谷 好通コラム

2023年12月21日(木曜日)

12.21.中部経済新聞に二か月連載で載るそうなので、まず、1/50。

中部経済新聞という中部地方のローカル経済新聞社から、

来年の9月から10月の二か月連載で、

私が書いた文章を載せるというお申し出をいただき、

私のような者にとっては大変名誉なことでしたので、喜んでお受けしました。

 

1回800~900字で、自叙伝的に、しかし書きたい事を書いていいそうなので、

一応、時間系列にして、しかし、

書きたいことを好きなだけ書いていってみようと思います。

2か月連載で50回分だとおっしゃっていたので、

たぶん、一週間に一回は定期的にお休みがあるようです。

 

もともと私はほぼ毎日、

でも、一週間に一度平均の休みで

谷 好通コラムというブログ(これ)を書いているので、

連載が始まってから書いてもいいし

今から9か月かかって、ゆっくりと

連載で書く文章50話分を分けて書けば、

文章を書く”量”自体は増えないので、お茶の子さいさいのはずなのです。

 

ひょっとして、新聞に連載で載せる分は、

先にブログに出してしまってはいけないと言われたら、(今度聞いてみます。)

その時はその時で、何とかなるでしょう。

 

では、まず最初の、第1話。(出生からポリオ、そして決闘)

——————————————————————————-
谷 好通 1/50話、

 

谷好通(72)は、1952年3月18日に愛知県大府市共和町で、地元の大きな機械製作工場勤務の谷武と、刈谷市の農家出身の谷えつの平和な家庭に生まれました。4才の時に、当時日本国中で猛威をふるっていたポリオ(脊椎性小児麻痺)に罹りましたが、とても背の小さな母が、4才にしては大きな体の私を背負って隣町の安城厚生病院に1年以上治療とリハビリに通い、そのおかげで私は左足の膝下の筋肉が無い全体に委縮しているだけで済みました。

しかし当然、小中高での徒競走、マラソンの類は常に全校のビリ。今で言えばいわゆる「かわいそうな子」でした。しかし、この時に、いわゆる”惨めさ”に対する強烈な耐性が着き、どんな事があっても平然とめげない図太さが身についたものと想像します。また、小学校2年生の時には、そのころ住んでいた名古屋市南区で伊勢湾台風に遭って死にかけましたが、九死に一生を得ました。

 

中学校に入ってからはそこそこお勉強は出来て、一年生の時には学年450人の内、一桁に入るぐらい成績だったのですが、そのせいで担任の若い先生から贔屓され、それに反発した同級生の一部から執拗にいじめられていた経験があります。ただ、その学年が終わった修了式の日、いじめの中心だったいじめっ子的同級生を階段の踊り場に呼び出し、決闘して、コテンパンにやっつけました。

その時、その同級生が血を出していたこともあって、私は先生からこっぴどく叱られ、その時から学校の先生達からの私の評判はひどいもので、いつも悪い意味で目を付けられる存在でした。しかし、その時から逆に友達はいっぱい出来て楽しい中学校生活だったような気がします。この時の経験から、今の私のいわゆる優等生ではない、良い子ではないという資質が育まれたのかもしれません。

それでも中学校までは結構勉強も出来て高校も進学校に行ったのですが、なぜかそこまで。一応進学はしたのですが、アルバイトで始めたガソリンスタンドでの仕事が面白くなって、19歳の時、その会社の社長から小さな店舗を店長として任されたのをきっかけに、学校を辞めてしまいました。

だから私の学歴は高卒です。

 

4才の時、ポリオで母に背負われて通った当時の安城更生病院。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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