谷 好通コラム

2024年11月24日(日曜日)

11.24. なかなか引けないのは、自分の「執着」だけですよ。

今朝起きたらちょっと熱っぽく感じたので、
体温を計ってみたら37.5℃あった。
久し振りに熱が出たのです。
昨晩から鼻水がちょっと出るなぁと思っていたが、
またコロナかな?と思って、早速、抗原検査をやったら、
コロナもインフルエンザもナシと出た。
昼頃には熱は下がり午後4時の今、36.3℃だった。
ちょっとした普通の鼻カゼだったらしい。

 

昔は、こんな事はしょっちゅうで、
今ならとんでもないが、少々の熱だったら会社も学校も休まなかった。

 

私は2度も新型コロナの陽性になっている。
1度目は、72才、糖尿病など重症リスクが高いという事でICUに直行したが発熱らしい発熱も無く、だだっ広い古~い個室で1週間隔離された。
2度目は自宅で、単なるお休みの日の様な自宅隔離だった。
この時はまったく症状はなかったのだが、
翌日、大勢の人の前で話をする予定があったので、
念の為にと検査して見て、たまたま陽性であっただけだったのです。
症状は全く無かったので、あの予定が無ければ自分で検査などしなかった。
その結果、多くの人に新型コロナをうつしたのかもしれない。

 

というよりも。多くの人がもう何度新型コロナに感染していて、
ほとんどの人が症状もあまり出なくなっているのかもしれません。
誰も「もう、大丈夫」とは言えませんが、
世の中の空気はもうとっくに「大丈夫」ですね。

 

さぁ、明日はどうしましょう。
東京トレセンで、東日本の全店長が集まる12月キックオフミーティングです。
たとえコロナに感染していても症状など出ないような元気な若者たちが、
50人以上も集まる会です。
そう思うとちょっと考えますが、
明日の朝起きて自分が平熱ならば、行かないという選択はありません。

 

私は、若い時は、
いつも実際の年齢よりも上に見られましたが、
年を取ってからは、
むしろ若目に見られるようになりました。
その方が喜ぶような年齢になったという事でしょうが、悪い気はしません。

 

とはいうものの、
もう現役を引くべき年齢を越している事は十分に承知で、
先日お食事をご一緒させていただいたCoCo一番の宗次さんのいわく、
「なかなか引けないのは、自分の「執着」だけですよ。」と。
ご自分は、わずか52才で後進に見事に譲られた方なので、説得力があります。

 

しかし、ずっと自分で成長させ続けてきた会社なので、
何年後かの新たな成長の可能性を見出してくると、そこまで行きたくなります。

 

自分で見出した可能性だから、
自分でないと引っ張って行けないように思えて、
というより、今のままの状態で引いたら、そこに行けないような気がして、
もっと、そこまでは頑張ろうという気になります。
しかし、
宗次氏はそれを「執着」とおっしゃっているのでしょうね。
それが、永遠に続く「執着」なのだと。

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2024年11月24日(日曜日)

11.24. 私は支配者になりたくないし、それがたまたま強味になった。

私は人に支配されたくないし、
人を支配したいとも思わない。
私は自分の価値観で考えて、自分の意志に基づいて行動したい。
こんなことは別に変ったことではないし、ほとんどの人がそう思っている筈だ。

 

中国やロシア、北朝鮮などのニュースを見ていると、
独裁者が人を抑圧し支配するのが当たり前になっていて、
聞いているだけでも強い嫌悪感を持つ。
独裁の権力者は、自分以外の人が、自分に屈して服従するのを当たり前と思い、
民衆が作り笑いをして自分を讃える姿を良しとし
そうすることが自分の存在を確かめる事にもなって悦に入る。

 

人が苦しんでいればいるほど、
自分とその一族が楽をして快楽を堪能していることを快感に思い、
人が惨めであればあるだけ、
自分達の贅沢を自慢に嬉しく思うようだ、
一言で言えば「最低」だ。
ひょっとして死後の世界があるならば、こういう人は、きっと地獄で、
自分が苦しめた人達の100倍も、1000倍も、
閻魔様に苦しめられる筈だ。
封建時代からの仏教はそう教える事で、民衆の苦しみを癒したのかもしれない。
そう考えると民衆の味方である仏教も、
ある意味、権力者の、民衆を治める為の道具になっていたのかもしれない。

