2022年07月17日(日曜日)
07,17,異種の動物を殺したら、必ず食うことを義務付けると
痛ましいニュースを見た。
沖縄の久米島でおよそ30匹のウミガメが瀕死の状態で浜にあったという。
中にはナイフで首を切られているウミガメもあったという。
その後、ウミガメたちはすべて死んだとも書いてあった。
漁網にウミガメが絡み、網が破れてしまうために
ウミガメを外すときに傷つけ放置したらしい。
沖縄ではウミガメは昔から食用だったので、
捕ったウミガメは食用として売れたらしいが、
自然保護の観点でウミガメは保護動物となり、
今では、ウミガメを食用として獲ったり売ったりすることが禁止されている。
だから、
網に絡まったウミガメを外して傷ついても放置しておくしかなかったらしい。
地元の漁業関係者は、
ウミガメは近年ずっと保護されてきたので、
今ではすっかり数が増えて”害獣”にすらなっているという。
だから、
「ウミガメを殺すなと言うなら、
ウミガメのせいで破れた漁網を、国に補償してもらいたい。
それがだめなら、
漁業従事者の生活を守る為にも、
今までと同じようにウミガメを傷つけてでも網から外すしかない。」という。
あんな可愛いウミガメを殺しておいて、
なんてひどいことを言うのだろうというのが、普通の人の感想だろう。
さらに、ウミガメは世界にたった7種しかいない動物であるという。
ということは、1~2億年前の種の出現から以来ほとんど進化せずに、
つまり種の分化をせずに生き残っている極めて貴重な種であるのだから、
そんな貴重なウミガメを食べるなんて何と野蛮な文化の人々なのだ。
と、言われるのかもしれない。
しかし沖縄の人からすれば、ウミガメはいつも生活に身近な海にいて、
言って見れば、よくある田舎でのニワトリのような存在だった。
いつもその辺にいて、ちょくちょく獲ってきて、
いつも普通に食べてきた生き物。
ニワトリという「家畜」と、ウミガメという「希少な野生動物」を
一緒にしてはいけないことはよく分かっているが、
食う人間からすれば、まったく同じ感覚だろうし、
食われる方も、
ニワトリは、自分はニワトリなのだから食われても仕方がない
とは思っていないだろうし、
ウミガメは、自分は貴重なウミガメなのだから、食われることは間違っている。
とも思っていないだろう。
動物は。食べる為に異種の動物を殺す事は異常な事でも何でもなく、
動物が異種の動物を食べることは、
動物が植物を食べる事と同じように極めて普通の事だ。
だから人間は、
ニワトリと豚とか、牛とかを食べる時も罪の意識を全く感じない。
彼ら家畜は、特に豚・牛などは脳みそがデカい事を見ても知能は極めて高い。
犬、猫や馬などと比べてもまったく遜色がないほど高い。
それでも、私達は豚・牛を食べる時、
高い知能を持った彼らの命を食べているという認識はない。
「肉」という食べ物を食べているだけである。
命という事、生きているという事は、
動物も植物も含めて他種の命を”食って”、
自らの血と肉とし、力(エネルギー)としている”事”なのだろうか。
だから、
人間も、他種の動植物の命を、食うために殺すのは自然の摂理にかなっていて、
食べないのに、他のあらゆる動機では、
何を殺すにしても、殺す事はすべて許されないのでないか。
殺したら、それを食う事(又は食わせる事)は、殺した者の義務でもある。
それ以外では、殺す事は許されない。
そういう観点で言えば、
ウミガメが魚網に絡んだので、それを外すためにウミガメを傷つけ、
放置して死なせてしまったのは、間違っているのであり、
それを自分達であったにしろ、誰であったにしても、
「食べてしまっていれば、自然の摂理に叶っていた」のではないだろうか。
法律(条令)違反で捕まったとしても、
自然の摂理としては正しかったのではないか。
生き物を獲って、殺したら、そのすべてを食う事。
必ずすべてを食って、自らの身と肉にして、エネルギーにすること。
それ以外には、自らの危険を逃れる為を除いて、絶対に殺さない。
