持っていて、きちんと整理整頓された美しさがある。
その姿は、建設に関わる細かい規制とスタンダードがあって、
その細かさと規制の強さは、
日本で一番厳しい古い京都の部分の街並み規制の比ではないという。
ガチガチなのでしょう。
それを支えているのが「アベニュー」という「教会」への国家権力の不可侵。
ヨーロッパ文化に圧倒的な影響を持つキリスト教の教会に対しては、
国家権力といえども不可侵の文化があって、
その価値観が「個人の家」に対してもあって、
街並みの中での家の統一性には厳格でも、家の中は個人の自由みたいだ。
それでも、古い趣を大切にしている。
昔からずっと続く価値観を、とても大切にしている文化が根強い。
対して日本の文化は、街の景観というものには比較的無関心で、
それぞれの家は、家の高さとか建蔽率、用途などの規制はあっても、
その形、色はそれぞれの自由で、よほど奇抜な家でも規制はかからない。
コスパが高い、狭い面積で出来るだけ広い居住空間を突き詰めた合理的な家だ。
それでいて、周りの雰囲気から外れていない程度のかっこいい今風の外観。
かといってあまりにも人より良くって目立つのも嫌だ。
それぞれの文化の違いが、
まるで違う街並みの様子でよくわかる。
でも、日本は街よりも、
新幹線の中から富士山を見た瞬間に日本の帰ってきた瞬間に「ニッポンだ。」と一番感じる。
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