 

色んなことを考えるが、
いずれにしても、人が人を抑圧したり、自由を奪う事は、
自分がそれをされるのは嫌なので、その反対もしない。
もっと言えば、
仕事をやらされるのは嫌なので、だから仕事をやらせる事もしない。

 

KeePerを施工したお客様は、必ずと言っていいほど喜んでくれるので、
そのお客様の喜びを楽しみに仕事が出来たら、
きっと仕事もすごく楽しいだろうなと思う。
やらされて仕方なくイヤイヤ体を動かす仕事でなく、
お客様が喜んでくれることを楽しみに仕事が出来たら、
本当に仕事が楽しいだろうと思うから、
お客様が必ず喜んでくれるように「施工技術」を妥協なく叩き込む。
べんちゃらも言わないし、愛想笑いもしないが、
お客様は、
自分の要望をしっかり聞いてくれて、
自分の車が、確かな技術でしっかりとキレイにされることを喜ぶ。

それを、KeePerというサービスを受けに来たお客様は歓迎してくれる。
だから、お客様のリピート率も高く、低着率も高い。
サービス業は、やらされて仕事をするものでなく、
お客様の喜びを楽しみにして仕事をすれば成功するものなのだろう。
美容院がそうであるように。病院もそうであるように。

 

私はこの会社を作った当初は、自分が偉くなったような気になって、
社員に対して横暴であり、服従を求めるような所があったが、
私のそのような言動によって
連れ合いに無理をさせ体を壊させた事がきっかけで
その非情さを教えられ、我が愚かさを思い知らされた。
あの時を境に「人を使う」ということをやめたような気がする。
表面的にはそんなに変わらないが根っこの部分が変った。
社員の一人一人が自分と同じように思えて、
自分の方が偉いとか優秀などとまったく思わなくなった。
ここの部分は、言葉で説明しても解かってもらえないところだが、
逆に言えば、私は昔から足が悪くてあまり走れずびっこを引いていたが、
それは単なる個性であって、自分が劣っている要素だとは思ってこなかった。
その裏返しのようなものなのかもしれない。
あるいは、
私はどんなに高い学歴を持った人でも、
全く優秀だとは思わず勉強が好きな人だったんだと思う。
あるいは、
どんなに立派な地位にいらっしゃる人でも、偉い人だとは思わない。
たとえ自分が興した会社が大きないい会社になっても、
自分を偉いなんてこれっぽっちも思わないし、
会社のオーナーらしく見られたいとも思わない。
カッコつける訳でもなく、本当にそう思う。
そんなことはどうでもいいことだ。

 

社員スタッフが「やらされ感」「使われいる感」を持っていない事は、
サービス業においては、実は重要なことで、
サービスを受ける側、
つまりお客様としては、
スタッフがやらされて、イヤイヤやっているサービスなんか受けたくない。
それが接客業であれ、
コーティング作業であれ同じだ。
特にコーティング作業の場合は、
イヤイヤやられたりしたら、作業がいい加減になって、
質のいいコーティングが出来るとは思えない。

 

サービス業においては、
サービススタッフが「やらされてイヤイヤやっている」ことが禁物で、
その為にはスタッフが「使われていない」「やらされていない」ことが肝心で、
当然、その為には
社長や上司がスタッフを「使う」「やらせる」ことをしないことが必要になる。

 

技術をしっかり教えて、何台も何台も現場で真剣にこなして、
先輩と一緒にキチンとした仕事をして、
お客様に喜んでもらうことを体験して、
その楽しさと難しさを憶えて、
自分も、自分の仕事でお客様に喜んでもらう事を身に着けて、実践する。
技術も高まり、
今度は後輩に技術を教えて、しっかりやらせて!
後輩と一緒にキチンとした仕事をして、
お客様に喜んでもらうことを共に体験していく。

 

サービス業の定番です。
会社のオーナーや、社長や上司が、
スタッフを「使う」「やらせる」ということをしないことが始まりで、
たまたま私の場合は
支配者になりたくないし、それがたまたま強味になったということです。

 

私の尊敬するカレーハウスCoCo一番屋の創始者である宗次氏に食事を誘われて、

ご一緒させていただいた。

この方は私のお手本でもあります。

 

一昨日、西日本の12月キックオフミーティングのついでに「女子会」で、

飲んだそうです。平和を感じます。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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