これを実行すると、自然は見事に保全されて絶滅種も出ず、
パーフェクトに持続し、残せると思うのです。
あくまでも、CO2の増加を防げればの話ですが。
子ミミは今日も窓の外の小鳥を「食べたいっ!」と正しく思いながら、見ています。
子ミミは小鳥を捕ることが出来たら、必ず、食うでしょう。
だから、小ミミは正しいのです。
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2022年07月17日(日曜日)
07.17..久しぶりの強烈な眠気があって思ったこと
昨日書いたこのコーナーのコラムは、
終わりの方の文章が意味不明の終わり方になっている。
午後11時半ごろ、強烈に眠たくなってきて朦朧としたまま書いたからだ。
私は寝付きは非常に良い方で、眠れずに困るようなことはごく稀にしかないが、
夜12時前にはほとんど寝たことがない。
夜12時半就寝で朝6時起床が私の標準だが、
昨日は11時半ごろに強烈に眠くなってきて、
書いていたコラムをとりあえず終わって、そのままバタンと寝てしまった。
自分ではそれほど自覚は無いのだが、疲れていたのだろうか。
珍しい事です。
70才を越してから、続けて仕事ができる時間が短くなった。
持久力が徐々に落ちてくるのは当然だが、
しかし自分でコントロールしていければまだ無理は感じない。
そんなことより、
私の場合は食べ過ぎ、飲みすぎの方が問題で、
二年前まで95kgあった体重を、76kgまで落としてから手術に向かい
見事に成功してから無茶苦茶元気になって
猛烈に食事とお酒がうまくなり、つい食べ過ぎ、飲み過ぎてしまっている。
ここのところは炭水化物の抑制で体重増加は止まっているが
今朝の体重は84.8kg、半分まで戻ってしまった。
少し落とさなくては、と思って炭水化物を断つと、
明らかにエネルギーが無くなって、
疲れが早くなって仕事にならないので、やはりコントロールが必要だ。
しかし思うに、
引退というものはこういう状態が進んで、自然に出来るものなんだと思った。
体力が落ちてくると、
実は一番体力を使っていた「出張」が減って、
大切なお客様へのご挨拶や、交渉で対面が必要な用件からは自然に引くことになり、
店舗を廻って現場の子たちと直接会って話をしていたことも減って、
すっかり私は知らない子が増えた。
しかし、その分、社長や専務、部長、マネージャー達が
私より遥かに濃密に、同じ目線を持ったコミュニケーションを持ってくれている。
私も店舗に行って、みんなに会うのは楽しいし大好きで羨ましいので、
あくまでもマイペースだが、
コソッと、気ままにいろんな店舗に行って見たいとは思っている。
体力が落ちてくるとマイペースでしか動けないので、
皆もそんなペースでしかあてにして来ないので、
私はあくまでも堂々とマイペースで動ける。
そして重い意味ではなく「面倒くさいな。」を連発して、
やっていた仕事を気軽に手放すと、誰かがやってくれていて(主に社長と専務)、
自然に仕事が移って行く。
権限委譲とは一つ一つの事について言えば、
何気なく、ちょっとずつ「楽をする」ことなのかも知れない。
別に楽をしたい訳でもなく、楽をするのが得だと思っている訳でもないが、
面倒臭いので、これでいいのです。
世の中には、coco壱番屋の宗次さんのように
スパッと、信頼できる後継者に全職責を潔く譲る立派な経営者もいるが、
私の場合は大好きな仕事を離れるのが寂しくて、つまらなくて、
「面倒くさいな」と言いながらも、未練がましく70才を過ぎても
手術がものすごく上手く行って元気になったことをいい事にして、
しつこく仕事をしている。
私としては、楽しくってしょうがないのです。
でも、
こうしているうちに、
どうせ、体のどこかがどうにかなって、
私がまた入院なんてしているうちに
否が応でも、完全な権限委譲と事業の承継なんて出来てしまうものです。
きっとそうです。
無理して形を付けることなく、「面倒くさいな」と言いながら、
いっぱい仲間を増やして、やりたいだけバリバリと仕事をして、
