谷 好通コラム

2024年02月18日(日曜日)

02.18. 18話の書き直し。実績も増員も出来、2店目用地を買った、が・

1987~90

私のバカな勘違いに気づかされた後、私の何かが変わったのでしょうか、徐々に増員が出来始めて、社員を大切にする会社らしい会社になっていった。そういたら実績も上がり、資金も出来、増員も出来てきた。この四年間は仕事も順調で資金的にも余裕があり、ちっぽけな表彰も受けて、元売りからの接待も受けて、仕事の居心地も良くて平和であり、世の中には一店舗で終わる会社が多いが、きっと、こんなぬくぬくの布団の中の居心地から抜け出せなくのだろう。

しかし、つまらない。猛烈につまらなくて、次の店舗の土地探しを必死でやっていた。それでやっと見つけたのは1号店から南に3km程離れただけの松坂町132坪の土地で、交通量からみてもマーケット的にも、今だったら絶対に手を出さない土地です。しかも、この土地を買ってしまったのです。先がまだ見えない内から始まる6,600万円もの借金の返済。

 

1991年 ガソリンが扱えない。仕方なく洗車とコーティング。

無理して買った132坪の土地だが、もう一つ厄介な大きな問題があった。その頃の日本にはガソリンスタンドの総量規制があるが(日本国中のどこかのガソリンスタンドを1店舗閉めなければ、新ガソリンスタンドを開くことが出来ない)、販売力のある㈱タニが借金までして土地を買い、新しいガソリンスタンドを造ろうというのだから、元売りさんは、全国のどこかのあまり売れないガソリンスタンドを閉めてくれて、㈱タニにガソリンスタンドの権利を造ってくれるだろうと”甘く”考えていたが、もちろん世の中はそんなに甘くはなく、誰もガソリンスタンドを閉めてはくれなかった。

しかし、総量規制は暫定措置法で規制が切れるのは1年間。ガソリンスタンドの施設を造ってしまっても、1年間、ガソリン無しで運営すればいい訳で、つまり他の事をやりながら1年間食いつなげば問題ない。それが、ガソリンスタンドで起業した会社が、コーティングの会社として大きく発展した元々の原因だったのです。つまり、谷 好通が世の中を舐めた所から始まっているのです。

あれから二十数年後、売却され、住宅展示に使われているあの時の松坂町の土地の今。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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