2024年02月29日(木曜日)
02.29. 32話. 2000年以降、中国には70回以上通い、その上でやめた。
前話までで快洗隊からKeePer LABOの時代まで行っていしまいましたが、日本でのそんな歴史と同時にこの時代は海外にも活発に出かけました。
海外での活動はまず中国です。事の発端は、日本に留学していたある台湾人が、日本のガソリンスタンド(KeePer PRO SHOP )て働いていて、KeePerと出会い、その彼が上海から来ていた女性と結婚するにあたってKeePerを中国に持って行きたいという話があったのです。それと同時に私は、洗車用に特別に吸水力の強いタオルを安く造りたいと計画していたので、2つの話を同時に進める為に上海に通うようになりました。上海では私と同じ歳に独立して上海郊外に工場を持った若き経営者と知り合い。何度も上海に通って苦労して洗車専用タオル「快洗Taoる」を作り上げました。その製品は何年か後には、年に数百万枚もの出荷数のヒット商品に育っています。
洗車専用タオルの開発と同時に、KeePer製品の普及にも努力して、上海に行く度に日本でやっていたようなKeePer技術研修スクールのような研修活動=販売活動を繰り返し、上海、蘇州、杭州、西安、北京、大連、広州、南昌、・・名前も憶えていないような街までいっぱいの何十という都市を飛行機や車・バスで巡り活動しましたがいくら技術研修しても、KeePerが根付くことはありませんでした。
研修しても、研修生はその技術を使ってKeePerを施工することは無かったのです。ただ、技術を習った=技術を取った=盗ったみたいに、研修生が「自分は日本の技術を学んだ人間だ。」と、自分を違う会社に売り込んでしまうので、二回目に同じ所に研修に行っても一回目にいた人はほとんどいず、KeePerを使うまでに技術が進歩しなかったのです。
それで結局、上海に戻って、上海に腰を据えて活動することにし、地元の有力者という人と上海の「快洗隊」を開店するまでになったのです。
その上海の快洗隊も、その有力者が失脚して1年も経たずに閉店してしまいました。
一時はアイ・タック技研の事務所を上海のマンションの中に設けて日本からの社員も在籍したのですが、結局、何も実質的に進捗せず、ある日、上海への出張中ホテルで「もうやめよう」と、ふと、強く思って、もう中国には行かないことを決意したのです。あれ以来、順次、中国製の製品を輸入することも減らしてきて、今は、中国に輸出する事も無く、中国から輸入することも無くなっています。
70回以上も行って、上海と中国各地で見の思い出は山ほどありますが、写真を見て思い出すだけで、明確に憶えていることは、
上海蟹の名所である「陽澄湖」(上海から約1時間半、北西の方向にある小さな湖だ)で食べた脳天に突き上がるような上海蟹のミソの強烈な美味さだ。
雷魚の煮込みも、みんなは食べられないと言ったが、私は美味かった。
発酵した豆腐を揚げた「臭豆腐」は、みんなは臭くてとても食べられないというが、私は大好きだった。私の味覚は中国でおかしくなってしまったのかもしれない。
上海 !
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