好きなだけ会社を成長させて、
皆と、毎日、必死になって仕事をやって、
私は「面倒くさいな」と言っていれば、その内に自然に引退になります。
きっとそうです。
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2022年07月16日(土曜日)
07.16. 昔は、雨が降る日は閑古鳥が鳴いていたが
昔、KeePer LABOがまだ「快洗隊」であった頃は、
雨が降り続いたりすると、洗ってもすぐにまた雨で汚れてしまうので
洗車をしに来る人はほぼゼロ人で、
だから、昔は洗車の延長でもあったKeePer(今のピュアキーパー)も、
ほとんどお客様が無く、店舗はまさしく閑古鳥が鳴いている状態だった。
ところが様子が変わってきたのは、
ダイヤモンドキーパーやクリスタルキーパーなどガラス系のコーティングが
KeePerの主力商品になってきた頃から、
これらのKeePerコーティングを掛けておけば
雨が降るとかえってキレイになるぐらいの、面白い傾向があったのと、
店が快洗隊からKeePer LABOになって、
冷暖房完備のコーティングブースが、どの店舗にも装備されるようになって
雨天時でも、全く晴れの日と変わらなくコーティング施工が出来るようになり、
多くは「予約」で行われるKeePerコーティングは、
雨が降りでも予約キャンセルされることなく、
ほとんどのお客様が来てくれて、
雨降りでも晴れの日の90%ぐらいにしか落ちない。
又は、ほとんど変わらない。
しかし逆に「手洗い洗車」など
技術的に簡単であるがゆえに、付加価値の比較的低い商品(洗車)である商品は
雨が降ると極端に減り、ほとんど無くなるので、
相対的に店舗全体の作業効率は上がって、
販売実績を上げやすくなるので、
こんな時にこそ「人時生産性」も上げようと
雨が降りそうになると、スタッフを帰らせてしまう悪習が残っていた。
忙しい時には残業で、暇で手が空くと思ったら予定外にでも帰らされるのは
される側としては、たまったものではないのだろう。
そんなことをしてまで人時生産性は上げることに、私達は意味を持たない。
人時生産性の数字の本来は、
繁忙期の人不足の危険警報を察知する為の道具で、
帯の信号が出るようになってきても
あとは即応で、もっとできるように採用に力を入れていくしかない。
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2022年07月15日(金曜日)
07.15.一世一代の男の晴れ姿を見に行ってきました。
一昨日は福岡市にいました。
私の大恩人であり尊敬する人が、
博多祇園山笠の一番山に乗るというので、みんなで見に行ったのです。
山笠のしかも一番山に乗るということは、
どんなにすごいことなのか、
ものすごい名誉なことで博多の男の最高の夢であることを、私は知らなかった。
地元出身の人に聞くと、とんでもなく名誉なことで
福岡市の市長とか、地元の電力会社の会長とか、
そういうレベルの人が常連で、県外の男が乗るのは稀だという。
よほどの地元に対し、皆が認めるような大きな貢献があってのことなのだろう。
いずれにしても、そんな姿は見ようと思って見られるものでもなく、
嬉々として博多まで皆で見に行ったのです。
博多祇園山笠は、もう10年以上も前、
出張のついでに見たことがあるが、
博多のメインロードをふんどし姿の男が、
何百人、何千人もケツを出して
「オッショイ、オッショイ‥」と群れになっているところを
列の最後に重そうな山笠(1t近くあるらしい)を必死になって走らせていて、
男のケツは決して美しくはないが、とにかく熱気がすごかった記憶があった。
地元の人に聞くと、あれは「追い山笠(やま)」と言って、
真剣にタイムを競う最後の真剣勝負の時だったらしく、
華やかさより、気迫と担ぎ手の必至な形相だけが印象に強いが、
一昨日、皆と一緒に見たのは「追い山笠馴らし」と言って、
真剣勝負前の練習の一環でもあり、
