谷 好通コラム

2008年01月11日(金曜日)

1818.私は光のかたまりか?

光とは不思議なもので、
私は理屈では理解できていない。

 

光とは粒子でもあって、波でもあり、
質量はゼロで、周波数が短いほどエネルギーが高い。
質量がゼロなので光は光速で飛ぶことが出来る。
しかし、同じ質量がゼロであるニュートリノはあらゆるものを透過するが、
光はほとんどのものに反射するか吸収されてしまう。

 

光が質量がゼロなのにエネルギーを持っていること自体が私には理解できない。
E=MCの二乗という方程式が真理ならば、
質量である「M」がゼロならばエネルギーである「E」はゼロにしかならないのに、
現に太陽からの光は熱いわけで、何で光はエネルギーを持つことが出来るのだろうか。
なんて事を書くと、私の教養の低さが露呈されてしまうようだが、
不思議で仕方がない。
今の私たちの宇宙は137億年前、
量子的に励起した真空(偽の真空)から突然のビッグバンによって出来た。
それが今の物理に世界での定説のようになっているらしいが、
ビッグバン以前の時間はどれくらい前まであったのか。
時間は無限ならば一定の時間はH/∞=0であって、ゼロでしかない。
しかし現に私たちは一定の時間の長さを認識しているのだからゼロと言うことはない。
ならば、時間は有限なのか。
そもそもビックバン以前に時間はあったのか。

 

ビッグバンによって生まれた宇宙の広さは有限であって色々な方法で計測されるが、
ではその宇宙の外の空間というものはあるのか。
はたまたビックバン以前から空間はあったのか。
空間とは無限の広さなのか。
無限ならば、W/∞=0となって、私たちはまたゼロになってしまう。
重力とは空間のゆがみであるとも聞いた。ならば何なのか。
一つ一つの理屈については多少理解できたとしてもX/∞=0のパラドックスは、
私にはまったく理解できない。

 

そもそもビッグバンより前に時間と空間があったのか。
時間と空間、時空の無い世界というものがあるのか。
あるとすればそれはどんな世界なのか。

 

 

ある本で、私たちの精神、
つまりこの世界と自分を自覚している自分とは「光」そのものであるとあった。
そう考えると、たくさんのことが考えられてくる。

 

粒子でもあって、波でもあり、
質量はゼロなのにエネルギーが持っていて、
光速で飛ぶことが出来る。
そんな「光」が、人間の精神を作っているそのものであるというのがその本の論理で、
私は論理的にはまったく理解はしていないが、不思議にしっくりとしたのだ。
そんなことをもっともっと考えて、きちんと理解できないと、
私自身が時間と空間の無限の中にゼロになってしまうような焦りを感じるのだ。

 

テレビを消してから
ちょっと本を読みすぎたのかもしれない。
考えすぎても頭が混乱してくるばかりなので、もう寝よう。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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