地元の有力者が山笠に乗りこんで担ぎ手に檄を飛ばす役を担う。
真剣勝負の時は山笠が軽くなければならないので乗り手はいないので、
「追い山山笠馴らし」の時が、ゆっくりと全部見られて
乗り手もいて、一番華やかで、観光客もこの時が一番多いらしい。
博多祇園山笠は、博多の祇園と言われる地域の町内が、
町内ごとに山笠を持っていて、「中州流れ」とか「千代流れ」とか
町内の名前を付けて、
一つの町内にこんなにいるのかと思うほどの男が、
老若の男だけでなく、手を引かれるほどの子供までが、
全員”ふんどし姿”、ケツを丸出しでまったく恥ずかしそうもせずに、
「オッショイ、オッショイ‥」と、掛け声をかけながらちょっとだけ速足で、
露払いの様に闊歩して、最後から20人ぐらいに担がれた山笠がやってくる。
最初にぞろぞろと速足で歩いてくるふんどし男たちは、
子供と、若くて中年、多くは初老、本格的な爺さんも混じり、
その数はびっくりするほどいるが
若者はいないのだなぁ、と思っていたら、
最後にやって来た「山笠」を担いでいるのは、バリバリの若者たちで、
みんな必死の形相で、山笠を担いで(がされて?)走っていた(ひきずっていた?)。
あれは大変です。本当に大変です。
それでも、博多のこの辺の男たちは「1年を山笠が楽しみで生きている。」
と聞いたが、一年に一度であろうと、
地元の人間が祭りに団結して一つの目標を持てるという事は本当にすごい。
私達の目的であった「一世一代の男の晴れ姿」は、立派であった。
超カッコ良かった。
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2022年07月14日(木曜日)
07.14.ニコンが一眼レフカメラの開発を停止するそうだ
Yahoo!ニュースに「ニコンが一眼レフカメラの開発を停止」と出でいた。
私は学生の頃に「写真部」であったことがあり、カメラは好きだった。
あの頃、フィルムは銀塩であり
カメラの最高峰と言えばペンタブリズムを使った一眼レフで、
メーカーはダントツで「NIKON」。
世界中のプロ報道カメラマンが、
当然のように一眼レフの上級機である「NIKON F」を使っていた。
ドイツにはLEICAという名器もあったが、
繊細なLEICAに比べて「NIKON F」の方が圧倒的にタフで
使いやすく付属機器や交換レンズ類が充実していた「NIKON F」が勝っていた。
私も社会人になって何回か目の賞与を貰った時、
ワクワクしながらNIKONの一眼レフの廉価版のカメラを買った。
交換レンズも一番お得そうな「100mm~300mm」を次の賞与で買った。
(今でも存在している。)
その頃のCANNONの一眼レフカメラは女性向けに力を入れていた
だから、プロのNIKONに対して
CANNONは初心者向けのような印象があったのです。
私が社会人になって、
その後、起業して仕事に夢中になっている間に、
世の中が色んな面で進化し、変化して、
自分が時代遅れになっている面が多々出ている事に気が付いていた。
その内の一つが一眼レフの世界で、
フィルムがなくなってデジタルになったこともあったのだろうか。
プロのカメラマンから、アマチュアのカメラマンまで、
当たり前のようにCANNONのEOSを使っている。
それに気が付いたのは10年ぐらい前だが
あのNIKONの一眼レフはどうしてしまったのだろう、
と思っていたところ
先の「ニコンが一眼レフカメラの開発を停止」のニュースを見て驚いたのです。
NIKON(日本光学)自体は巨大な立派な会社なので、
事業自体に何の揺らぎも無いのですが
一つの時代が終わったのですね。
圧倒的であったものが、時代の変化の中で主役を追われ
主役が変わって行く。
人は時間を経るごとに確実に老い、全盛期を越すと急激にその影を薄くする。
NIKONのこのNEWSに我が身を写すのは、まだ早い。・・と、思うが。
名機 NIKON F
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